リバウンドしました。
といっても、1キロとちょっとですが。
でも、私にとってはゆゆしき問題です。
9月の下旬から1か月半かけて2キロほど落としました。3か月しか持っていないじゃないか…
他人から見ると、2キロ増えたままでも、十分にスリムと言われるくらいの私。
しかし、一念発起してしまったのは…単にプライドの問題が1番の理由。
2キロ増えた数字が自分について回るのが許せなかった。
2番目の理由は体のライン。
もともと腹回りの肉は体重の割に多めでした。
徐々についた2キロの肉は、腹部に集中。見た目が悪い。
一時は腹筋がうっすら割れていたというのに…
これはやばいと思いました。
3つ目の理由は、単に体が重いということ。
長年軽い体重で生きてくると、体重が少し増えただけで、「おもい!!」と感じるわけです。
で、9月に歯をやられて、思うように食べれなくなったのをきっかけに、ちょっとばかりダイエットをしました。
2キロの肉は、急についたわけではありません。
40台を超えてから、徐々に徐々についてきたのです。
私は、かれこれ20年くらい、朝起きてすぐと夜風呂に入る前に必ず体重を測る習慣があります。
名古屋に住んで2年ほど経った頃から、夜と朝の体重差が少なくなってきました。要は、食べた分減りにくくなったということ。
東京に戻ってからは、酒を飲むと、飲んだだけ太るようになりました。
そして、帰省するたびに1キロアップ…
おまけに、私、無類の炭水化物好き。白いご飯にパスタ、餅など大好きだったわけ。
そして、肉はそれほど食べなくていいほう。
事務所にいる時間が長い日は、間食も結構していた。
しかも、司法試験合格前にジムでやっていた運動も、回数が減り、今はやっていない。
炭水化物とりすぎ+間食しすぎ+運動不足が2キロ増の理由だったわけです。
ダイエット方法は、単純に運動量を増やして、炭水化物を減らすというものでした。
効果はばっちり。体重減とともに体脂肪も相当落ちたもの。
しかし、ダイエットの効果は思ったほど早くは出なかったですね~。
1キロや2キロ、30代のころなら、2週間から1か月くらいで簡単に落とせました。
今回は、2か月かかったんですから。
しかも、食事にかなり気を遣ったので、結構しんどかった。
12月に入る少し前に目標をクリア。
しかし、年末に帰省を控えていたので、その数値を変えないように緊張を保ちつつ年末年始に突入。
実家に帰省したものの、食べる量をいつもの帰省時より控えてさらに運動もこまめにしていて、なんとか500グラム増に抑えて東京に戻り、さらにちょっと頑張って元の体重に戻したのに…
1月下旬から2月にかけて、忙しくて食事に対する緊張感が薄れたのと付き合いで食べる機会が多かったら…とたんに元の木阿弥です。
2か月かけて落とした2キロを取り戻すのは、ほんの数週間で足りてしまうのですよ。
恐るべし、40代女子の体重力!!
で、昨日あたりから反省しきりなのですが…
うーん、間食がちょっと増えたかも。
運動量はあんまり変わっていないと思うんだけどなあ…もうちっとハードなメニューを取り入れたほうがいいのかも。
うちの母も言ってましたが、女は40代が一番太るのだとか。油断していると、5キロ10キロくらいすぐいっちまうんだとか。
そういえば、うちの母も40代のころが、一番、パンパンでした。
体重が落ちないなら、せめて引き締めようではないか。
というわけで、明日から、腹筋とスクワットの回数を朝夕20回くらい増やそうと決めた林なのでした。
週明けからは間食も…ちょっとだけ減らそう。
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2013年2月24日日曜日
2013年2月19日火曜日
美しくシャツを着よう!!
仕事が減らん…1日ごとに、いや1時間ごとに増えていく感じ。
このご時世に何を言ってるんだ、ありがたいと思え!!とか言われそうですが、至極その通りです、ということは認めつつ、エンドレスになるのがつら~い。
本日も帰宅こそ早かったものの、夕食後、3時間ぶっ通しでPCに向かいっぱなしです…
明日も研修に出ますが、そこでもこそこそ内職…と書きながら、大切なメールをまだしていないことに気が付いたのでした…もういいや、明日にしよう。
先日、仕事の合間に、銀座コマツのドーバーストリートで、コムデギャルソンブラックの春物のシャツを買いました。色は白黒のコンビで、ドットとユニオンジャック柄という、想像するとドン引きしそうな雰囲気ですが、襟を一番上まで留めて着ると、なかなかどうして、案外普通に着れちゃいました。
昨日は黒のジャケットの下にこのシャツを入れて黒いプリーツのスカートを合わせていきました。
綺麗めできりっとした感じになった…と自分では信じています。
元々シャツ好きではあったのですが、30代の後半、あまり似合わないなあと思いだし、手が出なくなっていました。
私は、身長は高いんですが、上半身がこの上なく貧弱で(バストサイズは聞かないでくれ)、肩幅も小さい。もともとおそらくシャツが似合いにくい体型なんだと思うのです。
だって、シャツって、そもそもの始まりは男性のワイシャツ、なんでしょ?
だとすれば、元々は肩周りがしっかりしている人が似合うもののはずなのです。
ジョーゼット系の柔らか素材も、余計に体型の貧弱さを目立たせてしまうので、なんかしっくりこなかった。
で、30代後半からしばらく、Uネックのカットソーを着たり、冬場はタートルネックを着たりと、フィット感のあるものに目が行っていたのでした。
ところが…昨年あたりから、カットソーを着る自分が、貧相に見えるようになってきたのです。
たぶん髪を短くしたりというのも影響があるんでしょうが、主な理由は、やはり年を取って見た目の華やかさが落ちてきた、肌のハリとか勢いとかで服を着られなくなってきたからではないかと思いまして。
私の知人(残念ながら数年前に40代後半にして他界)で、「この年になって穴の開いたジーンズとか着ると、本当に貧乏な人に見えちゃうから」と言っていた人がいたのですが、これは名言です。
どんなにやせていても、40代になると、肉は重力の法則にかなり忠実になるので、頬や肩周りの肉は普通はどんどん削げ落ちていくものなのです。
だから、老け込んだり貧乏くさく見えたりしないようにするためには、どこかきちんと感のある服装を心がけねばならんのです。
で、私も、襟のあるきちんとしたものを着よう、普段でも襟ぐりの空きすぎないものを着ようと気持ちが変わりました。
そうやって、いろんなところでシャツの試着を繰り返しながら思ったのですが、ポイントは肩と背中のフィット感(余ってる感じが出ない)というところにあるようです。
要は、ジャケット選びと同じ感覚でいいんだなと。
しかし、そうすると私の場合、ジャケット同様、袖が短くなりがちという問題が浮上するわけですが(ただし、袖周りがすっきりするので、作業はしやすいです)。
何しろ、普通に着て、シャツのサイズはS。コムデギャルソンブラック(ここはユニセックスです)では、なんとXSなもので…ちなみに身長は169センチ。ボトムのサイズは聞かないでください。
まあ、それはさておき、コムデギャルソンブラックのシャツは、実は結構気に入っていて、先日買ったもので3着目なのです。
理由は、お値段が手ごろ、生地がしっかりしていて、洗濯を繰り返してもよれない(ネットにはいれますよ)、ボタンを上まで閉じた時の襟の形がきれい、というところです。
シャツの襟は一番上まで留めちゃうのがマイブームです。
首が細いのでさほど苦しくないし、上まで留めちゃっただけできちんと感が出ますし。
仕事以外でも、シャツのボタンは上まで閉めて、でも、袖はまくってインナーを見せるなんて、キュートでいいなあと。
インナーは、クリステンセンのうんと袖の長いカットソーをクシュクシュにしたり。
もう、わくわくです。
こんなこと書いていると、週末にどんな格好をして出かけようかって方向に頭が行って、非常に楽しいんですが、その前に、今日ってまだ火曜日、だったりしましたね。
このご時世に何を言ってるんだ、ありがたいと思え!!とか言われそうですが、至極その通りです、ということは認めつつ、エンドレスになるのがつら~い。
本日も帰宅こそ早かったものの、夕食後、3時間ぶっ通しでPCに向かいっぱなしです…
明日も研修に出ますが、そこでもこそこそ内職…と書きながら、大切なメールをまだしていないことに気が付いたのでした…もういいや、明日にしよう。
先日、仕事の合間に、銀座コマツのドーバーストリートで、コムデギャルソンブラックの春物のシャツを買いました。色は白黒のコンビで、ドットとユニオンジャック柄という、想像するとドン引きしそうな雰囲気ですが、襟を一番上まで留めて着ると、なかなかどうして、案外普通に着れちゃいました。
昨日は黒のジャケットの下にこのシャツを入れて黒いプリーツのスカートを合わせていきました。
綺麗めできりっとした感じになった…と自分では信じています。
元々シャツ好きではあったのですが、30代の後半、あまり似合わないなあと思いだし、手が出なくなっていました。
私は、身長は高いんですが、上半身がこの上なく貧弱で(バストサイズは聞かないでくれ)、肩幅も小さい。もともとおそらくシャツが似合いにくい体型なんだと思うのです。
だって、シャツって、そもそもの始まりは男性のワイシャツ、なんでしょ?
だとすれば、元々は肩周りがしっかりしている人が似合うもののはずなのです。
ジョーゼット系の柔らか素材も、余計に体型の貧弱さを目立たせてしまうので、なんかしっくりこなかった。
で、30代後半からしばらく、Uネックのカットソーを着たり、冬場はタートルネックを着たりと、フィット感のあるものに目が行っていたのでした。
ところが…昨年あたりから、カットソーを着る自分が、貧相に見えるようになってきたのです。
たぶん髪を短くしたりというのも影響があるんでしょうが、主な理由は、やはり年を取って見た目の華やかさが落ちてきた、肌のハリとか勢いとかで服を着られなくなってきたからではないかと思いまして。
私の知人(残念ながら数年前に40代後半にして他界)で、「この年になって穴の開いたジーンズとか着ると、本当に貧乏な人に見えちゃうから」と言っていた人がいたのですが、これは名言です。
どんなにやせていても、40代になると、肉は重力の法則にかなり忠実になるので、頬や肩周りの肉は普通はどんどん削げ落ちていくものなのです。
だから、老け込んだり貧乏くさく見えたりしないようにするためには、どこかきちんと感のある服装を心がけねばならんのです。
で、私も、襟のあるきちんとしたものを着よう、普段でも襟ぐりの空きすぎないものを着ようと気持ちが変わりました。
そうやって、いろんなところでシャツの試着を繰り返しながら思ったのですが、ポイントは肩と背中のフィット感(余ってる感じが出ない)というところにあるようです。
要は、ジャケット選びと同じ感覚でいいんだなと。
しかし、そうすると私の場合、ジャケット同様、袖が短くなりがちという問題が浮上するわけですが(ただし、袖周りがすっきりするので、作業はしやすいです)。
何しろ、普通に着て、シャツのサイズはS。コムデギャルソンブラック(ここはユニセックスです)では、なんとXSなもので…ちなみに身長は169センチ。ボトムのサイズは聞かないでください。
まあ、それはさておき、コムデギャルソンブラックのシャツは、実は結構気に入っていて、先日買ったもので3着目なのです。
理由は、お値段が手ごろ、生地がしっかりしていて、洗濯を繰り返してもよれない(ネットにはいれますよ)、ボタンを上まで閉じた時の襟の形がきれい、というところです。
シャツの襟は一番上まで留めちゃうのがマイブームです。
首が細いのでさほど苦しくないし、上まで留めちゃっただけできちんと感が出ますし。
仕事以外でも、シャツのボタンは上まで閉めて、でも、袖はまくってインナーを見せるなんて、キュートでいいなあと。
インナーは、クリステンセンのうんと袖の長いカットソーをクシュクシュにしたり。
もう、わくわくです。
こんなこと書いていると、週末にどんな格好をして出かけようかって方向に頭が行って、非常に楽しいんですが、その前に、今日ってまだ火曜日、だったりしましたね。
2013年2月18日月曜日
国分太一と織田裕二、どっちが許せないか。
1日一歩も外に出ない、引きこもり干物女をしていた林です。
コンビニくらいは行こうと思っていたのですが…
掃除して、洗濯して、ご飯作って、裁判の準備していたら、外に行く気が全くなくなりました。
そして、つい5分前まで書面を書いていた私…
もう寝なくちゃと思いつつ、どうしても書きたくて、ブログ開けちゃった次第です。
日曜の昼間は、とにかくテレビがつまんない。
ただ流しているのも躊躇するくらいなので、「開運なんでも鑑定団」の再放送の後、地上波のフジでやってた四大陸選手権の録画を流していました…
失敗した。地上波は、国分太一がやたら出てくるんだった…そう思いつつ、チラ見しながら、書面作成。
全日本の時も思ったんだけど、国分太一、本当に早くひっこめてくれ。
なぜか。
それは、何年も何年もフジのフィギュア番組を担当しているくせに、まるで勉強してないからなんだよ、この男!!
例えば、全日本なんかだと、この時しかテレビに出てこないスケーターとかが結構出てくるわけです。東日本選手権3位とか、西日本選手権4位とか。
そういう選手が出てくると、「この選手見るの1年ぶりなんですけど~」とか、何の臆面もなく言ってしまうのだ、国分太一という男は。
なんだ、この立ち位置は。素人代表なのか?それとも、ジャニーズ枠だから、何しても許されるとか、思っているのか?
別に、ゴチバトルとかに出ている国分太一に腹は立たんのです。この人、基本、何でもできる器用な人だと思うし。
しかし、そういう小手先の器用さで、安易に門外漢の芸能人がスポーツ番組の司会とかしちゃって、で、素人的コメントを繰り返すのは、視聴者のスポーツ番組の鑑賞能力を引き下げることにしかならんと、私はそう思うのですよ。
で、思い出したのです。
今年は、世界陸上がある。
織田裕二の夏がやってくるわけです。
この男の司会、うざいったらない。
だったら見るなと言われそうですが、私は学生時代、陸上部。選手としては……だったわけで、今やスポーツは「見る専門」なわけですが、陸上競技を見るのが一番好きなのですよ。
世界陸上は意外に歴史が浅い。
私が高校3年の時にヘルシンキで第1回がありました。2年に1度の大会なので、たぶん、今年で12,3回目くらいのはずです。
開始当初、放映権を持っていたのは日テレでした。
そして、極めて普通のスポーツ中継でした。
最近のNHKの中継よりも地味な感じ。
で、時差の問題があって生中継だったりするもんだから、放送時間帯は深夜。
真夜中にテレビの音を落として、リビングで一人体育座りしてみていたものです。
しかし、いつの間にやら、放映権はTBSに移り、織田裕二がメイン司会になり、やたら長い選手紹介のビデオが流れ、「悲しき○○」とかなんとか、意味の分かんないキャッチフレーズが躍るようになってしまったわけです。
そして、織田裕二は、自分で調べたのかTBS情報を熟読したのかどうかわからんが、増田明美負けらかしのミニ情報をマイクに向かってしゃべりまくり、メインレース前は大げさに興奮して見せ、レース後には大げさに落胆あるいは驚嘆して見せるという…目薬のCMさながらの何とも暑苦しい番組に仕上がってしまったわけなのです…
で、表題の件ですが…
もうほんとにいい勝負なんだけど、国分太一のほうが個人的には許せません。
たぶんにフジテレビの使い方が悪いような気もするんだけど、織田裕二のほうがまだまし。
織田裕二には、競技や選手に対して愛着を持とうという努力や、すでに愛着を持っている様子がうかがえる。
つまり、世界陸上は自分の番組なんだという責任感が見えるわけです。
国分太一にはそれが全くない。中継の集合時間に「おはようございま~す」とやってきて、終わった後に「お疲れ様でした~」といなくなる感じ、満天。
お前、真央ちゃんのこと、かわいいとしか思ってないだろ。
選手として愛してないだろ。
フィギュアスケートのこと、別に好きじゃないだろ。
そう突っ込みたくなるのです。
別に私は、タレントがスポーツ番組担当しちゃいかんとは言っていません。
しかるべく人選しろと言いたいわけです。
例えば、デーモン閣下なんて、ある日突然向う正面あたりで大阪場所とかの解説始めても、もはやだれも文句を言わないでしょう。
ミッツマングローブが、世界フィギュアのメイン司会になったら…いや、だめか。
解説が、マニアにサイコすぎて理解不能になるかも…
餅は餅屋なのですよ。
まあ、テレビ業界は、そうも言ってられない諸要素を考慮しなくちゃならんのでしょうけど、だけど、せめて、餅を売ってることくらい理解していて、で、みんながどんな餅を食べたいか考えられるくらいのタレントを据えていただきたいと思う、「テレビでスポーツ観戦大好き」さんの深夜の独り言なのでした。
追伸
来訪者が2000人を超えました。
読んでくれる皆さん、ありがとう!!
コンビニくらいは行こうと思っていたのですが…
掃除して、洗濯して、ご飯作って、裁判の準備していたら、外に行く気が全くなくなりました。
そして、つい5分前まで書面を書いていた私…
もう寝なくちゃと思いつつ、どうしても書きたくて、ブログ開けちゃった次第です。
日曜の昼間は、とにかくテレビがつまんない。
ただ流しているのも躊躇するくらいなので、「開運なんでも鑑定団」の再放送の後、地上波のフジでやってた四大陸選手権の録画を流していました…
失敗した。地上波は、国分太一がやたら出てくるんだった…そう思いつつ、チラ見しながら、書面作成。
全日本の時も思ったんだけど、国分太一、本当に早くひっこめてくれ。
なぜか。
それは、何年も何年もフジのフィギュア番組を担当しているくせに、まるで勉強してないからなんだよ、この男!!
例えば、全日本なんかだと、この時しかテレビに出てこないスケーターとかが結構出てくるわけです。東日本選手権3位とか、西日本選手権4位とか。
そういう選手が出てくると、「この選手見るの1年ぶりなんですけど~」とか、何の臆面もなく言ってしまうのだ、国分太一という男は。
なんだ、この立ち位置は。素人代表なのか?それとも、ジャニーズ枠だから、何しても許されるとか、思っているのか?
別に、ゴチバトルとかに出ている国分太一に腹は立たんのです。この人、基本、何でもできる器用な人だと思うし。
しかし、そういう小手先の器用さで、安易に門外漢の芸能人がスポーツ番組の司会とかしちゃって、で、素人的コメントを繰り返すのは、視聴者のスポーツ番組の鑑賞能力を引き下げることにしかならんと、私はそう思うのですよ。
で、思い出したのです。
今年は、世界陸上がある。
織田裕二の夏がやってくるわけです。
この男の司会、うざいったらない。
だったら見るなと言われそうですが、私は学生時代、陸上部。選手としては……だったわけで、今やスポーツは「見る専門」なわけですが、陸上競技を見るのが一番好きなのですよ。
世界陸上は意外に歴史が浅い。
私が高校3年の時にヘルシンキで第1回がありました。2年に1度の大会なので、たぶん、今年で12,3回目くらいのはずです。
開始当初、放映権を持っていたのは日テレでした。
そして、極めて普通のスポーツ中継でした。
最近のNHKの中継よりも地味な感じ。
で、時差の問題があって生中継だったりするもんだから、放送時間帯は深夜。
真夜中にテレビの音を落として、リビングで一人体育座りしてみていたものです。
しかし、いつの間にやら、放映権はTBSに移り、織田裕二がメイン司会になり、やたら長い選手紹介のビデオが流れ、「悲しき○○」とかなんとか、意味の分かんないキャッチフレーズが躍るようになってしまったわけです。
そして、織田裕二は、自分で調べたのかTBS情報を熟読したのかどうかわからんが、増田明美負けらかしのミニ情報をマイクに向かってしゃべりまくり、メインレース前は大げさに興奮して見せ、レース後には大げさに落胆あるいは驚嘆して見せるという…目薬のCMさながらの何とも暑苦しい番組に仕上がってしまったわけなのです…
で、表題の件ですが…
もうほんとにいい勝負なんだけど、国分太一のほうが個人的には許せません。
たぶんにフジテレビの使い方が悪いような気もするんだけど、織田裕二のほうがまだまし。
織田裕二には、競技や選手に対して愛着を持とうという努力や、すでに愛着を持っている様子がうかがえる。
つまり、世界陸上は自分の番組なんだという責任感が見えるわけです。
国分太一にはそれが全くない。中継の集合時間に「おはようございま~す」とやってきて、終わった後に「お疲れ様でした~」といなくなる感じ、満天。
お前、真央ちゃんのこと、かわいいとしか思ってないだろ。
選手として愛してないだろ。
フィギュアスケートのこと、別に好きじゃないだろ。
そう突っ込みたくなるのです。
別に私は、タレントがスポーツ番組担当しちゃいかんとは言っていません。
しかるべく人選しろと言いたいわけです。
例えば、デーモン閣下なんて、ある日突然向う正面あたりで大阪場所とかの解説始めても、もはやだれも文句を言わないでしょう。
ミッツマングローブが、世界フィギュアのメイン司会になったら…いや、だめか。
解説が、マニアにサイコすぎて理解不能になるかも…
餅は餅屋なのですよ。
まあ、テレビ業界は、そうも言ってられない諸要素を考慮しなくちゃならんのでしょうけど、だけど、せめて、餅を売ってることくらい理解していて、で、みんながどんな餅を食べたいか考えられるくらいのタレントを据えていただきたいと思う、「テレビでスポーツ観戦大好き」さんの深夜の独り言なのでした。
追伸
来訪者が2000人を超えました。
読んでくれる皆さん、ありがとう!!
2013年2月16日土曜日
解説がうまそうな選手を探せ!
月末から、ちょっと大きな裁判が入っていて、準備が本格化してきました。
どうも、林です。
今日も臨時の打ち合わせをして、その後自宅で準備…しながら、BSフジの四大陸選手権女子シングルSPを見てしまっていたのでした…よくよく好きだね、私も。
それにしても、八木沼、ほんとに解説下手だなあ。声がうるさい。
おまけに、「両足着氷」と言えばいいところを「ツーフット」、「加点がもらえる」と言えばいいところを「GOEがつく」と必ず言う。
専門家ぶらなくていいから!!日本人は、日本語使いましょう。
しかし、なぜかフジテレビは、メイン解説は必ず八木沼、なのだ。
NHKとテレ朝は、荒川静香だというのに。
荒川静香は、解説うまいと思います。まず、落ち着いています。なぜ転倒したのか、なぜ技の認定がダウングレードなのか、など説明が「簡にして要を得ている」のです。
声も耳障りでない、静かな声。実にNHK好み。
本田武も同じ理由で解説がうまい。こちらは、NHKとフジテレビ御用達。系譜としては、五十嵐文男の後継者というところでしょう。テレ朝は…なぜか佐野稔。この人、話は分かりやすいんだけど、えこひいきが過ぎるんだよねえ。アボット大好きを丸出ししすぎでしょう。
と現役スケート解説者の品評会は、ここまで。
スポーツ解説者には、1つの鉄則があります。
それは、「NO1選手は解説がうまくない。解説がうまいのは、選手時代にNO2、NO3だった人」ということです。
例えば、最近で一番わかりやすいところだと、マラソン解説。
増田明美が、もう鉄板でしょう。
女性マラソンや駅伝では、増田明美がほぼメイン解説。
選手時代は、確かに天才ともてはやされた時代もありましたが、結局オリンピックでは途中棄権。非常に若くしてマラソン界を引退しました。
しかし、解説者としては、世界陸上1万メートル銅メダリストの千葉ちゃんやシドニー金メダリスト、元世界記録保持者のQちゃんを差し置いて、マラソン解説女王の座にいまだ君臨し続けていて、ついには「マツコ有吉の怒り新党」で、「日本人が知っておくべき新三大増田明美の解説中のミニ情報」などと取り扱われる始末(あれ、連続でミニ情報だけ聞くと、マラソンそっちのけの人に見えすぎです)。
最近で気になったところだと、男子の体操でしょうか。
アテネの男子団体金のひとり、米田君の解説が、非常に分かりやすく丁寧でした。
一見チャラ男っぽくて、解説なんてできるのかと思っていたのですが、なかなかどうして。
個人メダル持ってる池谷なんて及びもかかりませんでした。森末慎二もしかり。
でもこの人、個人では確かメダルに届いていないクラスの選手だったはずです。
あと、シンクロでは、個人でメダルを取っている小谷美香子ではなく、確か田中京さんがしばらく解説をしていたはずです。この方も、お上手でした。
スケートに戻ると、日本人が「後にも先にも出てこない大天才選手」と信じてやまない伊藤みどりの解説は、聞くに堪えない。
要は、そうなのです。
真実は、伊藤みどりにあるのです。
選手としてNO1だった人、超人的に優れていた人というのは、解説ができないのです。
なぜか。
頭で考えて動いていないから。
体が勝手に動く、あるいは体にしみこませる。脳にしみこんでない。つまり、解説できる理論的土台が、選手時代におつむに蓄積されていないのです。
伊藤みどり以外では、Qちゃんなんて、典型的にそうでしょう。
そして、NO2、NO3に甘んじた人というのは、NO1が持っている天才的能力に追いつき追い越すために、自分に足りない部分は何かと、日夜頭をひねって考えているため、理論的蓄積ができる、おまけに物事を引いてみる癖も付く、そんなわけで、選手時代に解説者になるための必要条件が身についてしまうということなんではないかと…
NO1になった人でも、どん底を味わっている人は、どん底から這い上がるために頭をひねるので、同じことになります。
荒川静香なんて、長野で地獄を見た後、長い冬の時代を味わいましたからね。解説がうまくなるわけです。シニアデビューしてから、ぶっちぎりで常に金銀金銀みたいな戦いをしてきた伊藤みどり(注:フィギュアスケートに「規定」があった時代はかなり苦しみましたが)とは、全然違うのです。
で、そういう目線で現役のスポーツ選手を見ていくと…
まず、フィギュアスケート。
鈴木明子は、間違いなく解説がうまいと思う。落ち着き払っているし。
不安材料は、やはり怪我で挫折した太田由布奈を最近NHKが使っていること。
荒川静香の次の解説者として育てようとしているのでは…うまくても解説者の席を取るのが難しいかも。
むむ。ここでも苦労するのか、鈴木明子。
真央ちゃんは、解説は期待しないほうがいいでしょう。頭で考えて滑るタイプでないでしょうから。
男子で、本田武の後継者は、間違いなく小塚くん。説明の必要もありません。
そして…サッカー解説で現役選手で期待できるのは、ガンバの遠藤、でしょうねえ。あと吉田かな。
ついに引退した中山のゴンなんて、アニマル浜口サッカー版でしょうからねえ。何聞いても「気合いだ」とか、「ワ~ッといけ」とかしか言えなさそう。
女子レスリングでは、解説やらせたら一番うまいのは、伊調千春だと思います。馨もうまいだろう。
吉田沙保里は、声がにぎやかすぎる。それに動物的だし…。
解説の世代交代が一挙に加速するイベントはオリンピックだと思うし、NHKが使う解説がやっぱり業界NO1じゃないかと信じてやまないこの私。
冬季オリンピックは、ついに来年ですが、ちょっと世代的にまだ交代しそうにありません。
リオあたりには、私の頭に思い描かれている人が、バンバン出てくるのかなあと。
そういう楽しみも、実はオリンピックにはあったりするのです。
どうも、林です。
今日も臨時の打ち合わせをして、その後自宅で準備…しながら、BSフジの四大陸選手権女子シングルSPを見てしまっていたのでした…よくよく好きだね、私も。
それにしても、八木沼、ほんとに解説下手だなあ。声がうるさい。
おまけに、「両足着氷」と言えばいいところを「ツーフット」、「加点がもらえる」と言えばいいところを「GOEがつく」と必ず言う。
専門家ぶらなくていいから!!日本人は、日本語使いましょう。
しかし、なぜかフジテレビは、メイン解説は必ず八木沼、なのだ。
NHKとテレ朝は、荒川静香だというのに。
荒川静香は、解説うまいと思います。まず、落ち着いています。なぜ転倒したのか、なぜ技の認定がダウングレードなのか、など説明が「簡にして要を得ている」のです。
声も耳障りでない、静かな声。実にNHK好み。
本田武も同じ理由で解説がうまい。こちらは、NHKとフジテレビ御用達。系譜としては、五十嵐文男の後継者というところでしょう。テレ朝は…なぜか佐野稔。この人、話は分かりやすいんだけど、えこひいきが過ぎるんだよねえ。アボット大好きを丸出ししすぎでしょう。
と現役スケート解説者の品評会は、ここまで。
スポーツ解説者には、1つの鉄則があります。
それは、「NO1選手は解説がうまくない。解説がうまいのは、選手時代にNO2、NO3だった人」ということです。
例えば、最近で一番わかりやすいところだと、マラソン解説。
増田明美が、もう鉄板でしょう。
女性マラソンや駅伝では、増田明美がほぼメイン解説。
選手時代は、確かに天才ともてはやされた時代もありましたが、結局オリンピックでは途中棄権。非常に若くしてマラソン界を引退しました。
しかし、解説者としては、世界陸上1万メートル銅メダリストの千葉ちゃんやシドニー金メダリスト、元世界記録保持者のQちゃんを差し置いて、マラソン解説女王の座にいまだ君臨し続けていて、ついには「マツコ有吉の怒り新党」で、「日本人が知っておくべき新三大増田明美の解説中のミニ情報」などと取り扱われる始末(あれ、連続でミニ情報だけ聞くと、マラソンそっちのけの人に見えすぎです)。
最近で気になったところだと、男子の体操でしょうか。
アテネの男子団体金のひとり、米田君の解説が、非常に分かりやすく丁寧でした。
一見チャラ男っぽくて、解説なんてできるのかと思っていたのですが、なかなかどうして。
個人メダル持ってる池谷なんて及びもかかりませんでした。森末慎二もしかり。
でもこの人、個人では確かメダルに届いていないクラスの選手だったはずです。
あと、シンクロでは、個人でメダルを取っている小谷美香子ではなく、確か田中京さんがしばらく解説をしていたはずです。この方も、お上手でした。
スケートに戻ると、日本人が「後にも先にも出てこない大天才選手」と信じてやまない伊藤みどりの解説は、聞くに堪えない。
要は、そうなのです。
真実は、伊藤みどりにあるのです。
選手としてNO1だった人、超人的に優れていた人というのは、解説ができないのです。
なぜか。
頭で考えて動いていないから。
体が勝手に動く、あるいは体にしみこませる。脳にしみこんでない。つまり、解説できる理論的土台が、選手時代におつむに蓄積されていないのです。
伊藤みどり以外では、Qちゃんなんて、典型的にそうでしょう。
そして、NO2、NO3に甘んじた人というのは、NO1が持っている天才的能力に追いつき追い越すために、自分に足りない部分は何かと、日夜頭をひねって考えているため、理論的蓄積ができる、おまけに物事を引いてみる癖も付く、そんなわけで、選手時代に解説者になるための必要条件が身についてしまうということなんではないかと…
NO1になった人でも、どん底を味わっている人は、どん底から這い上がるために頭をひねるので、同じことになります。
荒川静香なんて、長野で地獄を見た後、長い冬の時代を味わいましたからね。解説がうまくなるわけです。シニアデビューしてから、ぶっちぎりで常に金銀金銀みたいな戦いをしてきた伊藤みどり(注:フィギュアスケートに「規定」があった時代はかなり苦しみましたが)とは、全然違うのです。
で、そういう目線で現役のスポーツ選手を見ていくと…
まず、フィギュアスケート。
鈴木明子は、間違いなく解説がうまいと思う。落ち着き払っているし。
不安材料は、やはり怪我で挫折した太田由布奈を最近NHKが使っていること。
荒川静香の次の解説者として育てようとしているのでは…うまくても解説者の席を取るのが難しいかも。
むむ。ここでも苦労するのか、鈴木明子。
真央ちゃんは、解説は期待しないほうがいいでしょう。頭で考えて滑るタイプでないでしょうから。
男子で、本田武の後継者は、間違いなく小塚くん。説明の必要もありません。
そして…サッカー解説で現役選手で期待できるのは、ガンバの遠藤、でしょうねえ。あと吉田かな。
ついに引退した中山のゴンなんて、アニマル浜口サッカー版でしょうからねえ。何聞いても「気合いだ」とか、「ワ~ッといけ」とかしか言えなさそう。
女子レスリングでは、解説やらせたら一番うまいのは、伊調千春だと思います。馨もうまいだろう。
吉田沙保里は、声がにぎやかすぎる。それに動物的だし…。
解説の世代交代が一挙に加速するイベントはオリンピックだと思うし、NHKが使う解説がやっぱり業界NO1じゃないかと信じてやまないこの私。
冬季オリンピックは、ついに来年ですが、ちょっと世代的にまだ交代しそうにありません。
リオあたりには、私の頭に思い描かれている人が、バンバン出てくるのかなあと。
そういう楽しみも、実はオリンピックにはあったりするのです。
2013年2月12日火曜日
四大陸選手権でピノキオくん大躍進
夕べ遅くに名古屋から帰りました。
フィギュアスケートの四大陸選手権、録画したものを今日は全部見て過ごそうと思っていたのですが(出張中は堪能できず)、なんと、女子のフリーが録画できていない…
しかも、男子のほうは、高橋大輔が7位と、うーんな結果だったので、見る気おきないなあと思いつつ、掃除などしながら結局BSフジで放送していた男子フリーを視聴してしまったのでした…
まず、日本男子についていうと、高橋大輔は、ショートプログラムを変更してよかったのか?という点、気になる人も多いと思うんですよね。
「すぽると!」で見たけど、個人的には、前のロックンロールメドレーのほうが断然好きです。「月光」は、つまらん。モロゾフの振り付けが、やはり田舎くさすぎる。
ただ、ロックンロールメドレーについては、実は、路線的には、ここ数年の高橋を踏襲しすぎているような気がして、「そろそろ、イメージ変えてみてもいいんじゃない?」とも思ってはいたのです。
そして、こってりしたクラシックを踊る高橋大輔も、見てみたいとは思っていたので、「月光」の選曲自体に文句はない。変えた時期はともかくとして。
ただ、パスカーレ・カメレンゴの月光とか、どうせなら、ステファン・ランビエールに振付けてもらうとか、そのあたりのチョイスはしっかりしてほしかったなあと。
モロゾフって…いくらコーチでも、そりゃないですよ。ステップで、やたら、大暴れさせるワンパターンのあの振付。芸がない。高橋大輔ですよ、高橋大輔!!バンクーバーで「道」を演じ切った人ですよ!!(注:このプログラムは、男子フィギュア史上、最高と思っている)。こだわろう、ほんと。
で、高橋大輔の悲惨な姿を見なければならんという、やや悲壮な気持ちで男子フリーを見始めたわけなんだが、予想に反しておもしろかったです。
最大の要因は、ケビン・レイノルズが本領を発揮したらどうなるかというのを、見ることができたからです。
ケビン・レイノルズ君、たぶん、バンクーバーの後にシニア参戦してきた選手だと記憶しているのですが、出始めのころは、グランプリシリーズでもそこそこの成績を残していて、「後々出てきそうな子だなあ」と思っていました。
まあ、一番インパクトが強かったのは、あの高すぎるお鼻で、初めて見た時に「ピノキオ実写版!!」と思ったわけで、しかも、ではじめのころは、動きも、ピノキオが人間の子供になる前のようなぎこちなさ。
それだけに、出てくるたびに、なんとな~く気になって見ていた選手だったのです。
四回転に対するこだわりが強すぎたのか、それとも成長期で体のバランスがおかしかったのか、ここ2年くらいは、転倒でリズムを崩すことが多くて、なかなか上位に来ることがありませんでした。
しかし…いや~、フリーよかったですよ。
ジャンプはもちろんなんだけど、私はどちらかというと、表現力を高く評価したい。ジャンパー選手って、どうしてもつなぎの見せ方が拙かったり、全然踊れてなかったりということが起こりがちなんですが、長い手足の先まで神経を行き届かせて、強い曲調のピアノ曲に飲まれずに、しっかりその世界を表現していました。
カナダの選手というと、どうしても、パトリック・チャンが絶対王者的なイメージで、ピノキオ君は、二番手みたいなイメージですが、チャンの盤石さもここにきて陰りが見え始めているし、そもそも、チャンて、なんでそんなに点が出るんだ?って感じだし(ステップが凄いとかいうけど、あの程度なら
高橋や小塚のほうが凄いと思う)。体固いから、スピンなんか汚いし。
正直、ソチに向けては、チャンよりもピノキオ、もとい、レイノルズ君、侮れじ!!ですね。
で、ピノキオ君も、ピノキオだけにスリムなんですが、羽生君と全然違って、体幹がしっかりしてます。
羽生君なんて、いったん木綿どころか、もはやきしめん的うすっぺら体型のふにゃふにゃスケーティング。
相変わらずのスタミナのなさ。前々から指摘されている体力不足問題が全く解消されていなくて、ある意味、今回の不振の原因がはっきりしている高橋よりも、深刻だと思うのです。
ピノキオ君は、体が立体的。木製、もとい筋肉性の体であることが見ていてよくわかります。
とはいえ、日本の男子スケート、案外レベル低いぞと、四大陸を見て危機感を覚えました。
国内での「世界大会」出場枠をめぐる争いは熾烈かもしれんが、四回転を武器にできる選手って、正直誰もいない(羽生君も当たり外れあり)。
表現力については、高橋大輔がぬきんでていて、ほかの選手は話にならない。
今回四大陸に出てきた選手は、各国のナンバー2以下がほとんどだったわけですが、第3グループ以降は、みんな普通に4回転トゥループくらいは、飛んでましたよねえ。
中国の選手なんて、さすが雑技団の国、振り付けもかなり美しい感じでしたし…
テレ朝(正確にいうと松岡)とフジ(正確にいうと国分)だけが、「日本男子、メダルへ!!」とか騒いでいるけれど、実のところ、来月の世界選手権では、銅メダルが一個取れれば、もうけもののような気がします。
日本スケート連盟さん、そろそろ佐野稔あたりを参議院議員に送り込んで、補助金たんまりもらう作戦にでも出ないといけないかもしれませんね。
フィギュアスケートの四大陸選手権、録画したものを今日は全部見て過ごそうと思っていたのですが(出張中は堪能できず)、なんと、女子のフリーが録画できていない…
しかも、男子のほうは、高橋大輔が7位と、うーんな結果だったので、見る気おきないなあと思いつつ、掃除などしながら結局BSフジで放送していた男子フリーを視聴してしまったのでした…
まず、日本男子についていうと、高橋大輔は、ショートプログラムを変更してよかったのか?という点、気になる人も多いと思うんですよね。
「すぽると!」で見たけど、個人的には、前のロックンロールメドレーのほうが断然好きです。「月光」は、つまらん。モロゾフの振り付けが、やはり田舎くさすぎる。
ただ、ロックンロールメドレーについては、実は、路線的には、ここ数年の高橋を踏襲しすぎているような気がして、「そろそろ、イメージ変えてみてもいいんじゃない?」とも思ってはいたのです。
そして、こってりしたクラシックを踊る高橋大輔も、見てみたいとは思っていたので、「月光」の選曲自体に文句はない。変えた時期はともかくとして。
ただ、パスカーレ・カメレンゴの月光とか、どうせなら、ステファン・ランビエールに振付けてもらうとか、そのあたりのチョイスはしっかりしてほしかったなあと。
モロゾフって…いくらコーチでも、そりゃないですよ。ステップで、やたら、大暴れさせるワンパターンのあの振付。芸がない。高橋大輔ですよ、高橋大輔!!バンクーバーで「道」を演じ切った人ですよ!!(注:このプログラムは、男子フィギュア史上、最高と思っている)。こだわろう、ほんと。
で、高橋大輔の悲惨な姿を見なければならんという、やや悲壮な気持ちで男子フリーを見始めたわけなんだが、予想に反しておもしろかったです。
最大の要因は、ケビン・レイノルズが本領を発揮したらどうなるかというのを、見ることができたからです。
ケビン・レイノルズ君、たぶん、バンクーバーの後にシニア参戦してきた選手だと記憶しているのですが、出始めのころは、グランプリシリーズでもそこそこの成績を残していて、「後々出てきそうな子だなあ」と思っていました。
まあ、一番インパクトが強かったのは、あの高すぎるお鼻で、初めて見た時に「ピノキオ実写版!!」と思ったわけで、しかも、ではじめのころは、動きも、ピノキオが人間の子供になる前のようなぎこちなさ。
それだけに、出てくるたびに、なんとな~く気になって見ていた選手だったのです。
四回転に対するこだわりが強すぎたのか、それとも成長期で体のバランスがおかしかったのか、ここ2年くらいは、転倒でリズムを崩すことが多くて、なかなか上位に来ることがありませんでした。
しかし…いや~、フリーよかったですよ。
ジャンプはもちろんなんだけど、私はどちらかというと、表現力を高く評価したい。ジャンパー選手って、どうしてもつなぎの見せ方が拙かったり、全然踊れてなかったりということが起こりがちなんですが、長い手足の先まで神経を行き届かせて、強い曲調のピアノ曲に飲まれずに、しっかりその世界を表現していました。
カナダの選手というと、どうしても、パトリック・チャンが絶対王者的なイメージで、ピノキオ君は、二番手みたいなイメージですが、チャンの盤石さもここにきて陰りが見え始めているし、そもそも、チャンて、なんでそんなに点が出るんだ?って感じだし(ステップが凄いとかいうけど、あの程度なら
高橋や小塚のほうが凄いと思う)。体固いから、スピンなんか汚いし。
正直、ソチに向けては、チャンよりもピノキオ、もとい、レイノルズ君、侮れじ!!ですね。
で、ピノキオ君も、ピノキオだけにスリムなんですが、羽生君と全然違って、体幹がしっかりしてます。
羽生君なんて、いったん木綿どころか、もはやきしめん的うすっぺら体型のふにゃふにゃスケーティング。
相変わらずのスタミナのなさ。前々から指摘されている体力不足問題が全く解消されていなくて、ある意味、今回の不振の原因がはっきりしている高橋よりも、深刻だと思うのです。
ピノキオ君は、体が立体的。木製、もとい筋肉性の体であることが見ていてよくわかります。
とはいえ、日本の男子スケート、案外レベル低いぞと、四大陸を見て危機感を覚えました。
国内での「世界大会」出場枠をめぐる争いは熾烈かもしれんが、四回転を武器にできる選手って、正直誰もいない(羽生君も当たり外れあり)。
表現力については、高橋大輔がぬきんでていて、ほかの選手は話にならない。
今回四大陸に出てきた選手は、各国のナンバー2以下がほとんどだったわけですが、第3グループ以降は、みんな普通に4回転トゥループくらいは、飛んでましたよねえ。
中国の選手なんて、さすが雑技団の国、振り付けもかなり美しい感じでしたし…
テレ朝(正確にいうと松岡)とフジ(正確にいうと国分)だけが、「日本男子、メダルへ!!」とか騒いでいるけれど、実のところ、来月の世界選手権では、銅メダルが一個取れれば、もうけもののような気がします。
日本スケート連盟さん、そろそろ佐野稔あたりを参議院議員に送り込んで、補助金たんまりもらう作戦にでも出ないといけないかもしれませんね。
2013年2月7日木曜日
憧れの女子?
名古屋出張に来ています。
明日は、中部地方の依頼者二名と打ち合わせ。
土日は研修の講師の仕事です。
夜に名古屋に入って、久々に「矢場とん」の味噌カツ食べました。
矢場とんの味噌カツ、味は濃いんだけど、なんだかさっぱりしているんですよね。
するする入っちゃう感じ。
私は、すりごまたっぷり、七味、マスタードを少々、がお気に入りです。
さて…今回のお題ですが。
私、実は、憧れの女性っていうのが、ほとんどいない人生を割と最近まで送ってきたのです。
唯一のあこがれだったのは、実は、向田邦子。
ほんとに四十路丸出し。
向田邦子との出会いは、中学生の時で、模試の国語の問題で、「父の詫び状」に掲載されている「昔カレー」の一説が抜粋されていたのです。
それを読んで、頭をでかい岩で殴られたような衝撃を受けました。
言葉にできない微妙な感覚がすべて言葉で表現されている…
問題解くのも忘れちゃうくらいの衝撃でした。
そのとき、彼女はすでに故人。
その後、彼女のエッセイ、小説を買いあさり読み漁りました。
特に「父の詫び状」は何回も何回も何回も読んで、最初に買った文庫本は、もうボロボロ。
東京の自宅にあるのは新しく買ったものです。
品物のいいもの、気に入ったものしか持たない(ただのブランド好きではない)、食いしん坊で料理好き。
そういう凛とした面影を少し遠くに見ながら、生きてきたはずなのに、似ているのは食いしん坊と40代で独身というだけで、日本語力もこのありさま。
向田さん以外には、いわゆる「憧れ」の対象を持たずに来ました。
ほら、若いころによく女性が持ちがちな、美しい女優さんとかわいいアイドルとかに憧れる、そういう感情がなかったのです。
ところが、最近になって、女性として、こういう人は素敵だなあと思う人がちょっと出てきまして。
ひとりは、坂東玉三郎。
いや~、若いころから、きれいな人だなあ(女性的な美しさという意味ですが)と思っていたんだけど、60歳超えて、さらに磨きがかかりましたよねえ。
最近歌舞伎界は非常に大きな悲しみを2度味わったわけですが、そのときにブラウン管の前にお姿を現した玉三郎様は…女装していないのに、女の色香がプンプン漂い、なのにいやらしさが全くなく、立ち居振る舞いが実に洗練されていて、「100分の1でいいから、この色気があったなら!!」と本気で思ったのでした。
今まで歌舞伎には全く興味なかったけど、玉三郎様の女形は、ぜひ一度観たいと思いました。
そして、もうひとりは、マツコ・デラックスです。
この人がいいなと思うのは、話術というか、おもてなしの精神、気遣いの精神、かな。
かなりずばずば言っているようで、他人を傷つけない言い方を心得ているんですよね。
それに、ものの見方が、常にツボを得ていて、角度も差し込む深さもすごい絶妙。
自分とは違う考え方でも、反発する気がてんで起きません。
見た目はデラックスですが、その繊細な精神は、恥じらいや気遣いが消えていく「おばさん化」が実に醜いということを教えてくれるように思うのです。
まあ、憧れているのは、いずれもDNA的には男性なのですが、この人たちにある女性的な部分に、私はひどく心惹かれているわけですな。
むりやり、この二人の共通点を探すと、女性というものに対して「第三者的」ということなんでしょう。
玉三郎様がヘテロセクシャルなのかホモセクシャルなのかわかりませんが、少なくとも日常生活は男性として送っているわけで、そうすると、彼は女性を客観視したうえで、女性らしさを追求し、体現してきたといえます。
マツコの場合は、もっと当事者的だけど、自分のことを「おかま」と呼んで、性的にも男性を維持しているところから見ると、やはり先天的な女性というものから少し距離を取って自分を置いているように思うのです。そのうえで、テレビの世界では、女性的ふるまいをしている。発言もおそらくそこを意識していることでしょう。
さらに、年を取ってから向田邦子の小説を読むと、決して恋愛経験が多い根っからのおんなの人生を送ってきたわけではないことがよくわかります。
つまり、私が憧れる「女性」的なものって、純粋に女的なものではなくて、何がしかバイアスがかかった大道ではないものなんではないかと思うのです。
そして、大道女の人生を歩めないこの私が、四十路にして独身なのもまた、必然ともいうべき事態なんだろうなあと思いつつ、今日はペンを置くのでした(ペンで書いちゃいないんだけどね)。
追伸
ここ数日、「仕事着に何を求めるか」の閲覧数が、爆発的に伸びていて、おかしいなと思って知人に聞いたら、「ゴ3ネタ」という法曹ごみ箱的サイトで抜粋されていたことがわかりました。
いやいや、びっくりした。
明日は、中部地方の依頼者二名と打ち合わせ。
土日は研修の講師の仕事です。
夜に名古屋に入って、久々に「矢場とん」の味噌カツ食べました。
矢場とんの味噌カツ、味は濃いんだけど、なんだかさっぱりしているんですよね。
するする入っちゃう感じ。
私は、すりごまたっぷり、七味、マスタードを少々、がお気に入りです。
さて…今回のお題ですが。
私、実は、憧れの女性っていうのが、ほとんどいない人生を割と最近まで送ってきたのです。
唯一のあこがれだったのは、実は、向田邦子。
ほんとに四十路丸出し。
向田邦子との出会いは、中学生の時で、模試の国語の問題で、「父の詫び状」に掲載されている「昔カレー」の一説が抜粋されていたのです。
それを読んで、頭をでかい岩で殴られたような衝撃を受けました。
言葉にできない微妙な感覚がすべて言葉で表現されている…
問題解くのも忘れちゃうくらいの衝撃でした。
そのとき、彼女はすでに故人。
その後、彼女のエッセイ、小説を買いあさり読み漁りました。
特に「父の詫び状」は何回も何回も何回も読んで、最初に買った文庫本は、もうボロボロ。
東京の自宅にあるのは新しく買ったものです。
品物のいいもの、気に入ったものしか持たない(ただのブランド好きではない)、食いしん坊で料理好き。
そういう凛とした面影を少し遠くに見ながら、生きてきたはずなのに、似ているのは食いしん坊と40代で独身というだけで、日本語力もこのありさま。
向田さん以外には、いわゆる「憧れ」の対象を持たずに来ました。
ほら、若いころによく女性が持ちがちな、美しい女優さんとかわいいアイドルとかに憧れる、そういう感情がなかったのです。
ところが、最近になって、女性として、こういう人は素敵だなあと思う人がちょっと出てきまして。
ひとりは、坂東玉三郎。
いや~、若いころから、きれいな人だなあ(女性的な美しさという意味ですが)と思っていたんだけど、60歳超えて、さらに磨きがかかりましたよねえ。
最近歌舞伎界は非常に大きな悲しみを2度味わったわけですが、そのときにブラウン管の前にお姿を現した玉三郎様は…女装していないのに、女の色香がプンプン漂い、なのにいやらしさが全くなく、立ち居振る舞いが実に洗練されていて、「100分の1でいいから、この色気があったなら!!」と本気で思ったのでした。
今まで歌舞伎には全く興味なかったけど、玉三郎様の女形は、ぜひ一度観たいと思いました。
そして、もうひとりは、マツコ・デラックスです。
この人がいいなと思うのは、話術というか、おもてなしの精神、気遣いの精神、かな。
かなりずばずば言っているようで、他人を傷つけない言い方を心得ているんですよね。
それに、ものの見方が、常にツボを得ていて、角度も差し込む深さもすごい絶妙。
自分とは違う考え方でも、反発する気がてんで起きません。
見た目はデラックスですが、その繊細な精神は、恥じらいや気遣いが消えていく「おばさん化」が実に醜いということを教えてくれるように思うのです。
まあ、憧れているのは、いずれもDNA的には男性なのですが、この人たちにある女性的な部分に、私はひどく心惹かれているわけですな。
むりやり、この二人の共通点を探すと、女性というものに対して「第三者的」ということなんでしょう。
玉三郎様がヘテロセクシャルなのかホモセクシャルなのかわかりませんが、少なくとも日常生活は男性として送っているわけで、そうすると、彼は女性を客観視したうえで、女性らしさを追求し、体現してきたといえます。
マツコの場合は、もっと当事者的だけど、自分のことを「おかま」と呼んで、性的にも男性を維持しているところから見ると、やはり先天的な女性というものから少し距離を取って自分を置いているように思うのです。そのうえで、テレビの世界では、女性的ふるまいをしている。発言もおそらくそこを意識していることでしょう。
さらに、年を取ってから向田邦子の小説を読むと、決して恋愛経験が多い根っからのおんなの人生を送ってきたわけではないことがよくわかります。
つまり、私が憧れる「女性」的なものって、純粋に女的なものではなくて、何がしかバイアスがかかった大道ではないものなんではないかと思うのです。
そして、大道女の人生を歩めないこの私が、四十路にして独身なのもまた、必然ともいうべき事態なんだろうなあと思いつつ、今日はペンを置くのでした(ペンで書いちゃいないんだけどね)。
追伸
ここ数日、「仕事着に何を求めるか」の閲覧数が、爆発的に伸びていて、おかしいなと思って知人に聞いたら、「ゴ3ネタ」という法曹ごみ箱的サイトで抜粋されていたことがわかりました。
いやいや、びっくりした。
2013年2月3日日曜日
AKBは末期症状
2回続けて芸能的なネタです。
どんだけテレビ好きだよ、と思われそうですが、私、テレビ大好きです。
テレビっ子です。
最近でこそ、NHKと限られた民放番組しか見なくなりましたが、テレビは、手近で最も優秀な娯楽と今でも信じています。
で、AKBのことですが…紅白ネタの時にも書いたんだけど、すでに、下り坂に入っていることは感じてましたけど、まさか、ここまでのアドバルーンぶち上げなきゃいけないところまで来ているとは思いませんでした。
最近、スキャンダル的な話題がAKB、増えてましたよね。
始まりは、指原さんのお泊りネタ。それで彼女は博多に飛ばされました。
その後は、河西さんとかいう人の「1万円生活」途中放棄事件、写真集の表紙差し替え。
これに細かいのを入れると、もっといっぱい出てくる。
こういうスキャンダル、純粋にスキャンダルとして受け止めている人って、どれくらいいるんでしょうねえ。
今日のサンデージャポンで、ミッツマングローブが「(例の坊主謝罪動画を見て)演出が入っている。悪趣味」という発言をしていて、「少なくとも謝罪動画のあたりから仕込が入っているだろう」という疑惑を呈していましたが、個人的には、仕込は、もっと前の段階からあったんじゃないかなと思っています(ミッツだって、本当はそう思ってんじゃないの?)。
坊主にした段階からか?
いや、あえて言おう(かなりな大胆予測か?)。
私は、お泊りしちゃったところから、仕込だったんじゃないかと思うのですよ。
要するに、AKBの運営サイドというのは、あらゆるところで、AKBがスキャンダル的なことを起こしてくれないかと、色々わなを仕掛けていると思うのです。もちろん、彼女たちが知らないところで。
それは、邪魔なメンバーを粛正するための手段であることもあるでしょうが、それに引っかかった子たちの反応を利用して、AKBに世間の注目を集めさせようという作戦…なんじゃないかと。
もちろん、手の込んだ仕掛けですよ。どれだけ大がかりだよ、コストにあわないだろという人もいるかもしれん。
しかし、そうではない。
彼女たちは、案外免疫がないはずです。
だって、今回坊主になっちゃった峯岸さんって、20歳でしょ。てことは、13歳くらいからAKBをやってるわけだよね。
普通に学校に行ってりゃ、男の子と普通に、好きだ嫌いだ、やれキスだなんだかんだとそれなりの免疫がついてきてたはずですが、思春期真っ只中に恋愛禁止の女の園に入れられたんですもの。
なにもわかりませんて。ひっかけるのなんて、簡単ですって。
で、まんまと主要メンバーの峯岸さんがひっかかってくれて、で、思いもよらない坊主頭という、ビッグな反応をしてくれた。
世間の大注目を集めることに大成功!!というわけです。
もちろん、拒否反応とか批判とか噴出するのは織り込み済み。
今まで、ここまで大げさな反応をこれしきの事でしていた芸能人はいないので、そんなこと百も承知なわけです。
反応が出ても、いや、出れば出るほど、テレビは取り上げてくれる。そうすれば、一定数の同情は集まる。話題性で仕事も来る。
すべて計算ずく、なんですよ。
AKBって、それぞれのグループにリーダーがいて、しかも高橋みなみが頭をやってみんなをひっぱてる形式になっているので、どことなく、メンバーの自主性が非常に重んじられている印象があったような気がするのです。
しかし、実態はそうじゃないんだなあ。
きっと、今まで出てきたどのアイドルよりも、大きな手に操られているマリオネット、操られていることすら気が付いていない、まるでお釈迦様の手の上の孫悟空、もっといえば、テレビシリーズのエヴァンゲリオンのシンジくん、なんですよ。
そういう仕掛けをしだしたのがいつからなのかはわからないけど、遅くても前田敦子の卒業が内部で持ち上がったあたりからは、こういう仕掛けはされていたんじゃないかという気がします。
そして、こういう仕掛けをしないと注目をされなくなってしまっていること自体、今後のAKBを担うスターが成長していないことの証であり、パフォーマンスで客を引っ張る力が落ちていることの表れだと思うのです。
秋元さんは、もともとAKBを一つのビジネスモデルとして考えていたようですが、そうすると、もうAKBは延命すればいいという段階に入っているんでしょうか。
海外輸出がもう少し進んでくれれば、秋元さん的にはAKB自体は消滅しても構わない、ということなんでしょうね。
それにしても前田敦子が辞めた時期は、すごくナイスな時期だった。
いや、これも一つの仕掛けだった、のかな?
どんだけテレビ好きだよ、と思われそうですが、私、テレビ大好きです。
テレビっ子です。
最近でこそ、NHKと限られた民放番組しか見なくなりましたが、テレビは、手近で最も優秀な娯楽と今でも信じています。
で、AKBのことですが…紅白ネタの時にも書いたんだけど、すでに、下り坂に入っていることは感じてましたけど、まさか、ここまでのアドバルーンぶち上げなきゃいけないところまで来ているとは思いませんでした。
最近、スキャンダル的な話題がAKB、増えてましたよね。
始まりは、指原さんのお泊りネタ。それで彼女は博多に飛ばされました。
その後は、河西さんとかいう人の「1万円生活」途中放棄事件、写真集の表紙差し替え。
これに細かいのを入れると、もっといっぱい出てくる。
こういうスキャンダル、純粋にスキャンダルとして受け止めている人って、どれくらいいるんでしょうねえ。
今日のサンデージャポンで、ミッツマングローブが「(例の坊主謝罪動画を見て)演出が入っている。悪趣味」という発言をしていて、「少なくとも謝罪動画のあたりから仕込が入っているだろう」という疑惑を呈していましたが、個人的には、仕込は、もっと前の段階からあったんじゃないかなと思っています(ミッツだって、本当はそう思ってんじゃないの?)。
坊主にした段階からか?
いや、あえて言おう(かなりな大胆予測か?)。
私は、お泊りしちゃったところから、仕込だったんじゃないかと思うのですよ。
要するに、AKBの運営サイドというのは、あらゆるところで、AKBがスキャンダル的なことを起こしてくれないかと、色々わなを仕掛けていると思うのです。もちろん、彼女たちが知らないところで。
それは、邪魔なメンバーを粛正するための手段であることもあるでしょうが、それに引っかかった子たちの反応を利用して、AKBに世間の注目を集めさせようという作戦…なんじゃないかと。
もちろん、手の込んだ仕掛けですよ。どれだけ大がかりだよ、コストにあわないだろという人もいるかもしれん。
しかし、そうではない。
彼女たちは、案外免疫がないはずです。
だって、今回坊主になっちゃった峯岸さんって、20歳でしょ。てことは、13歳くらいからAKBをやってるわけだよね。
普通に学校に行ってりゃ、男の子と普通に、好きだ嫌いだ、やれキスだなんだかんだとそれなりの免疫がついてきてたはずですが、思春期真っ只中に恋愛禁止の女の園に入れられたんですもの。
なにもわかりませんて。ひっかけるのなんて、簡単ですって。
で、まんまと主要メンバーの峯岸さんがひっかかってくれて、で、思いもよらない坊主頭という、ビッグな反応をしてくれた。
世間の大注目を集めることに大成功!!というわけです。
もちろん、拒否反応とか批判とか噴出するのは織り込み済み。
今まで、ここまで大げさな反応をこれしきの事でしていた芸能人はいないので、そんなこと百も承知なわけです。
反応が出ても、いや、出れば出るほど、テレビは取り上げてくれる。そうすれば、一定数の同情は集まる。話題性で仕事も来る。
すべて計算ずく、なんですよ。
AKBって、それぞれのグループにリーダーがいて、しかも高橋みなみが頭をやってみんなをひっぱてる形式になっているので、どことなく、メンバーの自主性が非常に重んじられている印象があったような気がするのです。
しかし、実態はそうじゃないんだなあ。
きっと、今まで出てきたどのアイドルよりも、大きな手に操られているマリオネット、操られていることすら気が付いていない、まるでお釈迦様の手の上の孫悟空、もっといえば、テレビシリーズのエヴァンゲリオンのシンジくん、なんですよ。
そういう仕掛けをしだしたのがいつからなのかはわからないけど、遅くても前田敦子の卒業が内部で持ち上がったあたりからは、こういう仕掛けはされていたんじゃないかという気がします。
そして、こういう仕掛けをしないと注目をされなくなってしまっていること自体、今後のAKBを担うスターが成長していないことの証であり、パフォーマンスで客を引っ張る力が落ちていることの表れだと思うのです。
秋元さんは、もともとAKBを一つのビジネスモデルとして考えていたようですが、そうすると、もうAKBは延命すればいいという段階に入っているんでしょうか。
海外輸出がもう少し進んでくれれば、秋元さん的にはAKB自体は消滅しても構わない、ということなんでしょうね。
それにしても前田敦子が辞めた時期は、すごくナイスな時期だった。
いや、これも一つの仕掛けだった、のかな?
2013年2月2日土曜日
園田さんだけが悪いわけ?
どうも。林です。
数日前に、閲覧者の数が延べ1000人を超えました!!
「独り言ちる」とか言ってる割に、小心者だったりするので、結構毎日閲覧者のカウントはチェックしていたりして、最近、ちょっとぐぐっと増えてる感じだったので、実は、仕事の合間に、布団に入る前に、ひとりでほくそえんでいたのでした。
今後も得手勝手に独り言ちます。
で、そういうめでたい?ことがあったのに、このネタですか、という感じです。
園田さんとは、結局辞任した、柔道の女子日本代表監督さんのことです。
私は、体罰容認派ではないです。
ただ、体罰をした張本人だけが責任を取る形っていうのは、どういう組織でも、ちょいとおかしいんじゃないかと常々思っているわけです。
今回の件も、そう思ったということ。
まあ、園田さんは、形としては自分でやめたわけなんだけど、これじゃ、次回のリオデジャネイロのオリンピックでも、日本の柔道はパッとしない成績で終わりそうですねえ。
体罰と虐待って、根っこは同じなんだろうなと思います。
要するに、①力の強い者から弱い者に対して、②いわれなく与えられ、③相手に屈辱感や絶望感しか与えない暴力のことをいうのでしょう。
よく、虐待や体罰事件のコメントを求められた人(一般人、コメンテーター)が、「自分の子供のころは、先生から、よくげんこつもらってましたけどねえ、時代が違いますからねえ」みたいなコメントをします。
この人たちは、目上の人が目下の人にふるう暴力が、現代ではすべからく体罰や虐待にあたると考えているのでしょうが、これは違うでしょう。
口より手のほうが早く出る人、というのは、世の中に必ず一定数います。
そして、そういう人たちから、一発が飛んでくるときは、①極度にその人のことを心配していた場合、②なんらか目の前の事態を止めなければならない場合のいずれかに該当するわけです。
切迫した事情がある、愛情がある、そういう中で飛んでくるので、「いわれない」とは言えない、そして、一発くらったほうも、くらった瞬間やその後に、くらった理由を理解するため、屈辱感や絶望感を味わわない。
思い出深く語られる「昔の先生のげんこつ」は、このたぐいのもので、だから体罰には当たらないんじゃないかと思うのです。
今回、園田さんがやっちまったことは、女子選手に吊し上げられた時点で、先にあげた3つの条件をすべて満たしていた、だから、明らかに昔の先生のげんこつとは違う、立派な体罰になるのです。
そして、体罰も虐待も、要は「コミュニケーションをどう図るか」の問題です。悪いことを悪いと教える、自分が不快であることを伝える、そういうコミュニケーションを暴力という形でしか伝えられない場合に、それが体罰、虐待になるわけです。
園田さんの体罰の多くは、柔道の指導の場面でくわえられたものでしょうから、前者に該当するんでしょう。
コミュニケーションの取り方を、人はどうやって学んでいくんだろう?
それは、当然、周りの環境から学んでいくわけです。
自分がそれまでに周りの人からとられてきたコミュニケーション、自分が見てきたコミュニケーション、それが間違いなくベースになるのです。
つまり、私が言いたいのは…
「こら、柔道連盟、体罰してたの、園田だけじゃないだろ!!」
です。
ロンドンオリンピックの日本代表スタッフの中にほかにいるだろ、ということを言いたいんじゃありません。
もう何十年も前から、脈々と、体罰の歴史が繰り返されてきてるはずです。
最初に地雷ふんじゃったのが、園田さんにすぎなかっただけの話では?
ちょっと前の大相撲と同じなんじゃないの?
それは、女子選手が、柔道連盟の頭を飛び越えてJOCに訴え出たことからも想像できちゃうわけです。
なのに、柔道連盟は、最初は園田さんを戒告処分にするだけで幕引きをしようとしてそれに失敗したとしてもなお、園田さんに辞表ださせて終わりにしちゃったわけですよ。
もしかすると来週の週刊ポストとか現代あたりには「園田だけじゃなかった!!柔道界の体罰体質」みたいなスクープが躍るんじゃないかと、なんとなく期待しています。
指導者誰もいなくなるんじゃない?というくらいの一斉摘発にならないかな?
ひょっとして、東京オリンピックの招致をしたいから、どこぞのお偉いさんのテコ入れで、これ以上はすべてお蔵入りになるのかな?
今回、こんな形で園田さんが吊し上げられたのは、ロンドンオリンピック前から、日本は金メダル取れないと言われ続けていて、いつにもまして、たたいたり蹴ったりが激しかったからだと思います。
それでも、もっと金メダルが取れてれば、こんな形で今の時期にいけにえにされることなんてなかったんでしょうけど、結局、体罰しても人間は成長なんかしないんだということが、これで証明されちゃった感じですね。
日本人選手のあの覇気のない試合の数々は、体罰だけを与えられて、勝つための有益な指導を受けてこなかったことによる自信のなさの表れだったんじゃないんでしょうか。
次にターゲットになるのは、どのスポーツだろう?
数日前に、閲覧者の数が延べ1000人を超えました!!
「独り言ちる」とか言ってる割に、小心者だったりするので、結構毎日閲覧者のカウントはチェックしていたりして、最近、ちょっとぐぐっと増えてる感じだったので、実は、仕事の合間に、布団に入る前に、ひとりでほくそえんでいたのでした。
今後も得手勝手に独り言ちます。
で、そういうめでたい?ことがあったのに、このネタですか、という感じです。
園田さんとは、結局辞任した、柔道の女子日本代表監督さんのことです。
私は、体罰容認派ではないです。
ただ、体罰をした張本人だけが責任を取る形っていうのは、どういう組織でも、ちょいとおかしいんじゃないかと常々思っているわけです。
今回の件も、そう思ったということ。
まあ、園田さんは、形としては自分でやめたわけなんだけど、これじゃ、次回のリオデジャネイロのオリンピックでも、日本の柔道はパッとしない成績で終わりそうですねえ。
体罰と虐待って、根っこは同じなんだろうなと思います。
要するに、①力の強い者から弱い者に対して、②いわれなく与えられ、③相手に屈辱感や絶望感しか与えない暴力のことをいうのでしょう。
よく、虐待や体罰事件のコメントを求められた人(一般人、コメンテーター)が、「自分の子供のころは、先生から、よくげんこつもらってましたけどねえ、時代が違いますからねえ」みたいなコメントをします。
この人たちは、目上の人が目下の人にふるう暴力が、現代ではすべからく体罰や虐待にあたると考えているのでしょうが、これは違うでしょう。
口より手のほうが早く出る人、というのは、世の中に必ず一定数います。
そして、そういう人たちから、一発が飛んでくるときは、①極度にその人のことを心配していた場合、②なんらか目の前の事態を止めなければならない場合のいずれかに該当するわけです。
切迫した事情がある、愛情がある、そういう中で飛んでくるので、「いわれない」とは言えない、そして、一発くらったほうも、くらった瞬間やその後に、くらった理由を理解するため、屈辱感や絶望感を味わわない。
思い出深く語られる「昔の先生のげんこつ」は、このたぐいのもので、だから体罰には当たらないんじゃないかと思うのです。
今回、園田さんがやっちまったことは、女子選手に吊し上げられた時点で、先にあげた3つの条件をすべて満たしていた、だから、明らかに昔の先生のげんこつとは違う、立派な体罰になるのです。
そして、体罰も虐待も、要は「コミュニケーションをどう図るか」の問題です。悪いことを悪いと教える、自分が不快であることを伝える、そういうコミュニケーションを暴力という形でしか伝えられない場合に、それが体罰、虐待になるわけです。
園田さんの体罰の多くは、柔道の指導の場面でくわえられたものでしょうから、前者に該当するんでしょう。
コミュニケーションの取り方を、人はどうやって学んでいくんだろう?
それは、当然、周りの環境から学んでいくわけです。
自分がそれまでに周りの人からとられてきたコミュニケーション、自分が見てきたコミュニケーション、それが間違いなくベースになるのです。
つまり、私が言いたいのは…
「こら、柔道連盟、体罰してたの、園田だけじゃないだろ!!」
です。
ロンドンオリンピックの日本代表スタッフの中にほかにいるだろ、ということを言いたいんじゃありません。
もう何十年も前から、脈々と、体罰の歴史が繰り返されてきてるはずです。
最初に地雷ふんじゃったのが、園田さんにすぎなかっただけの話では?
ちょっと前の大相撲と同じなんじゃないの?
それは、女子選手が、柔道連盟の頭を飛び越えてJOCに訴え出たことからも想像できちゃうわけです。
なのに、柔道連盟は、最初は園田さんを戒告処分にするだけで幕引きをしようとしてそれに失敗したとしてもなお、園田さんに辞表ださせて終わりにしちゃったわけですよ。
もしかすると来週の週刊ポストとか現代あたりには「園田だけじゃなかった!!柔道界の体罰体質」みたいなスクープが躍るんじゃないかと、なんとなく期待しています。
指導者誰もいなくなるんじゃない?というくらいの一斉摘発にならないかな?
ひょっとして、東京オリンピックの招致をしたいから、どこぞのお偉いさんのテコ入れで、これ以上はすべてお蔵入りになるのかな?
今回、こんな形で園田さんが吊し上げられたのは、ロンドンオリンピック前から、日本は金メダル取れないと言われ続けていて、いつにもまして、たたいたり蹴ったりが激しかったからだと思います。
それでも、もっと金メダルが取れてれば、こんな形で今の時期にいけにえにされることなんてなかったんでしょうけど、結局、体罰しても人間は成長なんかしないんだということが、これで証明されちゃった感じですね。
日本人選手のあの覇気のない試合の数々は、体罰だけを与えられて、勝つための有益な指導を受けてこなかったことによる自信のなさの表れだったんじゃないんでしょうか。
次にターゲットになるのは、どのスポーツだろう?