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2016年1月31日日曜日

おしゃれって、カッコ悪い?

昨日から今日にかけて、「見ときゃ良かった」というスポーツ番組を見逃しています。
サッカーのオリンピック予選決勝。
あの世代、知ってる選手がほぼいないし、日韓戦なんて勝てるわけないだろ…と思って朝を迎えたところ0-2からの逆転で勝ったというではないですか。
そしてついさっき。
大阪国際女子マラソンやってたなんで知らなんだ。福士加代子がぶっちぎりで優勝して、標準記録も突破したんだってねえ…

うー。
悔しー。

それはさておき。
「おしゃれ」という言葉について、最近考えるところが出てきまして。
「おしゃれ」とは、服装などのセンスが洗練されていることや、特定のスポットが洗練された雰囲気であることを指す言葉。
洋服好きなこのアタシ。お会いする方に「ハヤシさん、おしゃれだよね」などと言っていただくこともあり(理解不能なファッションセンスと言われることもあり)、それはすべからく褒め言葉なのであろうと受け止めてはおります。

がしかし、「おしゃれ」か「おしゃれを気取る」かのラインは時として微妙であり、そして、一線を越えて後者のエリアに入ってしまった場合、服装のセンスがない、おしゃれスポットに行こうとも思わない人よりも、遥かにダサく、かっちょ悪く、間違った自己顕示をしているかのように受け取られる事態になるものだと、2つの事例から(なんだ、この法律家的な言葉遣い)痛感してしまったのでありました。

1つ目の事例。
ハヤシは、非常勤で裁判所の仕事をしており、裁判官やその他裁判所の職員の方と、最低限のお付き合いがあります。新年会とか、暑気払いとか歓送迎会なんかに参加するとか。
がしかし、お付き合いとしては、その程度(もともと決して社交的な性格ではない故)。

先日の飲み会の際、同じく裁判所で非常勤のお仕事をしている女性の弁護士が、裁判所の若い女性職員2名を連れて、自分がご招待を受けた超一流ブランド(エ○○スとか、*イ@トンとかその類ですな)のパーティーに行ったたというお話が出まして。
連れて行かれた職員の方の感想が、「すごく楽しかったです~」ではなく、「**さんが、お店の方から、いつもありがとうございます、お待ちしておりましたなんて挨拶してもらっていて、すごいなあと思って見てました~」というもので、「あ~、こりゃ失敗したな」と感じました。

この人の名誉のために言うと、とっても優しい方なのです。裏表がなくお付き合いしやすく、明るく、社交的な方なのです。まあ、弁護士として結構もうけていることも間違いない。
おそらくご本人的には、同伴者OKの招待状をもらったので、いつも世話になっている裁判所の職員の若い女性でも誘ってあげようというまるっきりの善意だったと思うのです。
が、さっき書いたコメントからもわかるとおり、最終的には「自分が一流ブランドを身に着けているイケてる人なのだ」ということをひけらかしただけの残念な結果に終わってしまったわけです。

2つ目の事例。
ご主人とうまくいってなくて別居している知人の女性に、ご主人てどんな人?と聞くと、こんな返事が。
「アマゾンとか、代官山とか、アップルとかが大好きなんだよ~。アマゾンで物買ってる自分、代官山に行く自分、アップル製品いじってる自分が好きみたいなんだよね」という、さすが別居しているだけあって、手心のないコメントが返ってきたのでありました。
「スターバックスもね、代官山のスターバックスがいいの。TSUTAYAと一緒になってるおしゃれな作りのスタバ」。
はあはあはあはあ、目に浮かぶようですなあ…

つまり、自分を「シャレオツなピープル」と見てもらいたいがために、他で用が足りるにもかかわらず、わざわざ世間的に「おしゃれ的なもの」と位置付けられているであろうモノにしがみついてしまう方々。
個人的には、よくわかりもしないくせに、ジャズとかのCDやレコードをさも聴いてる風にうんちく垂れて、フェイスブックやインスタグラムに写真アップしちゃう人も、このカテゴリーに入ると思うちょります。

洋服ってのは、それを着ていて自分が心地いいことが一番大事なんだと思うのです。
エ○○スの服も、○ッチの服も、バッグも靴も、人にひけらかすために着るものではなく、本来、それをまとって自分自身が心地よく過ごせるようにすることが大切なのだと思うのです。
おしゃれな場所というのも、結果的にそこがおしゃれの烙印を押されているだけで、そこに行くやつがみんなおしゃれなわけでも何でもない。

そういうことが頭になく(故意か過失かはさておき。あ、また法律家みたいな表現)、おしゃれなものを着ていること、おしゃれなスポットに行くことなどを他人にアピールすることになってしまった場合、それは真のおしゃれでも何でもなくなり、「おしゃれを気取る」残念な人に成り下がってしまうのだよなあ、と、2つの事例からしみじみ感じ入るのであります。

ちなみにハヤシは、自分のこと、おしゃれだとは思っていません。
ただの洋服好きの田舎者です。

この前、仕事で代官山に行きましたが、疲れてしまって休みたかったのに、周辺のカフェがシャレオツすぎて拒否されているような気持ちになって、どこにも入れず、駅近くのセリアで突っ張り棒2本買っただけで帰ってきてしまいました。
職場の近くの甘味処とか、ドトールとか、アキバヨドバシの喫茶店とかが落ち着きます。昨日もヨドバシに行って、オタクのお兄さんやお姉さんがたに混じって、小一時間ほど本読みながらお茶してきました(みんな携帯やパソコンいじっているので、すごい静かでちょうどよい)。

アマゾンは大好きですが、一番よく買うのは湿気取りの「みずとりぞうさん」です。
アップル製品で使っているのは、iPhoneとiPadのみ。おしゃれな外観に騙されないぞ、全部アップルでそろえたくなる誘惑には負けないぞと、不必要に警戒しています。

*ッチのバッグは一個持っているけど、買ったのはもう10年も前。
エ○○スは、以前もらったスカーフが硬すぎて、いまや手が出ない(アンティークのとか、見てると楽しいですけどね)。

こういう自分を俯瞰するたびに、やっぱり根っこは北海道出身の田舎者だよなと思います。
若いころからの「ものを斜めに見る偏屈」な性格も全然変わんないよな、と思います。
垢ぬけたものに何の躊躇もなく入っていける真のシャレオツさんとは、月とスッポン、間違いありません。

でも、これで別に構わないです。
おしゃれを気取って後ろ指指されるくらいなら「怖くて代官山のカフェに入れねえんだよ」と堂々と言える人間でいた方がいいよ、あたしゃ。

だって、気取るって疲れるもん。
ホントはダサいってばれたらどうしようなんて、びくびくしながら生きるなんて、アホくさい。

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