来週の開業を前にして14日夜から帰省しているハヤシです。
寒い!!
札幌寒すぎます!!
例年、この季節、もう少し暖かかったような…あんまり寒くて、なぜかギャル御用達ブランドSLYでライナー付きのブルゾン買っちゃいました。
ライナーに、フードのファーつければ、真冬でも越せるぞ…くらいな勢いです。
さて、本日のタイトル、何やら怪しい雰囲気です。
実は昨日のこと、とある方とお会いしていて、その方の様子が今まで会った時の感じとあんまり違うので(非常に力強く、パーっと明るい感じ)、なんだろなあ…と思っていたところ、お会いしたあとに、その人にとってかなりな朗報が一度に2つ飛び込んでくる、ということがありました。
この手の体験は非常に久しぶりなのですが、実は今までにも何度かあるのです(考えてみると、いい知らせのオーラを感じるというのは初めて体験だったかも)。
例えば、20代から30代にかけて、いつも通っていたスパゲティ屋さん。
お店の方の接客も、スパゲティの味もいつもと変わりない。
お客さんも入っている。
なのに、お店全体がシーンと活気がない雰囲気を強烈に感じる…
直後に閉店のお知らせがあった、とか。
いつもカラスが来ない私の部屋の側に、朝、やたらカラスが飛んでいる…
その日の夜、祖父が亡くなったという連絡が入った、とか(これ、実は祖母が亡くなった時もそうでした)。
ずっと以前に親しくしていた方が、「昔相当やばいことをしていたことがある」と話していて、あえて追求しなかったのですが、あるとき、その人の後ろに座っていた時に、それがなんだったのか、不意に分かってしまった、とか(事前情報は全くないです。自分の感触としては、その人の背中から情報が飛んできた感じ)。
体験談を挙げていけば、それだけで今日のブログ終わっちゃいそうなんで、この辺でひとまず、終わりにしときます。が、枚挙に暇がないとまではいえないけど、過去振り返ってみると、この手の話、結構自分あるなあ、しみじみ。
実は、ハヤシの家は、母方の親族が、言葉は悪いが「オカルト一家」であります。
特に、7年前に98で亡くなったばあちゃんが凄くて、いやもう、人に見えないものがよく見える。
亡くなる直前直後の「ちょい遠めの親戚」がよく来る。
病気の孫が幽体離脱して飛んでくる(直後に回復)。
ついでに自分も幽体離脱しちゃう。
という不思議な人でした。
子供の頃から「出た」「どこそこの誰某さん(故人)が来た」だのいう話は、もう日常茶飯事で聞いていました。
おまけに、私は、はっきり見えはしないものの、妹がわりに見えちゃうタチで、修学旅行の時に、トンネルで黄色いヘルメットかぶった人が正面から歩いてきて消えた、みたいな話も何回か聞いたりしていました。
そんなわけで、この手の話にはすっかり耐性というか免疫がついていて、自分的には「科学で解明できないことが世の中に存在していて当たり前」という価値観がすっかり出来上がってしまっておりました。
ただ、世の人の中には、それを絶対的に全力で否定したいタイプの人もかなり多くおりまして、個人的にも、それで非常に疎外感というか異質的な目で見られた体験があります。
特に私のいる業界のようなところでは、そういうものは全く信じない、信じるべきではないという方が多いことは否定できないでしょう。
確かに、「超能力」だの「霊能力」だのを持ち出して、人の弱っている心の隙間に入り込んで多額の金をかすめとる…みたいな霊感商法は、もう、最悪です(私も最近この手の被害者救済に関わりつつありますが)。
が、こういうものの横行を排除しなくちゃならんということと、「スピリチュアルなものの存在を肯定するか」ということとは、全く別なんではないか、と常日頃、ハヤシとしては、思っているのであります。
インコグニションであるとか、読心、予知、その他の霊的な能力というのは、おそらく本来人類が持っていた能力だとハヤシは思っております。
が、人間、使わない能力は退化するわけで(後で触れますが、個人的にもそういうことを実感する部分がある)、文明が発達し、人間がその感性を全力投球して研ぎ澄ます必要がなくなっていくに従って、いくつか(もしかすると大部分)の能力は消えていってしまったのです。
が、どんな種にも突然変異というのはいるわけだし、能力のあるなしも、所詮、相対的なものに過ぎない。勘が鋭い人と鈍い人、音感がいい人と悪い人、がいるのと同じようなもんだろうと。
そんなわけで、人類の多くが過去に置いてきてしまった能力を備えた状態で生まれ落ちる人間というのがこの現代においてもいる…ただ、それだけの話なんじゃないのかな、と。
当然、稀少?能力を持っている人間でも、その鋭さの程度には差があるのではないかと思います。
個人的には「人間が本来持っていた能力」を詐欺の道具に使って不当に荒稼ぎすることは、さっきもちょっと書いたけど、天に唾する行為で、非常に許せん。
ただ、一方で、こういうスピリチュアルな話を信じない人は、信じてる人、信じたい人に対して、真性の馬鹿とか精神障害者でも見るような目つきで、全力で否定したり非難したりしないで欲しいのです。
実は、この手の話を信じることによって、説明がつくことと、心の納得が得られることというのは、思いのほかたくさんあったりするのです。
それで、心の安定を得られて、人に迷惑をかけず、社会の一員として普通に生きていられるのであれば、非難されるいわれはないわけで。
逆にこういうものを全力で否定する人たちばかりが周りに大勢いる場合に、同じ感覚を持っている人を求める気持ちから、よろしくない宗教(当然真の宗教ではない)であるとか霊感商法に走るメンタリティが生まれてきちゃうと思うんだよなあ。
私なんかからすると、科学や理屈で説明できることしか信じられない人って、普通に人間関係を築けるのか、とかなり疑問だったりもするのですが(人間関係って、多くは、そのこあにあるのは目に見えない「ホワン」としたものですよねえ)…
いや別にね、独立前のプレッシャーで、こいつ頭がおかしくなったんじゃないかと思われる人は、別に、それで結構です。
でもね、例えば小学生の頃、聞いてもないのに、同じクラスの子、ほぼ全員が早生れか遅生まれかとか、どういう兄弟がいるか一発で分かったり(今は全くわからない)、自分自身の幽体離脱情報2回聞いたり(両方とも本人爆睡中)、眠っていても地震が来る数秒前に目が覚めたりって、あなた、それ全部説明してくれるんですか、って話ですよ。
ハヤシとしては、今までこういう自分の感性を「なんとなくあるんだなあ」という放置状態できててしまった結果、なんのコントロールもできないというのは、個人的にもどかしく、自分のアイデンティティを確立しきれないひとつの要因になっているよなと感じなくもない。
というわけで、ちょっと、そろそろまともに向き合いたいな、とか思っているんですが、向き合い方自体が非常に難しい。
なんせ、本を読もうとしても、ネットで情報拾おうとしても一見して胡散臭いものしかないからさ…
この悶々、さて、いつまで続くのやら…
注)そんなわけで、このブログを見て、何か勧めるお方が出てくるとしても、あたしゃ、そう簡単には乗りませんぜ。一応弁護士なんで、声かけようと考えているよこしまなエセ・スピリチュアルさんがいたら、とりあえずやめておきましょうね。
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