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2015年5月31日日曜日

今日はタイトルをつけずらいので、無題。

揺れました。東京。
いや、小笠原とか埼玉とかのが段違いで揺れたと思うのですが。
住んでいるのは都内のマンションの9階。
夕食の片づけが終わって、昼間からやってた書面作成の仕事の続きが終わって、ホッと一息ついていたところ。
最初、微妙な揺れが長く続いて、なんとな~く「これは…来るかなあ?」とか思ったら、大きい揺れが来たのでした。

なんか大震災の時のことを思い出しましたね。
当時名古屋に住んでいたのですが、よりによって会議に出るために東京に来ていて、地震発生時は霞が関の弁護士会館の17階に…その日は帰れず、一晩弁護士会館に泊まりました。
その時の一発目の揺れに、感じが似ていた。だから、震度4くらいで済むとは思っていませんでした。
続きますなあ、最近…明日あたりお水買い足しておこう、なんて思っちゃいました。

さて本題。
先日、あさイチで、栗原類くんが自身が発達障害(ADD:注意欠陥傷害)であることを告白して話題になっていました。
この日、ハヤシは、午前に急ぐ用事もなく自宅で家事をこなしながらあさイチを観ていました。

あさイチ初登場の類くん。
番組冒頭から、いつにもまして神妙な顔つきで座っている。
今日の特集が「発達障害」と紹介されたところで、もしかして?と思っていたら、案の定そうでした。

大ファンとまでは言いませんが、栗原類くんは、好きなタレントさんです。
だから、発達障害と知ってびっくりしました…と言いたいところですが、意外ではありませんでした。
それどころか、「あ。やっぱり」というか、自分が「好きだなあ、この人」と思っていた雰囲気の原因はそこだったのか、と妙に納得したくらい。

類くんの、「心ここにあらず」みたいな、ミステリアスな表情、どんな番組に出ても空気を読まずに正直な言動や反応をしてしまうところ、お愛想笑いも予定調和な相槌も一切なし。そんなところが好きでした。
思えばこれが「発達障害」独特のもの、なんですよね、たぶん。

実は、弁護士というのは(扱う事件にもよりますが)、知的障害や発達障害、精神障害をお持ちの方に接することが結構多いのです。
特にハヤシの場合、以前いた職場の関係で、かなりな数のこういう方々にお会いしてきました。
そのせいなのか何なのかよくわかりませんが、多少お話しすると、お持ちの障害について大体の見当がつくようになりました(それが必ずしも正しいとは言いませんが)。

十分にコミュニケーションが取れて、これらの障害を持っている人でも満足してくれるような解決ができている…とは思えないのですが、特にお会いしたり話をしたりするのに、気持ちのハードルが生じることもありません。
自分ではそれは特別なことでもなんでもなくて、多くの人はそうなんだろう、特にうちの業界にいる人は大抵そうだろうと思っていたのですが…案外珍しいのだということに割と最近気が付きました。


思えば、自分は昔からそうだったんだなあ、というか、むしろ「平均がとれていない人」に惹かれる傾向が、子どものころからあったようです。

自分の心の中で「人生最初の友達」と思っているのは、幼稚園で同じクラスにいたとある男の子でした。
「みつばちマーヤの冒険」に出てくるウィリーによく似ているおっとりした子でした。
自宅が同じ方向で、いつも、うちの母とその子のお母さんとその子と一緒に幼稚園から帰っていました。
何をしゃべったという記憶もないのですが、となりにいるのが当たり前で、ごくごく自然で居心地の良さを感じていました。

ある日、「〇くんは自閉症なんだよ」とうちの母親に言われたことがありました。
母は、その子はうまくお話ができないけど、だからってからかったりしてはいけないんだよということが言いたくて、ハヤシにそのことを告げたようでした。
ハヤシの中には「ジヘイショウ」という言葉だけが心の中に残りました。
なんか自分と違うのか?と今まで気にもしていなかったことが、逆に気になったのです。

で、ある日、幼稚園でずっとその子のことを観察していました。朝幼稚園に行ってから帰るまで。
出た結論は「〇くんは、ふつう」でした。
確かにちょっとどんくさいかもしれないけど、別にだからって何か違うってこともないような気がしたのでした。
その子とは小学校1年生まで同じクラスでしたが、私が途中で転校して、以来連絡が途絶えてしまいました。
今、どこでなにをしているのかな、とわりにしょっちゅう思い出す友達です。

うちは、父も母も兄弟が多くて、そのため「おじおば」にあたる人が大勢いました。
そのなかで、一番好きだったのは、父の末弟のおじさんでした。
他のおじさんは親戚が集まっても昼間から酒ばかり飲んでいて、人見知りで人の輪の中に入るのが苦手だった子どものころのハヤシには、ろくに話しかけてもくれませんでした。

末弟のおじさんは、よく声をかけてくれて、近くの公園に連れて行ってくれたり、一緒にかるたやトランプをしてくれたりしました。
いつだったか、みんなが大広間で朝ご飯を食べていたときに、ワタシとおじだけが台所の小さなテーブルでトーストを一緒にかじっていたこともあります。
どこか寂しげで、子供のワタシから見ると、ハンサムなおじでした。

そのおじは、30代の中ころからアル中になり、40代で脳出血で亡くなりました。アル中になってからも何度か会いましたが、表情は暗くても会えばやはり、私の体調などを気遣ってくれるおじでした。

高校生の頃仲良くしていた友人が、30代初めにパニック障害を起こして公共交通機関に乗れなくなったことがありました。
スヌーピーのマンガを長いこと読んでいたワタシは、たまたまその病名を知っていて(ライナスはパニック障害という設定)、その後、彼のリハビリに付き合うという名目で、受験時代の息抜きに、よく一緒にランチをするようになりました。

同業の友達と食事をしていて、たまたまこういう話になったところ、「ハヤシはさあ、呼ぶんだねえ、そういう人を」と言われたことがあるのですが、この「呼ぶ」という表現は、当たっているような、当たっていないような、よくわからない感じです。

これでもハヤシはデリケートな子どもで、幼稚園時代クラスの担任の先生が合わなくて通園にストレスがかかり、5歳にして円形脱毛症になったほどでした。

受験時代には抑うつ状態に陥り、母に「あんたちょっと変だから病院行きなさい」と言われて心療内科に通院していたこともありました。
最近だって、ストレス性疾患の代表格、逆流性食道炎に過敏性腸症候群を患い、果ては食べることが怖いと感じる事態に至りました。
胃腸薬以外の投薬を受けたり定期的に通院を義務付けられているわけではないですが、断続的に心療内科の先生にお世話になっている状況です(自分の状態の確認のため、自発的にたまに会いに行っている感じですね)。

自分の精神の力には自信がありません(まあ、全体的に自信がない状況で生きているのですが、正しく言えば)。
いつぼろぼろと崩れていっても、そんな意外じゃないよな、と、そんな気持ちでずっとずっと暮らしています。

思えば、幼稚園の友達も、アル中のおじも、パニック障害になった友達も、みんなそのときそのときでワタシの傍らにいてくれて、あまり彼らにとってありがたくない状況にいながらも、ワタシの気持ちを助けてくれていたわけです。
そして、たぶんワタシはワタシで、それが何なのかはわかりませんが、何がしか彼らの役に立つことがおそらくはできていたと思うのです。

なんというか、うまくいえないのですが、自分にとっては、自分もその人たちも別に違うところなんてなくて、お互いに相手にとってできることがあればそれをやって生きていくのがふつうだよな、とおそらくは無意識のうちになんとなく思ってきたのだと思うのです。

それが他人から見ると「呼ぶ」と表現すべき事態になっているのでしょうが、ワタシからすると、別に普通に付き合っているに過ぎない。
そういう人たちとお話しするコツは、とか聞かれても別にフツーにしているだけなので、何ともお答えしようがありません。

で、今日のこのブログ、この時点でどう〆ていいのかわからなくなってしまっているのですが(所詮独り言なんだから無理に〆なくてもいいのかもしれんが)、なんか、こういう自分が普通じゃない人扱いされるのは(実際されてます)、寂しいよなあという、ただそれだけのことを言いたかったような気が、今しています。

うちの業界、「福祉との連携」流行りなのですが、「障害がある人のために」とか大上段構えて言っちゃうのが、あたしゃーこの上なく嫌なんだよ。なんだよ、それって、そう思う。

そういう感覚が、マイノリティーってことなのかもしれませんが。












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