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2015年4月29日水曜日

金の切れ目が、縁の切れ目。

久々にフルに近い感じでお休みしているハヤシです。

昨日、夜の時点で、「おし、明日こそ(ほぼ)休も」と決めました。
昨日の時点で、ひとつ終わった事件があったのです。
というか、終了させざるをいけない事件・・・と言った方がよいか。

3週間ほど前にとある刑事事件を受けました。
その事件は、結構巨額のお金が絡んでいる事件で、友人のつてで弁護を引き受けてくれ、と依頼されたわけです。
わりかしその手の業界では有名だったらしいその会社。
しかし、内情は火の車。関係者の話を聞くと、なんで破産してないんだというくらい、ひどい状況でした。
関係者は、ワタシ一人の弁護士費用を出すのもやっとこさっとこでした。

昨日、再逮捕されました。
最初にもらっているお金は事件1件分のお金。
2件目でもあるので、セット割引価格でかなりおやすい値段を提示しても、関係者からは、出せないという返答。
お金がないなら、国選の弁護士に頼んでもらわざるをえない。
そういうわけで、辞任しました。

私の最後の仕事は、彼の承諾をとってスムーズに辞任することでした。
私選(つまり当人や関係者との契約によって就任する場合)の弁護士がついてる限り、国選の弁護士は付けてもらえないというルールがあるからです。
彼の事件は重大事件。一刻も早く、次の弁護士を付けねばならん。
手続には少なくとも2日間くらいかかっちゃう。今日中に出さなあかん!!
昼間、どうしても抜けられない仕事を抱えていたので、夕方以降、こう動いてああ動いてと考えながら、ハヤシは心底焦っておりました。

一方、専門的な話になりますが、国選については、原則として、容疑がかけられている人は、自分の好きな弁護士を選ぶことができないというルールがあります(このルール自体が合理的かどうかは、さておきます)。
で、我々の業界、大して仕事もせずに規程の料金をもらって食いつないでいる「国選族」なる不名誉な名前で呼ばれる弁護士も少なくない。つまり、国選の弁護士は「当たり外れ」があり、しかも、「はずれ」くじに当たると、本当になんにもやってもらえないという憂き目に被疑者被告人のみなさんは遭ってしまうわけなのです。

で、まあ、私が担当していたその方(会社役員ですな)、とりまきが弁護士費用を工面できないといったことに納得せず、私の続投を執拗に望んだのです。

「数十万の金くらい、作れるはずなのに」
「○○のカードでキャッシングすればいい」
「ある中で考えようとするから捻出できない」

同族会社に近いこの会社。彼が捕まったおかげで、取引がいくつかなくなり、家族の収入がほぼ途絶えた状況になっている。
当てにしているカードだって、聞いたところ支払いが遅れたので、既にブラック扱い。借り入れも買い物もできない状況になっているのは、ハヤシ、確認済みでした。

さらに、「来月末になれば、**との取引で○○円くらいの金が入ってくるから、それで」と、「捕らぬ狸の皮算用」とはまさにこのことみたいなことを言い出す始末。
実は、この手の話にたやすく乗って、ただ働きさせられる弁護士が、私たちの業界にはたまにいるのです。

しかも、今回仮にお金が数十万用意できたとしても、今後裁判になった場合の弁護士費用はどうせ出せない。これも専門的な話になりますが、裁判になると検察官が出してくる証拠を入手するためには謄写(コピー)の手続をとらねばならず、これが人件費込みで、なんと白黒1枚45円もするのです。
今回の事件、おそらく少なく見積もっても、2000枚くらいの証拠が出てくる可能性が・・・
(ちなみに国選だと全て国持ちになり、事後的に補填してもらえます)。

こいつ、なんにも分かってねえな。私の中の堪忍袋の尾が、ぷつっと切れる音がしました。
そんでまあ、

あなたが捕まったことで、取引が切れて会社の収入は止まっています。
なにがしかのお金はあるかもしれないけど、今後の生活考えたら、ご家族が、そのお金プールしようとするのは当然でしょう。
あなたが金は作れるはずだと言っても、スポンサーが作れないと言ってるんだから、私は引き受けようがないんですよ。

それにね、いついつになったら、みたいな不確実な話で私は仕事は引き受けられません。結局そのお金入ってこなかったら、ワタシはただ働きになるわけですよね。
ワタシもね、この仕事で生きてるわけですよ。
そんなもらえるんだか、もらえないんだかわからないお金提示されて、今後の仕事なんて、でっきるわけないじゃないですか。

さらに言えばね、結局その場しのぎですよね、あなたのやり方。
裁判になったら、もっとお金かかりますよね。仮に今数十万出せたとしても、裁判のお金用意できなかったら、その時点でまた同じ話出てくる訳じゃないですか。
だったらここいらで覚悟決めるしかないでしょう。

ここまで言ったところで、先方、プチ切れしました。
「再逮捕されて心が折れそうなのに、今、先生にそんなこと言われたくないですっ!!」

どうやら、ワタシの性格を3週間でご理解いただけなかったようで・・・この言葉はさらにワタシの怒りに火をつけちゃいました。

「そんなこと言ってる場合じゃないですよね。あなたが聞きたかろうが聞きたくなかろうが、言わなきゃいけないことは言わせてもらいます。」

ワタシは、依頼を受けてからの3週間、ほぼ毎日、この方の面会に行っていました。

「接見禁止」という弁護士以外には誰にも面会できないという処分がつけられていたので、会社の仕事に関する事務連絡なんかを伝達するためにも、それは必要なことと思い、通っておりました。
面会時間はいつも長時間に渡り、1時間半から2時間あまり。
この仕事のために、他の仕事に遅れが出るという事態にもなりました(まあ、これはワタシの能力不足もあるんだろうが)。

はっきり言って、今回の件でワタシがもらっている弁護士費用は決して高い金額ではございません。ハヤシ、そんなぼっちゃう弁護士ではありません。
今回のワタシの働きを見たら「倍もらっていいだろう」という同業者もいることでしょう。

まあ、だからこそ、ハヤシに今後もついてもらいたいという意向があったのかもしれませんが、こっちにしてみりゃ「ヒトばかにすんのもいいかげんにしろや」と言いたくて言いたくて、も、しょうがない。

ワタシだけのことじゃあないんです。
家族のこと。
会社のこと。
「オレがこうしたい、こうしろと言ったらそうなるはずだし、そうしなくちゃいけない」というその発想自体が、非常に許せんな、こいつ。
つくづくそう思いました。
一言でくくると、「ワンマン社長」ということになるんでしょう。典型的なんでしょうね。

「弁護士は金のためにやるんであって、依頼者のためにやるんではない」とよく言われますし、刑事なんかは否認している容疑者を落とす場合、よくこの言葉を使うらしい(つまり、弁護士の言うことなんか聞いたら損だ、と言いたいらしい)。

はっきり言いましょう。
金の切れ目は、縁の切れ目だよ。
弁護士だって仕事なんだよ。
金が切れて仕事を切ってどこが悪いんだよ。
そりゃね、基本的なお金をもらっていれば、「ま、ここはもらわないでやっていいか」とサービスでやる部分だってあります。
しかし、それはお客次第。
図に乗って、ただ働きをさせようとするだろうお客には、そんなことできませんから。

そんなこんなで、後味悪くひとつの仕事が終わりました。
昨日夜、彼を何とか説得して承諾を取り付け、辞任届を夜9時すぎにしかるべきところに提出で、ジ・エンド。

ワタシにとっては、この仕事、相当重荷だったらしいです。
今朝起きたら、体の裏側と関節に一挙に、ヒドい凝りと痛みが発症していました…

もー、明後日からは休むぞー!札幌で!!
あ、幾つか持ってかなきゃいけないんだった…



2015年4月25日土曜日

ハヤシ、NHKの春の番組改編に物申す。

よかった・・・更新できた・・・

ここ3週間ほど、とんでもなく忙しくなり、ほとんど休みがない状況になっております。
まあ、連休に10日ほど休んでやる計画を立てているので、そこまでの辛抱だと思って自分を奮い立たせている・・・そんな4月末のハヤシです。

さて、4月の番組改編。
日頃、ドラマは見ないし、見る番組も限られている。そんなわけで、大した興味はないのですが、今回は、あのブラタモリが復活し、妄想ニホン料理が金曜ゴールデン枠に移る、ということで、ちょいとドキドキする改編期でした。

なぜか。ハヤシは、タモリというおじさんが大好きで、かつてレギュラー放送していた頃のブラタモリが大好きだったから。
土曜の日付が変わる直前にやっていた妄想ニホン料理の微妙な空気が好きだったから。

結論から言います。
がっかりしたぜ。
どっちも従前の番組が持ってた良さがすっかり損なわれてしまっていました。

まず、ブラタモリ。
以前は木曜10時のプライムタイムに放送していました。
このころのブラタモリは、タモリがいいともをやっていたため遠方に行くことができず、ほぼ撮影は都内。

都内某所を毎回、NHKのなかでもとりわけ品が良さげでオットリしている久保田アナと一緒に、大した会話もせずにぶらぶらと歩いていく(もちろん台本や行程は決まっていて、要所要所でわざとらしく、しかるべく専門家が登場したりするのですが)。

「昔はここが川だった」とか「ここは海だった」とか、時刻表を定期購読しているとか、もうほとんどタモリの趣味というかオタク感覚にどっぷりお付き合いしたユルユルな雰囲気なんだけど、実は日本の歴史や地理のお勉強ができるという、タモリ倶楽部と教養番組をミックスしたような微妙な位置づけのおもしろさがありました。

いいともが終わり、タモリが全国ロケ可となった途端、ファミリーで見れそうな土曜夜8時に放映決定。
とたんに、番組は「ブラ」な感じが損なわれ、それ相応に仰々しい企画が盛り込まれた、ただの「ちょっとお勉強もできる旅番組」に成り下がってしまったのでした。

アナウンサーは、すごい俗っぽくて前に出る感じだし。あのちょっと暑苦しめの風貌や語り口調が、「声を張らない」タモリの良さを全部全部消してくれています。
SMAPのつよぽんの語りも、全然合ってない。

おそらくNHKとして、いいとも以後のタモリの代表的番組をブラタモリにしたかったのでしょうが、はっきり言ってヨルタモリにもタモリ倶楽部にも完敗です。

そして、妄想ニホン料理。
これもゴールデン進出用に改変されてしまいました。
一番大きな改変は、栗原類を切ったことです。

そう。類くん。彼は、妄想ニホン料理には欠かせないキャラでした。
料理番組にはあるまじき偏食ぶり。
そして、一人だけ違うリズム感、異様に低いテンション・・・
しかし、だからこそ「異文化」との融合を標榜するこの番組には欠かせない存在であり、かつ清水ミチ子の隣の位置にいるのがとても似合っていたのです。

平成ノブシコブシの吉村とかなぎら健壱とか、アクの強いゲストがいてもいい具合に中和してくれていた。

改編後。
なんか名前知らないけど、お笑い一歩前くらいの名脇役(たぶん舞台出身だろう)の俳優が類くんの位置にいました。
ゲストは、確かマッサンで娘役をしていた女優さんとぐっさん。
全員明るくてそれなりにしゃべれるキャラ。
それだけでも騒々しいのに、さらに、お題になる料理を作る料理人も週替わりで登場することになったらしい。
そして、従来通りの再現シェフの先生。

ヒト大杉。
明るいヒト大杉。
騒々し杉。

ブラタモリも妄想ニホン料理も、子供を交えたファミリーで見るような番組ではそもそもなく、そこそこの教養とそこそこの心の広さと?そこそこの偏屈具合があるそれなりの大人が見て、「ぷふっ」と楽しむ番組でした。

それを時間帯が遅い割に視聴率や評判が良かったという理由で、ド直球に
ゴールデンタイムに持ってきたために、本来ウケが良かったアクの部分がすっかりなくなってしまい、元々観ていた層からすると、もう全然別な番組になってしまったのであります。

この感じ、以前テレビ朝日がやらかしていたパターンを思い出させます。

マシューTVとか、銭形金太郎とか、Qさまの前進の番組とか(名前忘れちゃった)、深夜の名番組を全てゴールデン枠に押し上げて、ファンを獲得した味を全てスポイルし、ダメにしてくれた時期がありました。
結果、マシューや銭形は番組自体がなくなり、Qさまは全然違う番組に変貌しました(なぜか、ぷっすまはより遅い時間になって長らえている。あまり観ていませんが、エガちゃんの登場回数が増えているようで、これは非常にいいことです)。

今更二の舞踏むんですかい、NHKさん。

大越アナを更迭して、ニュースナインをすっかり「昼間のニュースのおさらい番組」に成り下がらせてしまったNHKさん。
マッサンまでの洗練された雰囲気を朝ドラから奪い取り、妙に田舎くさい昔の雰囲気の「まれ」に戻してしまったNHKさん。

あれですか。
昔のブラタモリとか、栗原類とか、そういう「違和感」を楽しむ番組は消していこうという腹なんですかね。

実を言うと、今回の改編では、水曜深夜枠でやってるアニメ「英国一家、日本を食べる」は、かなり爆発力のある面白さなのですが、放送の意図としては「日本はクールでいけてる国」という自国礼賛系の気持ち悪さを感じさせます。
類くんなんて、ゴールデン枠に移動するのに意図的に外したんでしょう。

そんなわけで、NHKは、今までのなかで最もおもしろくない時期にさしかかっているような気がしており、民放の番組もゴクゴク限られたものしか観なくなっているハヤシとしては(元々はテレビっ子)、今のテレビが壊れたらもう買わなくてええんちゃうか、と思ってしまったくらいです。

実際には、それじゃフィギュアやカーリングやマラソンが観れなくなるので買うんですが・・・

深夜枠のテレビを安易にゴールデン枠にあげるのは、はっきりいってセンスなさ杉。

2015年4月19日日曜日

スタバに客が求めるもの。

ども。
土日とも仕事が入ってしまったハヤシです。
赤坂方面で打ち合わせ的な仕事をやった後、今、やれやれな気分でスタバに入って、書き書きしています。

スタバって食べ物はそんなにおいしくないですし、人も多いのですが、妙に落ち着ける・・・そんな不思議なチェーンカフェ。
ここ赤坂のスタバは、そんなスタバの中でも、割と上位にくる「落ち着ける」店舗だと思われます。

で・・・そのせいかもしれないし、場所柄?のせいもあるかもしれないのですが、PC開いている人+勉強している人の率がすごい高い。たぶん7割りくらいそうなんじゃないか、という勢いです。
これも、他のスタバよりもかなりなかなりな高率といってよいのではないかと。

カフェで日本人が勉強したり仕事したりするのがふつうになったのっていつ頃のことなのかなあ・・・と、ふと思ったのですが・・・少なくとも普及にスタバの上陸やそれに伴うカフェチェーン店の浸透が一役も二役も買っていたことは間違いと思われます。

ハヤシも思い返せば、まだ受験生だった頃・・・
札幌で某資格試験予備校の講師の仕事をしながら、受験をしていた頃の話です。

公務員試験の論作文講座を受け持っていたために、毎週大量の論文作文を添削しなければなりませんでした。
部屋にこもって添削すると気分も湿りがちになるし、どうせ仕事やら勉強のために図書館に行くやらで日常的に出かけたりもするわけで。
よく、札幌パルコの裏にあるホールステアーズカフェでその仕事をしていました。
定番席は、カウンターの一番奥。
小さな小窓がある席です。

マイルドブレンドを頼んで小一時間、もう少し伸びそうなときはもう一杯お願いして、コーヒーすすりつつのんびり採点しておりました。
そのころいたマスターは、善良な感じでいつもにこにこしている感じの30歳くらいの男性で(実際は疲労で疲労でやられていたらしいが)、時折言葉を交わしたりもしていました。
他のお店の方も気さくで優しい感じの方が多く、とても居心地がいいスペースでした。

あるとき気がつくと、結構長居してしまっていたことに気がついて、
「(コーヒー一杯で)長居しちゃってごめんなさい」と言ったら、
「時間があるならもう少しいてください」と言われたことがありました。
ワタシがきょとんとしていると、マスターはにっこり笑いながら「お客がいない喫茶店て、入りにくいじゃないですか」と言いました。
時間はお昼少し前、他のお客がいないときのことでした。

映画の「かもめ食堂」で、小林聡美が、片桐はいりの文句も気にせずに、かもめ食道の第一号のお客、トンミ・ヒルトネン(漢字で書くと、豚身昼斗念)を永遠にコーヒー代無料にして、毎日彼が店に来るようにしていました。
ワタシは、そのシーンを見て、マスターのこの言葉を思い出しました。

当時の仕事場は札幌駅の近くにありました。
授業と授業の間が数時間あくこともありました。
そういうときは、講師控えにいて受験勉強をしていることもありましたが、ステラプレイス内にあるスタバにコーヒーを買いに行ったり、気分を変えようとスタバの中で勉強することもありました。
案外、わいわいがやがやした中での勉強の方がはかどることもあったりしました。
あんまりしょっちゅう来るものだから、スタバの店員さんに顔を覚えられて「いつもありがとうございます」なんて言われたりしました。

思えば、スタバの店員さんは、割りにお店の方の接客に個性があって、ふつうの喫茶店やカフェと似たようなフランクな気持ちで訪れることができるように思います。

受験していた頃は、スタバでもマックや他のカフェみたいなところでも「勉強のために長時間いるのはご遠慮ください」みたいなことがお店の中にかかれていることが珍しくありませんでした。
けど、最近、少なくとも東京では、そんな物を表示しているお店には出くわしたことがありません。

まあ、くっちゃべって長時間居座られるのと勉強で長時間居座られるのと大した違いはないとか、勉強系のお客は静かで、時に追加注文と言うこともあり得るのでかえってありがたいとかということに、店側が気がついたのかもしれません。
いずれにせよ、スタバやカフェチェーンは、ある意味「空間を提供する」商売であることは間違いなく、それが店と客の相互理解?によって浸透した、ということなんでありましょうか。

お店に入って、小一時間ほど経とうとしていますが、ハヤシより先に来ていた客は、いっこうに席を立つ気配がありません。みなさま黙々と勉強や仕事を続けています。
斜め向かいのおじさまはサンドイッチを追加で注文していました。

ハヤシはそろそろ退散します。
明日もどこかのカフェで、もしかすると何か書き書きしているかもしれません。


2015年4月12日日曜日

ハヤシ、交際を薦められる。

どうも。

久々に良いお天気の東京です。
私も、これを書いたら買い物もあるので、ちょいとお出かけする予定です(ドラッグストアなどに行きたい。ついでにお散歩)。
今までは、ちょいと仕事をしておりました。

先日、恵比寿の方で、おいしいイタリアンを、とある建築家のご夫婦にゴチになりました(メシのブログにアップしました)。
このご夫婦、実は、知人の建築士が開いていたお花見パーティをきっかけに知り合いになった方々です。
そのご縁で依頼を受けて、その仕事も終わったので、お食事に誘っていただいたというわけです。

このご夫婦の奥様、昨年初めて知り合ったときから、その知人の建築士をやたらめったら、私に薦めます。
もちろん、私が、四十路、独身、彼氏なしと知っている。
そして、彼の方も(仮にAさんとしましょう)、四十路(3つくらい下ですが)、独身、彼女なしです。

まだ依頼の件が終了していなかった時に、中華をごちそうになった時にもしきりにすすめられました。

「Aさん、どうですか」
「ホント、いい人だと思うんですよ」
「気も利くし」
「興味ないですか?」

概ねいつもこの4つの言葉の繰り返し。

少なくとも現時点で、私の方にはその気は全くないです。
ですが、いや~、その気全くないっすねえ、いい人、そうですかあ?なんて言えっこありません。

しかし、「いい人」ということは肯定しているものの、じゃあ、とりもってくださいとは頑として言っていないわけなのですから、そこは察してほしい…
しかも、ワタシ、他のおすすめ物件(50過ぎの独身おじ様)に対しては、「お会いしてみたいです」とか言っているわけだし、「理想は児玉清」とまで話しているわけなんですから…

彼と知り合ったのはかれこれ7,8年前。
一時は、「まあ、こういう人も悪くはないかも」とは思ったのですが、現時点では、先ほどお話ししたとおり、なしかな、と思っています。

というのは、まず、そもそももって、やんわりとした拒絶の姿勢を、彼から感じたことがあるからです。

前の仕事先と彼のオフィス、自宅は割と最寄りのところにあったので、気になった店を見つけた際に「一緒にご飯でもどうすか」とお誘いしたのですが、「いや~、またそのうち~」みたいな返事が返ってきました。
こっちは、そこまで下心ないんですけど、そんなに拒絶ですか、二人で会うの…(しかも、過去には、一緒にご飯したことあり、ふたりで)。

まあ、この辺に関しては、私の感覚がマヒしている可能性もあるので何とも言えないのですが。
別に男性と一緒に食事をすることについて、特別な意味というものをあまり感じない。だって、仕事で組んだりすれば、妻帯者とだって、夜10時とかに一緒にご飯食べたり、お茶飲んだり、密室にふたりきりなんてこともあるわけでございますから(そこでいちいち色っぽい気分になんかなりませんよ。なる人もいるみたいだけど)…

さらに、共通の友人も交えて食事をしている最中のことです。
働いている者同士、当然仕事の話にもなるわけですが、私の持っている仕事のドロ沼感満載の話(もちろん、それなりに生々しくならないよう配慮して話しますが)になると、彼、突然無口になる。相槌や返答をしない。
つまり、その話が続かないよう、静かな抵抗をするのであります。

一応彼の名誉のために書きますが、彼は、物静かで、インテリジェンスで、声を荒げることのない、好感度が非常に高い男性です。誰も彼のこと「悪い人」なんて絶対に言いやしない。
ハヤシも、彼のことは、とても良い人だと思います。

でもね、男女として向き合うには、合わないんすよ。
一緒にいると、両方とも苦しくなると思います。

一度転居したばかりの彼の部屋に友人と一緒に尋ねたことがあるのですが、インテリアやディスプレイ、照明に対するこだわりは、「さすがデザイナー系建築士!!○○とか○○とか設計しただけあるわ!!」とため息が出そうなものでした(○○を明らかにしてしまうと人物が特定できちゃうくらい有名な建物なので、ここは内緒)。

しかし、そういう美意識が高い人だからこそ、その生活の中に私のような仕事をしている人間が持つ「ドロ沼だって平気」感(平気なのは他人のドロ沼ですが)が混じってしまうのは耐え難いのだと思うのです。真っ白いシーツに落ちた黒いしみ。
そういうものの存在は、自分の中でなしにしたい。
見ちゃうこと自体が、たぶん苦しいのだと思います。

そして、私の方も、そこまで徹頭徹尾、家の中を整えられちまうと、「汚しちゃあかん、ずらしちゃあかん」とプレッシャーに押しつぶされてくつろげず、楽しく生きられない…
機能性、生活のしやすさが優先なんで…

そういうことを匂わせる発言は、しているはずなのです、その奥様に。
「彼、美意識高いですからねえ、私にはちょっとついていけない」とか、
「私がしている仕事の話は、彼、いやみたいですからねえ」とか、
かなり直截に。

だけど、奥様、お構いなし。自分のおすすめ物件を、ニーズのない客に薦めまくる、どへたくそな営業さんみたいな感じです。

それにワタシ、この前の書いたけど、一人の生活を楽しむ人生も悪くないしありだよな、という気分でいますから。
ニーズのない人を強固に薦められてもねえ…

たぶん、人は結婚して当たり前、結婚して幸せになることに人生の極意があると信じてやまない人なのでしょう…奥様。
(ハヤシの周りでは貴重なお方)

どうやら彼の方も女性とお付き合いする気は今のところないようでして。
カスミ食って生きてけそうな風貌の人なので、まあ、そういう発言もわからなくはありません。

というわけで、今後さらにお薦めされた際には、もうその話は持ってこないでください、よろしくね、とかなりはっきり言おうと決めています。

どこかから、「そうやって選り好みしてるから、そうなっちまったんだよ!!」という声が聞こえてきそうですが。



2015年4月8日水曜日

目標ないと、ダメな女。

平日の遅い午前。
こんな時間にブログ書いてるハヤシです。

実は、今日の午前は、6月に裁判がある刑事事件の被告人に会ってもらうため、精神科医と待ち合わせをして、一緒に東京拘置所に行く予定でした。
が、お医者さん、まさかの日時間違い…

幸い午後が空いていたので、リスケしてもらったのですが、空き時間は中途半端だわ、東京拘置所の周りはなんもないわ(一応喫茶店はある。まずくて高い。競争ないから)で、一度アキバまで戻り、軽くお昼を食べることにしたのです。

考えてみれば、何もアキバまで戻らなくても、一駅戻れば北千住、暇を潰すにはもってこいだったのですが、頭に全く浮かびませんでした。

さて。
一時書くことないと喚いていたハヤシですが、売って変わって独り言ちたい気分全開になってます。

要は、自分がなんとなく薄ぼんやりして軸足が定まってないのが何故なのか、わかってきた感じ、なのです。
そして、もしかすると、それが解消できる兆しが出てきたかなと。

昨今の状況は、大学に入ってから、司法試験を受けよう→正確には再チャレンジしよう、と決めるまでの8年間の状態に似ています。

ハヤシは、中学の頃には、薄ぼんやりと北大の法学部に入る、そして司法試験を受ける、と決めとりました。

が、しかし、ビリギャルじゃないけど、中学3年までの成績はイマみっつくらい。その上、いじめられる日々。
突如、3年生の秋に、

お前ら全員見返したるわー

と思い立って、睡眠時間4,5時間の猛勉強を始めてトップクラスに登りつめ、なんとか志望校に合格。
高校時代は、さほど勉強で苦労することもなく、現役で北大に入りました。

そこで、タコの糸が一度プツンしました。

遊ぶでもない。
バイトに勤しむでもない。
サークルで楽しむでもない。

司法試験の勉強はしていたものの、今より遥かに遥かに狭き門だった時代、受かる気なんて到底起こらず、さっさとリタイア。
逃げるように志望を研究者に変えて、大学院に進学。
でも、そこでも極めたいテーマは見つからず、保守的な雰囲気にも馴染めず、リタイア。
公務員試験にも失敗しました。

一体全体、あたしゃー、何やっとんじゃ。
そもそもなんで法学部に来たんだっけ?と考え続けて、司法試験に帰った。

かなりざっくり言うと、こんな時代でした。

司法試験に受かった後の5年くらいは、あれよあれよという間に過ぎて行きました。

実務に入る前の司法修習。
ワタシらの時代は、民事裁判、刑事裁判、検察、弁護の実務を各3ヶ月ずつ回ります。
判決も書かされたし、取り調べもさせられました。司法解剖も見ました。
見るもの、聞くもの、やるもの、全てが新鮮で、楽しくて仕方なかった。

弁護士になってからの数年も、やりたかった仕事につけて張り切っていて、覚えたいこともたくさんあって、毎日毎日、忙しく、全然疲れもしなかった。

自分は本当は夢の中にいるんじゃないかと思っていたくらいです。

が、2年くらい前からでしょうか。
なんか足りない。
なんか満足できない。
そんな気分に取り憑かれるようになったのです。

趣味でも持とうか、と思いましたが、洋服にフィギュアスケートに、時々音楽があれば、他に興味が沸くものはなし。
弁護士も今やダブルライセンスの時代。他に資格取るか!といくつか試して見たものの、時間がないと言い訳ばかりして、はかどらない。
てことは、イマイチ乗れてないのです。

そのうち、体調を崩し…
うーん、明らかに自分の精神がダウンしてるよねー…

ところが、フッと、先月末に実家に帰る前当たりに、気がついたのです。

目標が欲しいんだな、自分、と。
今の自分、大学に受かって目標見失ったときと、すごいそっくり。

じゃ、目標立てればいいじゃん、と思うものの、難しいんだなー、これが。
何しろ、若かりし頃から、人生最大の夢と考えていたことを叶えてしまった。

しかも、それは、難易度的には結構凄いもので、あの受かるまでの過程を思い返すと、あれを超えるほどの達成感を得られるものは、そうそうない。
→マゾ?

さらに、ハヤシ、苦手なことが多過ぎて、できることが限られている…
理数系も経済経営系もからきしですから…

というわけで、更に悩みが深まりそうだったのですが、つい最近、あ、あれかな、というものに思いあたりました。

諸々の大人の事情で、まだブログには書けません。
本当に、それでいいのかも、慎重に考えたいし、手段をどうするかも考えなきゃいけないし。

しかし、目標ないと充実できない四十路女、中身の成熟度は、本当に低い。
いい加減、日々の暮らしの何気ないところを楽しめるくらいになりたいんですが、所詮は貧乏性のお猿さん、華麗な孔雀にはなれないということのようです。

それに、その目標に挫折したら、今度はワタシ、どうなるんだろ?
またまたもがき始めることになるのかな…

いずれにせよ、疲れる人生だ…


2015年4月6日月曜日

こういう人が好き、嫌い。

月曜日のハヤシです。
本日は、自宅で執筆仕事をしておりました。
どうやら、また気持ちは引きこもりバージョン。
おそらく、3月中旬から末にかけて、柄にもなく一生懸命頑張っちゃったからだと自分を甘やかしているダメな社会人です…
明日は出なきゃいけないけど…あさっては、用事がすんだら家に帰ってこようかなあ…

さてさて。
日頃の発言から、お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、ハヤシ、人の好き嫌い・許せる許せない、がかなりはっきりしています。
そして、「嫌い」と「許せない」の序列ですが、「嫌い」のほうが、下です。「許せない」けど「嫌いとまでは言えない」(しかし、その人が男性の場合、自分が恋をすることはない)という感じです。

最近あんまり「嫌いな人」「許せない人」に会わない…というか、そういう感情をできるだけ持たないようにコントロールするようには多少なれてきたのですが、久々に「あ。私、この人嫌いだ」としみじみ思うことがありました。

このブログ、なんか人物の同一性に気付いている人が徐々に同業者内に増えているみたいなので、あんまりはっきり書くとあれなんですが、まあ、覚悟を決めて書いちゃいましょう。

少し前の話です。
ある仕事で弁護士が何人も参加してセミナーみたいなものをやる機会がありました。
若い弁護士も、そうでない結構なベテラン弁護士も、設営とか片付けとか、運営側がほぼ全員参加でこなしていた。
なのに、その人だけは、それにまったく参加せず、ずっとパソコンとにらめっこしていた。
自分より先輩の先生が、一生懸命、体使って立ち働いているというのに。

この方、業界的には、たぶんかなり名が売れている方です(一般の方は知らないと思いますが)。弁護士としての能力が、とても優れた方であることは間違いありません。

それだけに、その人のことが私の眼には「自分は別格で、こんな下働きみたいなことはするような存在ではない」というオーラを放ちまくっているように見えました。
もちろん、同じように働かない人でも、単に気が付かない人として、それほどの悪意を感じないこともあるでしょう。

しかし、その方は、日ごろから手下を作って仕事をやらせ、しかもその手下を割に積極的に増やしていく傾向にある人でした。
そんなわけで、私には、その人が余計に「自分は特別~。いざってときだけでてけばいいさ~」と、どこぞの大俳優みたいな立場にいるとお考えになっていらっしゃるように見えてたまらなかったのであります。
しかも、働いている人間に一言もない。

うわ~。いやだ~。どんないいこと言っても、こいつ真実味ねーなー!!
きっとこの人は、小学生のころ、給食当番を他の人にやらせて、しかも担任からは怒られないようにうまく立ち回っていた「ずるがしこい」黒幕タイプの人間だったに違いない、心底そう思ったのであります。

恥ずかしいんですが、ハヤシは「ずるい人」が一番嫌いなんだと、しみじみしみじみ思いました。これ、子供のころから全然変わっていない。
中学生の時も、学年の人気者が大嫌いでした。男の人気者も女の人気者も大嫌いだった。
だって、その子たちは、手下を何人も作って、やるべきことをやらず、自分の気に入らない人は徹底排除するような人で、しかもそういうことをおとなに見つからないようにやる要領のよさも持っていたから。
(とすると、先の人に対する嫌悪感は、もしかしてただのトラウマ?)

さすがに大人になって、この世界に入って、そこまで露骨に「給食当番やらない人」に会うとは思っていませんでした。
あー、久しぶりに味わった「この人嫌い」感。

逆に、「この人好きだなあ」とつい最近感じたこともありました。
タモリです。

タモリは私が小学生のことからテレビに出ていましたが、このころやっていたのは「四か国対抗麻雀」とか「ハナモゲラ語」とか、「恐怖の密室芸」と呼ばれた芸風をまだ色濃く残したものばかりでした。
意味の分かんないおじさんだけど、なんだか好きで、「今夜は最高!!」も「テレビファソラシド」も、「タモリ倶楽部」も「ブラタモリ」も、そして「ヨルタモリ」も見ているのであります。

改めて好きだなあ、と思ったのは、例のBOSSのCM列車編。
いつものタモリなんだけど、さりげないお芝居もしていて、特に「もうすぐ終点かな?」とつぶやいた後に、トミー・リー・ジョーンズが「もうちょっとあります」と答えたときに、後ろを気にする姿なんか、絶妙だなと。

ある意味理想だよなあ、タモリ。
頭が良くて、
料理ができて(しかも大げさすぎないつまみ系料理)、
ぶっとんでるところがあって、
でも、前に出すぎない。
絶対に、苦悩の日々があったはずだし、幼少のころの家庭環境もかなり複雑だったようなんだけど、そういうところをひけらかさずにナチュラルに受け止める清さ、も評価高し。

お腹も出てないし、ファッションも小綺麗だし。
見た目の劣化具合も余裕で許容範囲。
生存者の中では、パーフェクトです(個人的には児玉清がオジサマとしては最高ですが)。

タモリの良さって、何でもできる器用さだけにあるのではなくて、出自が結構アングラなところにあり、ほのかにほのかにコンプレックスの存在を感じさせるところだと思うのです。
オタクの走りみたいな人でしょう、この人。あれだけの長寿番組をやっておきながら、負の部分のオーラがうっすら漂ってくるところが、最大の魅力ではないかと思うのです。

自分の歴史をひも解いてみると、幼稚園の時にできた、ハヤシ史上初めての友達(と認定している)は、そのころ「自閉症」と呼ばれていた男の子でした。
彼と話したことも、その声すら思い出せないのに、おっとりしていてやわらかい雰囲気があって、幼稚園からの帰りにはいつも私の傍らにいてくれた彼。

親戚の中で一番好きだったおじさんは、父の弟で、小さいころには近所に住んでいたせいもあって、一緒にご飯を食べたり、遊びに連れて行ってもらったりしました。
どこか寂しい雰囲気を漂わせたハンサムなオジで、40代半ばにしてアル中で死んでしまいました。

タモリと、自閉症の彼と、アル中のおじさんには一見何の共通点もなさそうなんだけど、「明るい光の中で生きてきた人」「王道にいない人」というところで、くくることはできるのかな、なんて思ったり。
そして、おじさんと自閉症の彼は、どう考えても要領なんて決して良くなく、どちらかというと踏み台にされるタイプ。

悪代官と搾取される農民のドラマを見せられて後者に肩入れするような単細胞人間であることが明らかになったみたいで、決まり悪いですねえ…

でも、やっぱり嫌なものは嫌だし、好きなものは好き、ですからね。
たまにはこういうことも言っていこうかな、なんて思ったり。

そういや、私は、頭の中は8歳の少年だと言われたことがありましたな。つい最近、かつての同級生に。
うん、確かに、8歳っぽいかも。


2015年4月3日金曜日

人の命は短くて。

金曜の昼下がりのハヤシです。
一時期の「忙しすぎてどうしてくれよー」という嵐の日々が過ぎて、とりあえず今週は、昨日あたりから、平常営業の「まったりのんびり」に戻りつつあります。

さて・・・
ちろっと、ぐぐたすの投稿には書いたのですが、昨日、中学の同級生が亡くなったという連絡が入りました。
30日に脳出血だったそうです。女子です。

西荻窪のほうでご主人と数年前からバーを営んでいたのですが、3月20日頃に具合が悪くなって救急車を呼んだところ、そのまま集中治療室行き。10日ほど患って息を引き取ったとのこと。
45歳になったばかりでした。

ハヤシは中学の頃、陰湿ないじめに遭っておりました。
いじめに遭っていた人間からすると、いじめに関わっていない人間も、助けてくれない、かまってくれない限りは、全ていっぱひとからげに敵に見えてしまうもので、ハヤシは、そのときのトラウマをずーとずーと今でも引きずっております。

最近でこそ本名でやってるフェイスブックで数名とつながって、昔ほどの嫌悪感はなくなってきたものの、つい最近までは、本当にゴクゴク限られた人たちとしかつながりがありませんでした。

そんななか、今回亡くなった彼女は、ワタシにとって「何となく忘れられない人間」だったのです。
他の友人と一緒に部活をさぼって、地元のFMの番組にやってきた初代いいとも青年隊を見に行ったことがありました。
でもだからといって、特に仲が良かったわけでもありません。
しかし、どこか個性派で、すっとぼけたところがあってマイペースだった彼女は、ワタシにとって、印象に残る人間でした。

こちらの大学に来て、そのまま劇団女優になり、その後今のご主人と出逢って結婚したという話を風の便りに聞いておりました。
8年ほど前に、一度東京で中学の同級生らとともに会ったことがありました。
昔よりもかなりふくよかになった彼女は、どこかどっしり落ち着いて世の中を冷静に眺めた大人の女の人になっていました。

なんかかっこよくなったなあ、と思いました。

会ってはいないけれど、つきあいが再開したのはつい半年前のことです。

フェイスブックに事務所開業の知らせを出したところ、お祝いのメッセージをくれました。そこから、フェイスブックやインスタグラムでのやりとりが始まりました。

彼女とのやりとりを見ていたご主人からも友達の申請が来て、うっすらと、でもお互いどんな状況なのか分かるような細々としたつきあいが続いていました。

一度彼女のバーに行こうと思っていたものの、体調を崩して時期を逃していました。
まだアルコールは飲めないけど復調してきたので、この忙しいのが一段落したら行こうか。
そう思っていた矢先に、彼女の店が休業するという知らせがフェイスブックに載りました。
体調でも悪いんだろうか、と思っていた矢先、訃報が届いたわけです。

正直、かなり堪えました。

今までも中高の同級生は何人か亡くなったりしています。
自殺なのか突然死なのか分からないのもいました。
ガンを患って亡くなった人もいました。

しかし、今回のように衝撃的で気持ちに堪えたのは、たぶん初めてです。

それは、亡くなった同級生の人たちはほとんど行き来がなかったり、生きてるときでも、(失礼な言い方ですが)どこか棺桶に片足突っ込んでいるような雰囲気を漂わせていて、亡くなったこと自体に意外性がそれほどなかったことが理由のように思えます。

彼女は、リアルタイムでやりとりをしていて、ワタシの身近でぴんぴん生きている人だった。
死ぬはずなんてない人だった。
だからこそ、とんでもなく衝撃的でやりきれない気持ちでいっぱいなのだと思います。

葬儀は身内の意向で内々ですませてしまったそうで、最後のお別れもできずじまいでした。

若い時分に、地元の文化教室で文章の書き方を習っていたことがありました。
そこで仲良くなった70代のおばさまがいました。
なぜか気に入ってもらって、時折一緒にお昼を食べたりしていました。
長いこと会っていなくて、連絡しようと電話したけど不在で、それきりにしてしまったことがありました。
その1ヶ月くらい後に訃報を聞いたことがありました。

あのときと今の気分はとても似ています。
ちゃんと会っておけば良かった。
そんな後悔が残ります。

最近、名古屋時代に一緒に事務所を切り盛りしていた元事務局のお父上が亡くなるという出来事がありました。
お会いしたことはなかったけれど、お話は時折聞いていて、亡くなったと聞いたときには、やはりとてもショックでした。

変な話ですが、例のISの事件。湯川さんが殺害されたという一報を聞いたときの衝撃もすごく大きかった。知人が亡くなったと知らされたときよりも数百倍の威力があった。

ちょっとこれは特殊事例だけど、人が亡くなったという知らせのインパクトは、単にその人と自分の「近さ」のみに寄るものではないんだなとしみじみ感じます。

ハヤシが大好きだった母方の祖母は98まで生きました。祖父も98まで生きました。
父方の祖父母も90前後まで生きていて、ハヤシ家は長命の家系といえるように思います。

そのせいか、自分もすっかり98まで生きるつもりでいるのですが、ホント、人の命なんて、わかったもんじゃない。
これからハヤシ、仕事で出かけますが、もしかするといきなり車にひかれてお陀仏なんてこともあるわけで。

たったひとつ救い(と思いたいだけだけど)なのは、彼女自身は倒れる直前以外は、おそらくなにも分からずただ寝たままの状態で亡くなったということ。
苦しい時間を長いこと過ごさなくて良かったということ。

でも、ご主人は最愛の妻を亡くしたわけですし、故郷には高齢のお母さんが一人残されたわけですし、やりきれないことこの上ないな、やっぱり。

ご冥福をお祈りします。