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2015年1月31日土曜日

弱り目に、祟り目。

病院に来てます。
って、このフレーズ、2週間前の土曜にも書いたような。

今日は検査の結果を聞きに来ました。
といっても、月曜日に風邪の症状できたときに、違う先生から一応の結果は聞いているのですが、指示・投薬等は改めて担当の先生に、ということだったので、来たわけです。

この間、メシのブログからも分かるとおり食欲は増してきました。
が、いつもの風邪の予後と同じように、せき喘息持ちのワタシは咳に悩まされはじめ、声がおかしくなってきた・・・
さらに、昨日の午後3時ころ、3日ぶりに仕事で外出しようと化粧(といってもパウダーはたくくらいですが)するために鏡を見たところ・・・

右目が赤い!!!
えー!!!

そういえば、朝、なんだかやたら目が乾く症状がありました。
起きたときには、目の回りにカピカピの粒が。
結膜炎か?

このとき、頭をよぎったのは、「今の体調なら、ウイルス性の結膜炎ってこともありうる!!」ということでした。
何年か前に妹がウイルス性の結膜炎になったとき、そりゃ大変でした。
仕事は休めといわれ、タオルは家族と分けろ、といわれ。
そう、ウツる可能性があるからです。

近所に眼科があることを思い出し、電話したところ、6時半まで受付してくれるとのこと。
霞ヶ関で仕事を終えた後、直行しました。ぎりぎり5分前に飛び込んだ感じ。

アレルギー性結膜炎と思われる、とのことでした。
思われる、というのは、現状確定できないから。
アレルギー性とウイルス性、初期症状が似ているそうで、ただ、ウイルス性だと、もっと目が赤くなり目やにがドバドバ状態なので、発祥からこの時間でこの程度なら、おそらくアレルギー性でしょうと。花粉症もあるし・・・

そう、早くもスギ花粉がハヤシの体をむしばみ始めたのです。
昨年は、1月中頃に早くも鼻水が出始め、主治医もびっくりの早期スギ花粉罹患を体験したため、今年は正月を過ぎた頃からアレグラを飲み始めて、鼻の対策はそれなりにとっていました。
が、目を忘れていた・・・この数年は、市販の目薬でそれなりにコントロールできていたので、すっかり油断していました。

幸い症状が劇的に悪化していることもないので、医師の見立て通りアレルギー性と思われます。

しかし・・・弱り目に祟り目、とはまさにこのこと。
ちょいと落ち込みました。

ここ1、2年、花粉症に罹患するのがやたら早くなっているのですが、もしかすると、以前持っていたでかい空気清浄機をじゃまくさくて処分して小さな「花粉除去機能もある」集塵機に切り替えたのが原因かな、という気もしています。ワタシの体にはパワー不足、なんでしょうか。

そんなわけで、本格的な花粉シーズン到来の前にちゃんとした空気清浄機買おうと思っています。

ところで、食欲が増してきたので、食べる量を増やしているにも関わらず、体重が全然増えません。というか、さらに微減。
体の備蓄を使い果たし、備蓄できる分だけ、まだ食べれてないということか。

まだまだ無理はできないけど、食べれるだけ、食べよう。ハヤシ。
診察終わったので、この後どこかで軽く食べます。

2015年1月28日水曜日

ハヤシ、食っちゃ寝生活。

沼津出張2日目、午後に発熱しました。

出張の中身は研修講師で、受講生のプレゼンにいちいちコメントしたり、自分もデモしたり、が丸一日続くハードな内容。

で、午後のデモ直後に発熱。
悪寒と倦怠感の中、帰宅したら、7度8分の熱があり、慌てて寝ました。

翌日熱は下がりました。
どうも今回は上気道炎だったみたい。

月曜にハードめな仕事をキャンセルして早めに休み、昨日は週一の裁判所の仕事にでました。
裁判所の仕事は、体力面では、いつもの業務よりはちょっとラク。

な、はずなのに、終わった後のヨレヨレ感は半端なく、今日も起きた後の疲労感がひどい。

元々家にいて仕事する予定でしたが、仕事はやめて、のんびりすることにしました。
書類仕事が溜まっていて、かなりドキドキしてますけど…

食欲は戻って来ているので、食べ過ぎに注意しながら、パクパク食べて行こうと思います。

しかし、土日働いたんだから、別に休むのにドキドキする必要もないわけで。
人に迷惑かけても休まなきゃいけない時もあるわけで。

と、思いつつ、気になっちゃうのが、小心者の証、なんでしょうな。


2015年1月23日金曜日

噛めば噛むほど。

沼津にいます。
明日明後日と研修の仕事で、本日沼津入り。
午前の仕事が蒲田方面だったもので、そのまま事務所に行くのも面倒くさくなり、品川からこだま、在来線と乗り継いで、1時過ぎには沼津に入りました。
ちと早いかなとは思いましたが、場合によっては、掃除が終わった部屋に通してもらえることもある・・・でホテルに行ってみたところ、やっぱり駄目でした・・・
で、仕方なく近所のマックで仕事。先ほど、チェックインしたところです。

6時前には打ち合わせのため出かけます。

さて、胃腸のことについては、「ハヤシのメシ」で飯をアップしているので、「量が少ないけど大丈夫か!!」などと皆さんからご心配頂いております。
ぐぐたすでつながっている皆さんは、ほぼ面識がない方ばかり。
なのに、心配していただいて、ありがたいことでございます。

結論からいうと、100パーセント大丈夫、といいきれる状況ではありません。
いや、自分が自信をもってそう言えないというのが表現としては正しいのでしょう。

前回投稿でも書いた通り、アタクシのこの疾患は心的なもので、その時の心理状態・精神状態によって、おそらく大きく左右されるわけで、で、そういう内的な問題ってものに、自分はおそらく非常に鈍感だったりするようなので、いつ何時悪化するかというのが、嫁中たりするわけです。

そうすると、これはもう「波があること」として受け入れなければならない。
「これは食べると来そう」というものを食べると、たぶん来る。
そうじゃなければ、大丈夫。
そういう状態でした。つい、おとといくらいまで。

が、昨日の朝、「これは…もっと食べないとやばい」ことを自覚しました。
ヨーグルトとか、ウィダーインゼリーとか、お粥とか、うどんとか、そんなものばかりに頼ってはいられんと。
体重がついに50キロを割ったんであります(しつこいようですが、私の身長は169センチ)。

ちなみに、体重が50キロを割ったのは、10年以上前に細菌性大腸炎をやった時以来です。この時は、一瞬47キロまで落ちてなんとか49キロまでその後回復したものの、50キロ台に戻るまで1年ほどかかりました。
昨年6月にウィルス性大腸炎やった時も、50の大台は割らなかったのですが…

さすがに50割れはやばい。確かに、体力はメキメキ落ちてるし…
食べな!!
と、食べる覚悟ができてきました。

ただ、いきなり平常職に戻すのはまだ怖い。
実は、ワタクシ、見かけによらず、てんぷら、フライ、から揚げなど、油ものが結構好きなタチです。
ですが、今の体調というか心理状況で、いきなりここに行くのは、まだハードルが高い。
が、しかし、ちょっと歯ごたえありめのタンパク質的なものは、そろそろ摂取していかないと…

胃がちっちゃくなっているだろうから、一度にたくさんの量のものを食べるのも無理でしょう。
というわけで、小刻みに少しづつ摂取していかねば…
と、「食べる算段」を考えていたわけですが、実は、私が最も気をつけねばならないことは、こんなことではないのです。

よく噛んで、ゆっくり食べる。
これがハヤシに課された最大の課題なのです。

ハヤシ、どえらい早食いです。
周りがあきれるほどです。
ご飯味噌汁揚げ物に小鉢2品くらいだったら10分かからずに食べれます。
うどんやそば1杯なら、3分くらいです。

つまり、噛んでない、ほぼ。

これが胃痛を招き、胃腸の症状を不安定にしていることは明らかなのですが…この仕事始めてから、余計早くなったような気がします。
そして、胃腸を悪くするたび、一時的によく噛んでゆっくり食べるようになるのですが、気が付くと、元に戻っているわけです。

が、今回、私は誓いました。
二度と元に戻すまいと。
今後一生ゆっくり食べてみせると。
なぜか?

ゆっくり噛んで食べたほうが、圧倒的にうまい、ということに気が付いたからです。

唾液というのは不思議なもので、甘みやうまみといった、その食べ物が本来持っている味の良さを、噛めば噛むほどぐいぐい引き出すのだということに気が付きました。

これに気が付いたのは、家で粕漬の魚を焼いて食べたときです。
魚の身って、こんなに甘くておいしいんだ・・・そう思いました(もっとも、魚久さんの粕漬の技が一番の理由だとは思うのですが)。
パンだって、リンゴだって、おでんの玉子だって、ちくわだって、みんなみんなおいしさ倍増するのです。
ちなみに、今、これを書きながらソイジョイ食べましたが、噛めば噛むほどピーナッツの味が香ばしくなっていきました。「噛めば噛むほどなんとやら」とはよく言ったものだ、とつくづく思います。

なんか、人生かなり損していた気分。

そして、ゆっくり噛んでいると、味を濃く感じることもわかりました。
味付けは薄めで大丈夫。つまり、塩分を抑えることにもつながるわけで。

しかも、ボリューミー(とはいえ、お粥やうどんに比べて、というエクスキューズ付ですが)なものを食べても、ゆっくり噛んで食べれば、食後の胃腸がかなりかなり楽。

胃腸の負担が軽いのは明らかで、そうすると、巷で言われているように、ゆっくり噛んで食べることは健康にもいいということを実感いたしました。

で、今の私は、むしろ食べすぎなくらい食べたほうがいいのかもしれないのですが、ゆっくり食べると、食べている最中にお腹いっぱいになるというか、疲れる(噛むことは体力を使う)ので、たくさんの量を食べないで済む。つまり、満腹中枢がやられている人以外は、肥満防止にもなるというわけです。

いいことだらけじゃん!!!

こんなことに45になってはじめて気づくところが、どうにもアホくさいのですが、心もとない健康状態になって、生きることの基本を実感するというのも、ま、悪くないのかなあと…

今日は打ち合わせの後、おそらくみなさんとディナーということになります。
こういう宴席では、あおられがちなので、なかなかゆっくり食べるのが難しいかもしれませんが、誰よりもゆっくり食べて、誰よりも静岡おでんや魚介類を味わってやろうと思いました。

というわけで、いってきます。


2015年1月17日土曜日

申し訳ないです、の真相とその後。

病院に来ています。いつものかかりつけの病院とは違う病院です。
病院を変えてやろうと決意して、ネットで探してきた病院です(したがって、いい病院なのかどうかは分かりません)。

先週末、ブログを休載しました。それと、今日病院を変えたことには深く?関わっておるわけです。

先週の土曜日の夜のことでした(昼間はふつうに出歩いていた。ま、今にして思えば、いつもの休みの日よりも多少体は重かったかもしれません)。
寝ようとしたら、動悸がでました。これもたまにあることなので、あまり気にも止めず、医者からもらっていた軽い精神安定剤を飲んで寝ました。
いつもなら、朝になれば動悸は収まっています。
が、この日は朝になっても収まっていませんでした。
ま、これもごくたまにではありますが、なくはないこと。なんだか調子悪いなあと思いつつ、食欲はあったので、ふつうに遅い朝御飯を食べました。

その最中から、恐ろしい倦怠感に襲われました。
食事を食べ終わるころには、もう、食器を洗うことさえしたくない、このまま寝たい、と思うほどの倦怠感でした。
とりあえず、こりゃ尋常じゃないなと思い、何とか食器だけは洗って布団に入りました。

すると、今度は多少の悪寒、結構ひどい筋肉痛が伴ってきました。試しに熱を計ってみると7度2分。微熱程度です。
しかし、のども痛くないし熱もないし、下痢したり嘔吐したりするわけでもない。自分でもなにがなんだかよく分からないけど、体調だけは激悪という状況で、とにかく起きていることができず、寝ていました。

夜の6時過ぎだったでしょうか。
熱が多少上がって7度7分くらいになりました。が、体のだるさは、わりととれている。
そして、なぜか、強烈にお汁粉が食べたくなりました。
冷凍にしていたお持ちとゆで小豆でお汁粉を食べたところ、胃痛腹痛を感じました(それとて強烈なものではない)。

その後、さらに眠りました。
起きあがると、さらに体は軽くなっていて、水が飲みたい感じに。
近所のコンビニにスポーツドリンクやウィダーインゼリーを買いに行って、就寝。

翌日、胃の膨満感や腹痛が前日より悪くなっていました。
この日は成人の日。病院は休みです。が、区の保健所が休日診療をやっていることを知り、とりあえず行ってみることに。
診断は、胃腸風邪でした。

ハヤシは昨年の6月に強烈なウィルス性胃腸炎をやったあと、胃腸の調子が反復継続的に芳しくなく、逆流性食道炎、過敏性腸症候群の診断が下っており、ずっと投薬生活を送っておりました。
で、保健所のお医者さんにも、そのことは説明して、現在処方されている薬を話しました。お医者さんは、そこで処方されている薬にプラスする薬を出してくれて、できれば、いつものお医者さんに行った方がいい、と言いました(ま、そりゃそうだよね)。

あけて火曜。
この日は、定例のどうしてもいかねばならない仕事があったので、日中なんとかそれをこなし、夕方、かかりつけの病院へ。
連休明け、かつインフルエンザ流行のためか、病院は混んでおりました。
受付の方に簡単に状況を説明、20分位して診察室に呼ばれました。

先生、パソコン画面に目をやったまま、私から事情を聞くこともなく、まず、ため息一発。そして、開口一番、なぜか怒り口調で、こう言いました。

「ハヤシさんさあ、体調悪かったら、薬の量増やしていいって、言ったよねえ」

え?いきなり、その反応っすか?

確かに言われたことはありました。
しかし、既に一度薬の量は増えており、しかも種類は複数でているわけでなにをどこまで増やしていいか、分からん。

その後も先生はめんどくさそうに私の触診をしたり、脈をはかったり。その様子に、腹は立ってくるわ、悲しくなってくるわ・・・

私は不安だったのです。
自分が体験したことのない異様な熱の出方、引き方。その後の胃腸の不調。なのに、まともに話を聞いてくれることもなく、いきなりこの対応。

「・・・自分もかなり具合が悪くて不安でここに来たのに、いきなり、そんな風に大きな声で怒られたら、困ります!」

言うべきかどうか一瞬悩みましたが、ええい、ままよ!!と思い、こう言いました。
先生、さらに不機嫌になり、初めてこちらを見ました。
「だって、こんなの感染症に決まってるでしょ」
「わかりませんよ、そんなこと。」
その後も、先生、「未体験のことなんて、これからいくらでも起こるよねえ」「いちいちいちいちこんなことで病院に来てたら、大変だよ」などなど、自分の正当性をやたら主張します。

そのうち、なんだか病院でこんなやりとりしているのが本当に本当に情けなくなって、涙がこぼれてきました。

それ見て、先生、初めてひるみました。
ごめんねと言いながら、どこまで薬を増やしていいか、など紙に書いて説明を始めました。私の腕をさすりさすりしながら(うえ~、きもっ)、「他に何か聞きたいことない?」
「いえ、大丈夫です、ありません」とワタシ。翻訳すると「おめえに聞くことなんて、金輪際ありゃしねえよ!!!」ということなわけですが。

こんな病院、二度と来ない。そう決めました。

ただ、薬はもう切れそうで、この身体状況、なかなか薬なしで過ごすというのもかなり不安。
そこで、ネットでかなり時間をかけて病院を調べ、やって来たわけです。

今までと違って、内科以外の科も複数ある検査設備もそろっている病院。とりあえず症状を説明したら、すぐに超音波検査をしてくれて、その他尿検査、便検査、血液検査なども実施。2週間後に検査結果を危機に来ることになりました。

実は、昨日までハヤシはさらに気持ちがドツボにはまっていて、次行く病院でも、あそこのあいつみたいな医者が出てきたらどうしよう?
そんな恐怖心を持っていました。

が。
仕事でつながりがある整形外科医兼心療内科医の先生に、ちょっと電話して相談してみたのです。
そうしたら、「その病名ふたつ並んでると、心的なもの以外の何ものでもないですよねえ」と一言。
「だから、ほんとはね、仕事のスタイル変えるとか環境変えないと治んないんだけど、まあ、無理だよねえ。」

病院はいつでも紹介できるし、「いつでも電話してきてください」と言ってくれました。
ま、でもさし当たり、違う病院に行って検査してもらうのがいいかもね、そうも言われました。

これで、すごーくすごーく気持ちが救われました。

どうせ長いこと治らないんだったら、次の病院がいまいちだと思った時点で、また先生に相談すればいいじゃないか。
自分で、薄々そうだろうと思っていた、でもそう確信することが怖かったワードが出てきて、とてもホッとしたし。

そんなわけで、吹っ切れてとりあえず今日の病院に来て、まずは調べましょう、と言ってもらえた、というわけです。

しかし、前の病院のトンでも医者ですが、今まであんなこといわれたことはありませんでした。
たぶん、病院が混んでて、裁ききれなくてイライラしていたところに、「極軽症」とみなしていたワタシが、深刻な顔して飛び込んできたので、「おまえなんか診てる暇ねえんだよ!!」とイラッと来たんだろうなあ。
人の信頼が崩れるのなんて一瞬だよね~。改めてそう感じました。

医者と弁護士の仕事のあり方って、割とパラレルだと思っています。
話を聞くのが、仕事の7割。
まず、話を聞くこと。
頭ごなしに決めつけないこと。
あいつを反面教師にして、自分はいい仕事してやろう、そう思いました。

・・・てな決意が、またストレス生むんだろうな。気をつけます。

2015年1月11日日曜日

申し訳ないです。

原因不明の体調不良に昨日夜から陥っています。
今週末、更新断念します。

皆様もご自愛くださいませm(__)m

2015年1月7日水曜日

どーした、安藤!

平日のこんな時間に失礼します。

年末年始食べ過ぎて、胃の調子が芳しくないため、早めに帰宅して胃に優しい食事をとっています。で、自宅にいるわけです。
なんだかどうでもいいはずなんですが、なんかちょっと書きたくなってしまいました。

安藤ちゃん。
子供の顔は出しませんとか当初言っていたのに、フェルナンデスとのスリーショットであっさりお顔全開させちゃいました。
で、結構非難轟々になってしまって、逆ギレ。「私の人生は私のもの」とか言っちゃいました。

これが、フェルナンデスという、お金もありそうなイケメン王子様をゲットしちゃったがゆえのご乱心での言動・・・ということであれば、あれこれ書くまでのこともありません。非常に残念、の一言で終わってしまいます。
しかし、安藤ちゃん、場数は色々踏んでいるはずでしょうから、よもやそんなこともあるまい。
で、「恋愛で舞い上がっているわけではない」という前提で、彼女の言動を考えていたところ、いくつか思い浮かんだことがありました。

まず、彼女、真央ちゃんとか鈴木明子さんとかに対する選手としての敗北感がハンパなかったんだなあ、と思いました。
成績だけ見れば、そんな敗北感な感じる必要なんか、これっぽっちもないのですが。

特に真央ちゃんとの比較で見れば、真央ちゃんが世界女王3回であるのに比べ、安藤ちゃんは2回。
2回目に優勝したときのフリーの演技は、迫力満点で、フィギュアスケート史上に残る名演の1つに入ると、ハヤシ的には思うのであります。
棄権した1回を除けば、入賞を逃したことも、ほとんどなかったはず。オリンピックも、トリノはアイタタだったけど、バンクーバーは5位だったし。

が、彼女にしてみれば、自分の選手としての立ち位置に、ここ数年は特にイライラしていたように思うのです。
真央ちゃんは、不振に苦しみながらも「トリプルアクセルの真央」を決して捨てませんでした。どんなに不振でも、日本女子の絶対的エースとして君臨してきました。
あっこちゃんは、対照的に「表現力の鈴木」として、そして、その落ち着いた風貌から、まとめ役的な位置にうまくはまり、男女の垣根を越えて、フィギュアスケートの日本代表には欠かせない存在感を放ちました。

これに対して、安藤ちゃんは、語られるのはモロゾフとの関係ばかり。プログラムが話題になることもなく、選手としての持ち味も、ここ数年は「???」という目で見られていました。「欠かせない日本選手」とは
思われなくなってしまった。

安藤ちゃんが、選手としての立ち位置を失ってしまったのは、4回転を封印してしまったことにきっかけがあるように思うのです。
少なくとも10代のころは、彼女、チャレンジし続けていた。回ってはいませんでしたが・・・で、「飛ぶ飛ぶ詐欺」とか言われ始めました。モロゾフも、途中から彼女に4回転を飛ぶのを禁じました。

実は選手としての成績は、この後の方が安定してきたんだけど、単に安定した選手にすぎなくなってしまったわけです。

真央ちゃんは、どんなに不振でも(ま、途中1年ほど飛ばせてもらえないことはあったにせよ)、トリプルアクセルにこだわり続けた。自分の持ち味を捨てなかった。正しく言うと「捨てることを無理強いされなかった」。
なのに自分は4回転を捨ててしまい、あっこちゃんのような圧倒的な表現力もない、非常に中途半端な選手で終わってしまった・・・

で、安藤ちゃんは「せめて女として勝ちたい」と思ったに違いないと、私は思ったのであります。
噂が本当だとすれば、真央ちゃんには、ろくな恋愛経験がない。あっこちゃんも、年末の「スポーツ酒場語り亭」での発言によれば、モテ期未到来。安藤ちゃん、ここだけは勝っていたのであります。

女の幸せって何だ。
恋愛して、いい男ゲットして、子供作っていい母親になることだ!!

たぶん彼女的には、順番は変わっちゃいましたが、今、それを実践している最中なのだと思うのです。だって、そうじゃなければ・・・あんなに露出しないだろうし、ほっとけばいいネット上の「叩き」に対して、ムキになって反論しないでしょう・・・

彼女、今、自分が幸せの絶頂にいると信じたいんだろうなあ。そうじゃないと、自分のアイデンティティが保てないんだろうなあ・・・
いやね、私の同業者なんかには、彼女のインスタグラムの言動なんかをかっこいいとか言っちゃってる人が結構いたりするんですが、そういうのって「言葉」しか見てないよなあと思うんですよねえ・・・

彼女の見せつけの対象って、世間であり(私は、女としてはこんなにいけてるんだぜ!!真央や鈴木明子なんて、スケートしかできないんだぜ!!みたいな感じ)、実は日本スケート連盟でもあるんだろうな、と思います。
だって・・・やっぱり、ある時期から、安藤ちゃんのこと、連盟は冷遇してたでしょうから・・・

それ考えると、安藤ちゃんは気の毒でもあり、余計に痛々しいのです。そして、「恨みって怖いねえ」なんて改めて思ったりして・・・
やればやるほど叩かれて、そのうち誰もかっこいいなんて言ってくれなく
なるんだぞ、そのうち忘れ去られるんだぞ、ということに、いい加減気づけば、もっと楽になってもっと楽しい人生が待っているはずなんですがね。

さて、もう1つ。
彼女、子供は自分とは別な独立した存在であるということを、たぶん、全く分かっていないということが、非常に非常に非常に気になるのであります。

これ、子供を産んだ女性であれば、多かれ少なかれ、持っている感覚なんだろな、と思います。いわゆる「子供は私の分身」「子供のことなら何でも私は分かる」みたいな思いこみと、その延長線上の「子供は私と一心同体なので、私がどうにでもしていい」という感覚を無意識のうちに持っているということです。

モロゾフとの恋愛沙汰が大きく話題になって、で、その後に生まれた「安藤美姫」の子供なんだから、ただでさえ世間の好奇の目にサラされやすいことは、よほどのアホじゃなければ分かるはず。

で、子供には子供の人生があるということを肌で分かっているのであれば、「子供のことは出さない」という姿勢を180度転換させて「隠しごとしたくない」という極めてエゴイスティックな動機の元で、全世界発信のインスタグラムに子供の顔アップしないだろう・・・
母親としてのポリシーが、見られないのであります。
そう、確かに、あなたの人生はあなたのものだ。
つまり、子供の人生は、子供のものなんだよ!!

これ、面と向かって安藤ちゃんに言ってもだめです。
というか、安藤ちゃんに限ったことではない。いわゆる「子と一体型母」のほとんどは、自分が一体化していることに全く気がついていないので、「子供を別な存在として尊重しなさい」なんて言っても、なにバカなこと言ってるんだ、こいつ、という感じになり、相手にもされないのです。

職業柄、この手の方には、結構お会いしたり関わったりしたりするのだが、後年、子供との関係に悩むケースは多いし・・・気がつかないうちに虐待に発展したりするケースもなくはない(自分の意のままにしようとする行為は暴力に発展しやすい)。子供がぐれちゃったり、問題抱えたりとかね・・・

別に安藤ファンでもなんでもないハヤシですが、フィギュアファンとしては、今の彼女の姿は、あまりにも痛くて見ていて苦しいのだ。
この先、彼女、どこまでファイヤーしちゃうんだろうね。
そもそも「私の人生は私のもの」の意味、ちゃんと分かってないだろうからね・・・


2015年1月4日日曜日

2015冬のセールについて。

もう4日が終わる!!
世の多くの皆様は、明日から通常営業というところでしょうか。

ハヤシのほうは、(あんまり忙しくない)自営業者(自由業者)の良いところ、明日1日お休みをいただいて(と言っても、電話対応等々それなりにございますが)、明後日6日午前の便で東京に戻ります(戻ったら、その足で裁判所に行きます)。

今年の冬は、あまりセールに盛り上がりませんでした。
というか、なんだか年を追うごとにセールにときめかなくなっている自分がいるような気がします。
もう何年も前から、百貨店の冬のセール(まあ、初売りも兼ねてますが、この時季)は行っていませんでした。理由は人混みが凄すぎて怖いから。

今回、わが妹が、札幌大丸に入っている「H.P France」に行きたいということで、一瞬行ってみたのですが…入った瞬間ふたりして大後悔。商品に人が群がっていて、その人いきれですぐにぐったり…
さらに、プラステのワゴンに、ファリエロのストールやマルジェラのニットなど、かなりいい商品が30パーセントオフで入っていたのに、他のそうでもない商品と一緒にこったこたにされて、しかも見向きもされていないという惨状を目にしてしまいました…
10分そこそこで大丸を出て、その横にあるJR北海道直営?のステラプレイスというショッピングスペースに向かい、なじみのセレクトショップへ。そして、そこを出た後大通方面に向かいました。

途中、「BISSE」というビルに入っている徳光珈琲というカフェで休憩。
その後、札幌パルコに入っている「H.P France」の系列店「goldie」と、もうひとつ、なじみのセレクトショップに向かいました。

今回、セールでゲットしたいなと思っていたのは、主に小物類でした。
まず、無地のできればネイビーのストール。
あたたかい手袋。
あたたかいタイツ。
頭の形が悪い私でもかぶれる帽子。
で、実はこれらすべて、年末のプレセールから年始のセールですべて手に入れました。2日までの間に。
で、とりあえず、満足したので、お買い物終結。2日は、11時ころに出発して3時過ぎには自宅に戻っていました。
本日、母のお遣いで午前にお出かけしましたが、マーガレットハウエルで肌触りのよさそうなタイツをセール価格でゲットしたのが追加のお買い物くらい。
「もういいや」という感じです。

本当はあえて言えば、あまり厚手でないシンプルなニットがほしかったのです。
が、気に入ったものがなく、こちらは、とりあえずペンディング。着るものがないわけでもなし、まあ、手に入らないなら入らないで、ま、いっか、くらいな気持ちです。

今までであれば、同じお店を日を置いてもうひとまわり、もうふたまわり、ちょっと遠いところにあるめったに行かない高めのセレクトショップまで足を運ぶ、なんてして、少しでも欲しいものを見に行く、なんてしていたはずでした。
でも、ここ1年2年くらい、そこまでの意欲は沸いてきません。

なぜか。
単純にセールは疲れて、齢45の体にはこたえるというのもあります。
が、それよりなにより、セールで興奮して買ったものって、後で着なくなる危険性が高い。
もったいない。
長いこと着るだろう、これは買いだ!!と心から思える物に厳選して買おう・・・と気持ちが変わってきているように思うのです。

もちろん、洋服には、一時間に合えばいい、仕事の時に使いやすいものがほしいという、ある意味こだわりを捨てたセレクトが求められる場合もあります。
でも、セールで手に入れようと思うものって、そういうものじゃないんですよねえ…

まあ、本当に欲しいものはハヤシの場合、セールになっていないことが多くて、どのみちプロパーで買わなきゃならないんでしょうというあきらめがついてきた、ということもあるのですが。

セールで買わなかったもので、多少気になったものをいくつか。
マーガレットハウエルのかぶりのシャツで気になったものが1枚ありました。
実は年末にコムデギャルソンで、エステル素材の太いパンツ(ネイビー)を購入していて、それに合いそうだな、と。
ハウエルはしばらく遠ざかっていましたが、今日見たところ、最近までの行き過ぎたナチュラル感が鳴りを潜めて、好きだったころの適度なシャープ感が戻ってきたように見えました。
コンバースとのコラボスニーカーも相変わらずいいし、本格セールはもう少し先から始まりのようだし、東京に戻ったら久々に落ち着いて覗いてみたい気分になりました。

セール品ではありませんが、コムデギャルソンブラックの迷彩柄のエステルのスカートがかわいかったです(たぶん下がらないよねえ)。
ただ、「ギャルソン初心者に低価格でギャルソンを楽しんでほしい」と始まったはず(お店の方にそう聞いた)のブラック、最近なんだかお値段が高い。
しかも、ちょっと可愛いけどあきそうなんだよな・・・
もし手に入れたら、黒のリブのタートルニットを合わせてシンプルに着たい気分です。

ま、でも、そこまでがつんがつん買えるかというと、ちょっとそうでもないわけで、やっぱり冬のセールはもう打ち止め、というところなのでした。

明日は、実家でのんびりしよう…ネットで調べたいこともあるし…

2015年1月3日土曜日

中年男子が語る「ハヤシの中身」評。

皆様

アケオメ、コトヨロでございます。
実家に帰省して、はや9日目が過ぎようとしており、お休みって毎度のことながらすぐに過ぎていくのね、とやや、やけっぱちになりつつあるハヤシです。

今年46歳になるし、体力もないし、バーゲンで買うものも特にもうないという気分だし、本日は、引きこもっております(とはいえ、夕べから仕事の資料を読んだり書き物をしたりしていて、それほどのんべんだらりな寝正月というわけでもないんですが)。

いわゆる「田舎」に帰る人間の中には、その間、積極的に地元の旧友たちと親交を深めたいタイプの人がそれ相応にいるようです。なんか、同期会とかクラス会とか積極的に招集かけたり、参加したりする人たちのことです。

ハヤシは、全くそのタイプではありません。

いわゆる帰属意識みたいなものが、ぶっ壊れている人間なのだと思います。個別に会いたい人はそれなりにいるのですが、ひととき同じ場所にいたというだけの人々(集団)に対して、なんらのオマージュも感じられない。
そして、ルイトモとでもいうんでしょうか。私と仲良くしてくださっている皆さんの多くは、同様のタイプが極めて多いのです(同窓会なんてめんどくて行かないわ~、みたいな)。
そんなわけで、帰省の際には、会っておきたい人のみに連絡をして、その方々と個別に飲んだりランチしたり、お茶したりする、地味な交友となるのです。

会う人間も基本限られているわけですが、今回は、休みが長かったこともあり、珍しく、普段ほとんど会わない人間とも連絡を取って、ちょっと会ったりしてしまいました。
で、そのお会いした人々から、「ハヤシ評」として、ちょっとどうとらえればいいのかわからないお話を聞くに及んでしまったわけです。

そのひとりが、中学の同級生。
地元で地方法務員をしている、典型的な中年オヤジです。
確か30代で結婚して、子なし。なんかもう糖尿病らしいのですが、とりあえず、一人酒も飲み会も何でもこい、で飲んでばっかりいる、という。
私が通っていた中学は、受験制の進学校で、当時ひと学年3クラスしかない小さな中学でした。この男は、その中学の同期のまあ「橋渡し」的な役割を、ずーっとずーっと担ってきたヤツで、定期的に飲み会の招集をかけています。

以前にも書いた気がしますが、ハヤシは中学時代いじめられていたトラウマから、中学時代の同期会や同窓会には、出ることができません。そして、こいつが主催する飲み会には、頻繁に私が絶対に会いたくない人間が出席する。しかも、中学時代の同級生がかたまって同席するシチュエーションは(以前一度試したみたが)、かなり私にトラウマを思い出させるので、こいつに誘われても「飲み会全拒否」を貫いているわけです。

が、こいつは、そおいう私に対しても気遣いの心を忘れず、折に触れてメールをよこして動向を尋ねてきます。で、まあ、それはそれなりに嬉しくなくもないわけで、義理も感じてるし、独立した際に一応連絡したところ、年末に飲もうかという話になりました。で、5年ぶりくらいに札幌市内の居酒屋で会って飲んだ、というわけです(とはいえ、胃腸の具合が全開というわけにもいかず、私は1杯白ワインを飲んだだけでしたが)。

この飲みの席で、この男から「お前の中身は8歳の少年だ」と言われました。
「高校生のころから頭の中身があまり進化していない」ことは自覚しており、今でも図々しく「永遠の17歳」と看板を出している私ですが、さすがに「8歳」は聞き捨てならん。
そこで、理由を問うてみたところ、
「自分の気持ちに素直で、直感で動くから」という返事が…

ちなみに、↑の分析は、極めて正しいと認めざるを得ません。

例えば、普通に考えて「この話は受けておいたら、儲かる、利益になる」とわかっても、その話を持ってきた人間が、自分の目から見て、アンビリーバブルなセンスの持ち主だったり、いけすかない人物だった場合には、「乗らないほうが無難」という判断をして、お断りをするタイプ。先日も、仕事でそういうことがありました(それで儲からなくても気にもしません)。

もう時間も遅いし、明日結構早くから仕事があるし、寝ないといけないとわかりつつ、どうしても酒が飲みたかったら、帰り道に見つけた適当な飲み屋に飛び込んで一杯ひっかけて帰ってしまうということも、昔からあり(そして、これもつい最近あり。飲んだ結果、翌日相当寝不足だったのに気分爽快だったので、判断自体は間違いでなかった…はず)。

つまり、ヤツにとってみれば、虫捕りがしたいと思ったら、宿題があろうが習い事があろうが、虫捕りを最優先させて、日がな一日野山を駆け回っている少年の姿に私がダブる、のだそうです。
なるほど…と思いつつ「自分に素直で直感で動くから」という理由のみで、自分の精神年齢が8歳まで引き下がってしまう理由については承服しかねた状態で、翌日、別な人物に会いました。

このお方、以前にも登場したおじ様です。市内の銀行にお勤めの50代前半、不動産鑑定士有資格者。三度のメシより鑑定が好きという変人です。前の職場の知り合いで、弁護士になってからも帰省のたびに会っています。
仕事をする上での心構えとか、生きていく上での気構えとか、自分が惑ったときに話をすると頭が整理される、まあ、貴重なお人です。

夕方、コーヒーをすすりつつ、前日にヤツから「中身が8歳の少年」と言われた、という話をしました。理由も含めて。
おじ様、一瞬遠い目をして少し考えて、
「8歳じゃないな。17歳だな」
と一言。

おじ様から見ると、ハヤシは、とある能力が突出していて、それゆえに「8歳」ではない。
かつ、その能力が突出しているがために、他の能力が育っておらず、それゆえに「17歳」に留まっているということのようです。
そして、その能力というのが、「先の展開を把握する能力」(注:スピリチュアルな能力ではありません)。
経緯や現状における情報について、例えば、普通の人なら7,8もらって、先の見通しが立てられるところ、「あんたの場合は、3,4もらえば完璧に見通しが立ってしまう」。つまり、人が1週間先に判るものが10分後に判ってしまう、ということのようです。

確かに、子供のころから「ハヤシさんは先走る」と学校の先生に言われることが多々あったのですが、本人は全くその意味が分かりませんでした。
学校の授業にせよ、世の中の将来の展開にせよ、事件の見通しにせよ、「この状況なら先はこうしかなりえない」ということがわかりきっているのに、どうしてほかの人はわからないんだろう?と思うことも、しばしばでした。
特に、うちの業界では、私は、出身大学は下のレベル。超人的に頭がいいはずの人がたくさんいるのに…

でもって、例えば、ひとつのことに集中すると他に気が回らないとか、どんくさいために物事の処理にもたもたするなどなどの欠点が、この「先の展開を読める」ことによって、概ねカバーされてしまうため、改善されず、個々の能力がかなりアンバランスな状態にとどまっている。
このアンバランスさが解消されている状態が、オジサマが考えるところの「大人」な人物のようです。

確かに8歳と言われると、なんというか人格的にも能力的にも一定程度のレベルにすら達していない印象を受けてしまいます。
「能力」に関する説明と「17歳」というワードが出てきたことにより、ハヤシ、ホッと一安心。

しかし、大事なことを確認し忘れていたことに気づき、オジサマに聞きました。
「で、少年なんすか?」
「だな。」

まあ、どのみち、中身は女じゃないそうなんですが、その部分について、なぜか「納得いかない!!」と思えない自分は、問題ないんだろうか…と、新たに考え込んでしまうハヤシ、なのでありました。