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2014年7月21日月曜日

ろくでなし子さんのお話

「ろくでなし子」さんといえば、あ~、あのニュースの人ね、と思い浮かべる人も多いことでしょう。

そう、女性器の3Dデータを配布しちゃったとかで、わいせつ電磁的記録頒布罪の疑いで警視庁に逮捕された彼女のことです。

この事件、逮捕後いったん勾留されたものの、勾留決定に対する準抗告(取り消せという申し立てのことです)が認められて彼女は釈放されたとか。

その後の記者会見では、弁護士もろくでなし子さんも、犯罪該当性がない、不当逮捕だと訴えており、海外報道陣も不当逮捕、女性差別などと見解を述べているとかネットのニュースに書かれています。

私の本業の方の同業者も、この事件、非常に敏感な方がわりに多数いて、やれ、不当逮捕だ、芸術に対する冒涜だなどなどとFBなんかで大騒ぎしていたりしました。

正直、弁護士としての私の見解はシンプルで、「逮捕はまあ仕方ないとしても、勾留するまでのこたあないだろ」(特に東京地裁は日本でも一番勾留しない裁判所ですからね)というもので、勾留されないよう、勾留決定を取り消すよう戦うのが、弁護人として正しい選択で、そこは徹底的にやらねばならんでしょ、というものでした。

が、弁護士としての見解はそこにつきます。

私も、アマチュアとはいえ、2年近くの間ブロガーのはしくれとして、このブログ(そして7月19日からはメシのブログ)で、表現する活動というのを行ってきました。

その立場からすると、今回の事件、詳細を聞いたときの感想は、「あんたそりゃ、捕まるでしょ…」というものでした。

今回の逮捕劇について疑問を投げかけてる人は、女性器を精巧に再現した(まあ、いわゆる大人のおもちゃの類なんでしょうが)オナホールなるものは販売されているのに、なんで3Dデータがダメなのか、などと言っています。

「完成した物体」とデータは全く違うでしょ。

「完成した物体」たるオナホールは、それを必要としている人しか購入しないわけで、まあ、通販なんかもあるでしょうが、しかるべきお店で基本、わりにひっそり売られているわけです。

だけど、「データ」の拡散なんていわば無限なわけで、このデータ入手した人は、3Dプリンターさえ使える環境にあれば、ある意味いつでも女性器作れるようになっちゃうわけですよね。拡散の危険があからさまに違う。

一緒に論じること自体、非常にナンセンスなんではないか。
素人が聞いたら、素直に「一発アウト」と思う、そういうレベルの行為なんではないかと思うわけであります。

そして、今回の件、「芸術だ」といえば、守ってもらえるという甘えがあるんじゃないか。
彼女を擁護する人権派を気取る人々も、「芸術だ」と言われて、守るべき存在だと勘違いしてるんじゃないか。
そう感じます。

例えば、これ、「自分は芸術家だ」と名乗っている人ではなくて、アキハバラあたりのアダルトショップの経営者がやっちゃって捕まったら、どうなるんですかね?

ニュースで仮に取り上げられた場合、ろくでなし子さんを擁護するような人でも、少なくとも何割かは、「そりゃやりすぎだろ~」「経営苦しかったんだねえ」などと鼻でせせら笑って終了。
弁護士だって、下手すりゃあなた「10日は我慢してね」なんて感じで、勾留を争ってくれることすらないかもしれません。

今回の事件の本質はまさにこういうことなのです。

「芸術だ」といえば、何でもかんでも許されると思うな。

個人的に、発信する側というのは、自分が発信したことによって、どのような現象が生じうるのかということを常に頭の中に置く責任があると思うのです。

こんな「自称ブロガー」の私ですらそう思います。
その自覚をもって、発生する影響を甘受して、その結果自分の身が危なくなるリスクを背負ってでもやる覚悟をもって実践して、初めてそれを「芸術」「表現」ということが許されると思うのです。
あんなことしといて、「自分のやってることが犯罪に該当するとは思っていませんでした」なんて、ボディがら空きも過ぎるのではないんでしょうか?

そして、「性産業」のなかで存在していた表現物の中でも、作品として大いに評価されているものはたくさんあります(昔のポルノ映画なんか名作が多いといわれてますよね)。
「芸術」と名乗ろうが名乗るまいが、それが人の心を打つのであれば、表現としては大きな価値があり、存在する意義があるはずです。

ろくでなし子さんの今回のこの件について大興奮している人は、「性産業」の中の表現物を全ていっしょくたにして見下して、物事の本質を見失っているような気がしてなりません。
表現物の価値っていうのは、ジャンルではなく、そのものが持つ魅力で判断すべきものなんではないんですかね?

「芸術」「芸術」と連呼して許してもらおうとするその欺瞞に満ちた姿に、どうしようもなくエロイものをとめどなく頒布させる危険が感じられたからこその摘発劇だったのではないか、ハヤシは、傍で見ていてそんな気がしてなりません。


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