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2020年9月27日日曜日

珍しく仕事のことを。

 休日はなるべく仕事のことは忘れようと思っているのですが、今日は珍しく書こうと思います。


最近、担当している件で、「ちょっとおかしな同業者」が本人として裁判をやっていたり、代理人をやっている件というのが目立っています。

数えてみると5件(1件はもうすぐ終わりますが)。

そのうち同業者が本人で裁判やっている件は2件。うち3件は、裁判や調停の代理人という件です。

このうち女性はひとりで、残り4人は男性です。

で、年齢層は30代から(おそらく)60代までと幅広く、したがって経験年数もばらばらです。


経歴を見ると、確認できる限り、東大出身者が3人です(びっくり)。


「ちょっとおかしな同業者」という言葉のニュアンスを説明するのは難しいのですが、圧倒的に仕事ができないレベルでおかしいと言うにとどまらず(ひとり含まれていますが)、KYだったり、こちらをディスることしか考えていない(注:弁護士という稼業は依頼者を背負っているので、書面上の主張が気に食わないとしても「仕事上のこと」と割り切って、弁護士本人に対して敵意を向けないというのがセオリーなのですが、弁護士本人をディスりまくる)という感じです。

昨日の電話ではフレンドリーだったのに、裁判所で会ったら不機嫌な態度とか、お天気屋の小学生みたいな人もいます。


今までも、時折、問題のある同業者が相手につくことはありました。

あからさまにこちらを脅すような言葉をら吐かれたこともありますし。

私もまる13年この業界にいますが、そういう「ちょっとおかしな同業者」が現れるのは、ポツンポツンという感じで、まあ、2年に1度、2度という感じでした。


一度に5人というのはなかなかない状況です。


で、この状況、なかなかストレスフルです。

わけのわからない人間の相手をすること自体もそうですが、抱えている案件の進行の見通しが立ちにくく、対応が難しいというのが大きな理由です。


普通の同業者がついている事件であれば、「おそらくこのあとの展開はこうなるな」とある程度予想がつくことが多く、バッチリ当たらなくても方向性として間違っていないことのほうが圧倒的に多い。

しかし、ちょっとアレな方がお相手だと、進行が明後日方向に行ってしまうので、うまく対応できないのです。

その自分がうまく対応できない感じが、非常に悔しいんですよね。

「なんでこんなやつに翻弄されなきゃあかんねん!!」思ってしまう。


ここが私の完璧主義でよろしくない(=煮詰まってしまいやすい)ポイントだと思うのですが、そういう明後日方向の相手に対しても、いや、そういう相手だからこそ、木っ端微塵の一網打尽にしてやりたいと思うのです。

が、なかなかそれがうまく行かない。

そういうの、とてもストレスなんですよねえ・・・


こういう話をすると、弁護士は数が増えたからたちの悪いのも増えたと言われそうですが、先に上げた5人のうち、弁護士の数が増えだしてから弁護士になったのは一人で、他の4人は数が増えだす前に司法試験に合格している人です。


我々の業界の人間からすると、弁護士の数が増えたことに伴って増えたのは、個性がない面白くもなんともない弁護士です。

仕事は、取り立ててできるわけでもないけれど、まあ突っ込まれない程度のことはできる。だけどそれだけ、という人が非常に増えたかなと。

かと思うと、類まれなる経営手腕を発揮して、事務所をどんどん大きくしてガッポガッポ儲けちゃう敏腕ちゃんも出てきました。


「大丈夫かよ、こいつ」と突っ込みたくなる同業者は、むしろ、まだまだ合格者が少なくて、「弁護士様」と崇めてもらえた時代に合格した人のほうが多いように思います。

要は、「自分の頭の良さ」に酔っ払ってしまって、人のアドバイスが頭に入らず、自分の理屈やルールを押し通すことしかできない人は、その世代に多いということなんだろうと思います(なお、私はスマートな頭脳でスマートに受かったのではなく、それなりの能力に根性と根気をプラスして10年も受験して受かった人間。酔っ払うような頭脳はありません)。


こういうアレな業界人というのは、裁判所でもマークされていることが少なくないらしく、実際、先の5人のうち、3人は、裁判所の職員や裁判官本人がぐちめいたことを私に言っていたことがあります。

うちひとりは、裁判所から危険弁護士として認定されているということも聞くに及んでおります。


あなたも気をつけなさいよ!!と言われそうですが、私はこれでもかなり気が小さいほうなので、裁判所や関係諸機関に対してはわりに腰が低く、評判自体は悪くないと思います。


言いたいことをかなりはっきり言うわりには(だって嘘つきとか言われたら嫌だし)、対応困難者が比較的多いうちの事務所でも、顧客とのトラブルは少ないと思いますし。


人の振り見て我が振り直せ。

「気にしい」の性格って、業界の中で信頼されて仕事をするためにも必要なんだなあ、なんて思う次第でした。




2020年9月24日木曜日

本日は在宅のお仕事。気が向くままにペットのことをつらつらと書いていきます。

 本日は、台風ゆえ、大事を取って在宅で仕事をしておりました。


今の時代、クラウドでデータ管理さえしていれば、PCとスマホ1台でいくらでも在宅仕事ができるな・・・と思います。

我が業界は紙に頼る傾向が強いですが、それでもなんとかなってしまう。

こうなるとオフィスって、単にプライバシーを守るための意味しかなくなってくるのではないか、そんな気がします。


さて、前回投稿で、2匹目のペットの話で母と大喧嘩したという話をしましたが、その後母とは無事に和解して、普通に会話している状況です。

まあ、過去からの恨みが募っているような因縁の親子関係とかではまったくないので、気持ちが収まれば元通りという感じです(うちの母は、気難しい人でありますが)。


複数のペットを飼っている人というのは案外いますが、特にハムスターなどのげっ歯類を飼っている人にはその傾向が強いなあと思います。


ハムスターを3匹飼っていますとか、ハムスターにデグーにリスにマウスとか、リチャードソンジリスとラット2匹とか。


皆さんお仕事を持って複数飼いしているのでしょうかね?

ハムスター以外のげっ歯類は、おトイレを覚えない子のほうが多いので、お掃除の手間とか考えると、複数飼えば飼うほど手間が掛かることになります。

おそらく、ハムスター以外のげっ歯類を複数飼うのであれば、猫を2匹飼うほうが楽なのではないかと思います、身の回りのお世話という点では(ただ、猫に関しては、コミュニケーションという点でげっ歯類とは違う大変さがあると思います)。


私は、マサムネを可愛いと思う気持ちに溢れておりますが、ハムスターゆえマサムネはそんなことには無関心で至ってマイペース。

で、おそらく、もてあますこの愛情を他にぶつける?先が欲しくて2匹目の誘惑にかられているのではないかと自己分析しています。


しかし、2匹目を飼うハードルって殊の外高いのです。


その理由の1つは、先程話した「大抵のげっ歯類はトイレを覚えない」ことに付随するお世話の手間です。

特に、マウス類は、尿臭がとんでもないということで、選択肢から落ちています。


しかし、それよりも気になっているのは、先住のマサムネとの相性です。


マサムネは、クロクマと俗に言われていますが、種類としてはゴールデンハムスター。この種類は、縄張り意識が非常に強く、縄張り争いで殺し合いになるような喧嘩をすると言われています。

なので、飼い方を知らない人が2匹のハムスターを同じケージで育てた結果、一方が殺されてしまったり大きな痛手を負ったりすることもあるのです。

マサムネは、部屋の中を毎晩散歩します。つまり、私の部屋全てが今や彼の縄張り。

その空間に別のげっ歯類を飼ってしまった場合、マサムネはどういう状態になるのだろうか?ということが非常に心配なのです。


私が調べた情報では、同じ種類同じ性別は絶対にNG。つまりゴールデンの男の子は2匹目としては絶対にお迎えできない。


それから、体が大きいラットは、小型のネズミを食べたりすることがあるそうです。そうすると、何らか間違いが起こるとマサムネがやられてしまう危険性があります。

自分より強い子がいるということが分かれば、マサムネのストレスもマックスになるでしょうし(ただ、ラットは調べれば調べるほど面白そうな動物なので、将来的に飼ってみたいとは思っています)。


じゃあ、げっ歯類にこだわるのをやめて、爬虫類や両生類はどうか?というと、餌が、生きた虫だったり最悪ピンクマウスと呼ばれる冷凍の赤ちゃんネズミだったりして、もう絶対にあきまへん(なにしろ、爬虫類愛好家は生きたネズミを活き餌として平気で自分のペットに差し出すくらいですから)。

その意味で私でも飼えそうな爬虫類といえば、カメとイグアナです。が、カメはあまりに寿命が長い上、飼育設備にかなり気を遣いますし、イグアナはかなり大型になるので、やはり飼育は無理。


金魚やメダカも意外にデリケート。そもそも水の生き物は水の管理が非常に大変です。私にはちょっと無理かなと思います。


そうするとも少なくとも今の時点でお迎えできる現実的な2匹目のペットちゃんは、ゴールデンではないハムスターでメスということになりますが、2匹目もハムスターというのがちょっとつまらなくも感じているのであります(とはいえ、事情ありのハムちゃんの里親さんになるというのは全然ありですが)。


つまり何が言いたいかと言うと、「もう1匹なにか飼いたいなあ」という気持ちは盛り上がりつつも、結局ああでもないこうでもないと考え続け、マサムネ存命中は2匹目をお迎えすることなく終わるんだろうなということです・・・


色んな種類のペットちゃんたちを1つの家の中で共存させている方々は、本当にすごいなと思います。


というか、私が考えすぎなんでしょうかね?

えいや!!で飼ってしまえば、案外飼えるものなのですかね・・・


今マサムネは、自室でお休み中。

姿が見えなくても可愛いと思ってしまう、この間抜けな気持ちは、どうすれば落ち着かせられれるのでしょうか。

2020年9月22日火曜日

母と喧嘩しまして。

 なんと敬老の日だったというのに、昨夜から今朝にかけて、後期高齢者の母と大げんかになりました。


親には短時間でもほぼ毎日電話をかけるようにしています。

昨夜も同じように電話しました。

喧嘩の発端は、昨日の私の行動を話したことにありました。


昨日私はペットショップ巡りをしておりました。これ最近の趣味になりつつある。

特に東横線学芸大学の近くにあるpropというエキゾチックアニマル専門のペットショップが好きでして(遠いのでそう頻繁には行きませんが)。

昨日は、げっ歯類がたくさんいて、最近結構興味を持っているファンシーラットちゃんを抱っこさせてもらうなどして楽しみました。


自家繁殖させたジャービルちゃんが1000円で売っていて、思わず買いそうになったという話をしたところ、母の声のトーンが変わり、嫌味を連発し始めました。


ペットといえば犬か猫。

小さい動物は気遣いが多いから私達には無理。

お世話が大変なんだから2匹目はやめろ。

などなどなどなど。


実はマサムネの飼育にもなれてきたので、もう1匹なにか小動物を飼いたいなという気持ちが時折湧いてはやめているというのが続いています(部屋のスペースを考えると、そう大きなものは飼えません。ネズミ系のげっ歯類に限られます)。

そしてそういう気持ちを話すと、母はあからさまに嫌な声を出して、言下に否定するのですが昨日もまさにその調子。


私は、非常に楽しい休日を過ごしたのに、母のその言い方に気分を台無しにされ、電話を切ったのですが、腹の虫が収まらなかったので、その後、メールで文句を言いました。


私は、いかに母の心無い言葉で私の楽しい休日を傷つけられたかということを訴えたのですが、母は論点ずらしに終止し、やれ親をこき下ろして情けない、これじゃなんにも言えないなどと続けます。


しかも朝の5時から母がまたメールをしてきたので、私は起床直後にまたむかっ腹が立ち、メールでの攻撃を2,3発繰り出す始末。

最後には、母がしばらくメールしてくるなと白旗を上げ、昼前に終了となりました。


うちの母は、私が若いときにできた長女で、しかも私がいまだ独身のせいか子離れできていないところがあります。それに加え、専業主婦だったせいか、家族はすべて自分の意向通りに動いて当然と思うところがあります。

とても頭が固くて、「これはこう」と思ったら、他の考えを受け入れることもできません。


さらに、特に父に対しては心が狭く(まあ、父も気が利かなくてずれているところがある人なのですが)、チクチクチクチクと嫌味を言いまくる。

それでいて、父が母に対して怒りをぶつけると、毎日毎日自分が父の被害にあっているようなことを言い出す始末。


年をとってきたせいか、そういう「ちょっと扱いに困る」ところが強調されてきたように思います。


母の話を聞いていて嫌だなあと思ったのは、犬猫以外の動物を飼うということに対する嫌悪感、つまり動物に対する差別感みたいなものがあるように感じたということろです。


普段は優しい人なのに話をしていると人種差別的な思想を持っていることがわかってちょっと幻滅を感じたりする、なんてことを体験したことがある人もいるかと思うのですが、それに似た感じです。


なので、普段マサムネの写真を送って喜んでいる母でも、実際のところどうなのか、ハムスターは良くてもあからさまにネズミなラットなどは、気持ち悪い生き物と思っていて、そういうものを娘が飼うことを我慢ならんと思っているのか。そういう意味でイヤーな気持ちになりました。


2匹目飼うか飼わないかなんて、結局私が決めることであって、離れて暮らしている人にどうのこうの言われる話ではないと思っているので、全く人をいくつだと思っているんだよ、という面倒くささが一番先にあったのは確かですが。


実は昨日から今朝にかけては、むかつきながらも、以前のように腸が煮えくり返るということはなくて、結構冷静な部分がありました。

たぶんデパスを飲んでいたせいではないかと思います。


自分も性格が悪いなと思いますが、母が白旗を上げて「勝った」と多少優越感を持ってしまいました。

母は口が避けたってごめんなんて言わないけれど、暗に負けたことを認めたわけですから・・・


私と母親は気性が似ているところがあって、普段は気が合うのですが、ちょっと亀裂が入ると結構な喧嘩になります。

それでも今までは、いい加減なところで喧嘩は終了して、白黒つかないことのほうが多かったのですが(まあ、親子喧嘩なんて普通はそんなものでしょうが)、昨夜の件に関しては、半分冷静でありながらも、「人の楽しい気持ちをむやみやたらと踏みにじっても平気」というその母の無神経さに我慢ならず、とことんまでやってしまいました。


母とは今日一日話をするつもりはありませんが、別に後悔はしていないかなあという感じです。


昨日の一件で、故郷の札幌に帰っても同居はないな、とはっきりわかりました。

同居して、母をいなしている妹には悪いけれど、いちいちいちいち干渉されるのはゴメンです。


私、50代の働く自立した人間なので。


うちの親は毒親と呼ぶにはパワー不足ではありますが、そういうちょっと家族に嫌な思いをさせても当然と思っている親御さんと同居してお世話している方は、本当に偉いなと思います。

自分にはちょっと考えられません・・・


親孝行はしないといけないな、とは思うのですけれどね。


というわけで、なんだか4連休の終わりは、変な閉まり方になってしまったのでした。

2020年9月20日日曜日

最近の体調とペットのことなど

 暑さが和らいで幾分過ごしやすくなりました。


が、ここ数日自宅の温度管理に苦しんでおります。


我が家にはハムスターのマサムネがいて、室温管理は彼が基準。なにしろ、体が小さい小動物ゆえ、適温の幅が狭く20度から25度の範囲で管理しなければなりません。

エアコンを26度にすると、ちょっと風がスースーして人間様にはちょっと寒い。

だけど27度に設定すると、途端に25度を超えて湿度も上がる。

というわけで、26度にしたり27度にしたりを繰り返している状況です。

猛暑のときは、エアコン22度設定にしてかつマサムネのケージに凍らせたペットボトルを置くという室温管理でなんとかなりました。

今はちょっと微妙でまだうまくコツが掴めていない感じです。


さて、ここ数週間、1日2回のデパス服用生活を続けていますが、体調は、安定しているような、していないようなという感じです。


朝の起き抜けは、非常に調子が悪いです。

毎朝、胸のあたりが落ち着かない感じ。

すぐにでもデパスを飲みたいのですが、空きっ腹にデパスを飲むと、眠気がすごく出るので朝食後までとりあえず我慢します。

私は、朝食前に、ベッドメイキング、洗濯物をしまう、腿上げ200回などの運動、洗顔というステップを踏んでいて、起床から朝食食べ終わるまで、だいたい1時間半ほどを費やします(かかりすぎ・・・)。

気持ちわるーとか思ってから薬飲むまで、1時間半くらい経っているわけですが、その間に胸の気持ち悪さが多少良くなったりもしています。

個人的には、運動の効果かと思っているので、やはり適度な運動って大事なんだわと思っています。


1週間前くらいには、昼間の動悸がひどすぎて、本当は夕飯後に飲むはずだった2錠目を15時位に飲むということもありました。

その日は、夜までもたなければ3錠目飲まないといけないかな・・・と思っていたのですが、幸いもってくれたので3錠目に手を出すことはありませんでした。


お医者様からは、2錠目に関しては、その日の調子で飲まなくてもいいし、本当に調子が悪ければ3錠目を飲んでもいいとも言われています。

ですが、デパスって依存性があって、頼りすぎると抜く時が大変なのではないかという気持ちがあります。その気持ちが3錠目を飲むということのブレーキになっているような気がします。


とはいえ、前向きな気持は相変わらずですし、最近も今後の暮らしや仕事について新しいアイデアが出てきているところなので、状態がそれほど悪い・・・という感じではないのですが。


ただ、あまりに前向きすぎると、揺り戻しが来るのではないかという恐怖心はそこはかとなくあります。

「心配」な気持ちは際限がないなとつくづく思います(これも、不安障害の一種なんですかね・・・)


そんななか、私生活での興味はペットです。

現在飼っているハムスターのマサムネがかわいくて、毎晩彼がケージから出てきて部屋の中を見回りする時間は自分自身の楽しみのひとつです。

ちょこまかと歩く姿が可愛らしいですし、高いところの上り下りにちょっと手を貸す楽しみもあります。

マサムネがいる間はマサムネだけ、という気持ちが強いのですが、他の動物さんにも興味があって、ついついネットで調べてしまうという・・・


特に今のこの1K暮らしかつ年に数回帰省という生活パターンを考えると、現実的に考えて、お迎えできるのは小さめの子たちに限られます。

何年かあとに札幌に帰って定住生活?を送る時が来た時、猫を迎えたいという気持ちもありますが、両親が年をとってきて、実家の猫の面倒を私が少し引き受ける事態になる可能性もあり、もしかすると難しいかもしれない。


そんなわけで、飼育満足度が高く、かつ小型で飼いやすい動物はいないかと思って、いろいろ調べているわけです。


最近、いつか飼ってみたいなと思っているのがファンシーラットです。

これ、家畜化されたドブネズミで、ヨーロッパではメジャーなペットらしいです。

日本では、最近飼育者が増えている様子。

賢く、人になつきやすく、鳴き声がほぼないという集合住宅向けのペットなのです。


が、ハムスター同様寿命が短い。

そして、トイレは大の方は覚えるけれど、小の方は覚えないらしいんですよね・・・


最近思うのですが、ペットを飼うにあたって、トイレを覚えてくれるかどうかは、飼いやすさの指標として結構大きく、その意味で、ハムスター(ゴールデン種)と猫って秀逸なのですよね・・・(注:ハムスターは小は覚えるけれど大は覚えない。しかし、大の方は本当に小さく硬いものなので、覚えなくても支障がない。)


ハムスターって、ハマる方はめちゃめちゃハマって、一度に複数匹お迎えしている方も結構いますし、1匹亡くなると次もまたハムスターをお迎えするという方も少なくないみたいです。


それはすごくよくわかるのです。

ハムスターって、決して飼うのが楽なわけではなく、お世話はもちろん、部屋の中を歩かせるときに怪我をしないように監視しなければならないし(しかも夜行性なので夜遅くなる)、先ほどお話したような気温管理などなど手間がかかることも少なくないです。


ただ、私のような一人暮らしや、昼間家に誰もいないような家でも、とにかく昼間は巣箱の中で寝ていてくれるので、お留守番の心配をしなくていい。

それに、群れをなさず単独で生活する生き物(ロボロフスキーハムスターを除きます)なので、こちらにかまってくれとすり寄ってくることもなく、(それが寂しいという人もいますが)お互い、いい距離を保ちながら生活していきやすい動物なのです。


とはいえ、マサムネのご飯の支度なんかをしていると、「口の中になにか入れてよ」とばかりにひょこっとケージから顔を出してくることもある。

適度なふれあいもできるのです。


コロナの緊急事態宣言下、在宅で一人仕事をしていた私にとって、マサムネがどれだけ慰めになっていたかしれません(まあ、それでも心の不調はきてしまったわけですが)。


最大にして唯一の欠点は、寿命が短いことなのです。


そういうことを考えると、ハムスターが私にとってはベストフレンドなのかもしれないとも思うのですが、もともとは動物大好きのこの私、やっぱり他の子も気になるわけで・・・


ひょっとすると仕事が入っちゃうかもしれないのですが、そうじゃなければ明日は、エキゾチックアニマル専門店に行って、可愛らしい小動物さんを愛でてきてしまうかもしれません。


心の安定のためさ、と言い訳して。


2020年9月13日日曜日

自分のツール、整理整頓しています。

 相変わらずデパス生活が続いているハヤシです。


薬のおかげ・・・と思うのですが、精神的には現在割と安定している状況で(とはいえ、朝晩はなんとなく不安定になりますが)、気持ちも前向きになれている状況です。


なにより、少し前までは「老いゆく自分」というものにとらわれて、絶望的な気分に陥り、今後に関して、自分がやりたいこと、自分がどう生きていきたいかということを考えられず、とりあえず安定して生きていけることばかりに目を向けていました。


しかし、それでは、生活自体は安定するかもしれないけれど、ますます自分の精神が苦しくなっていくのではないかということにある日ふと気づきました。

むしろ、50代に突入した今、これから先老いゆくまで、どういう生活をしていきたいかを考えて計画的に動いていかねばならないのではないか、そのために今後の1,2年を費やそうと思い至りました。


私は、数年後には故郷に帰ろうと思っていて、帰ったあとは、儲からなくてもいいから、細く長く食べつないでいける程度に仕事をしていこうと考えています。

今は給料をもらっている身なので、そのための顧客開拓の方法を開拓していこうというのが、今考えていること。


そのために、本まで買って勉強しました。

斜め読みですけど(というか、ななめ読みで十分情報が入ってくる本でした)。


*単に本の紹介です*



顧客開拓ツールとして、実名のツイッターアカウントがあったほうがいいだろうと思いました。
が、実は1年半ほど前に、実名ツイッターを大炎上させて、アカウント削除したことがありました笑笑


最近、林ティアラ名義やマサムネ名義?でツイッターやブログ(アメブロ含む)をやらせてもらって、いろんなことを感じているところでした。


例えば、SNSも用途に応じた使い分けが必要だということ。その意味で、SNSの利用はそれ自体が目的ではなく、SNSは道具に過ぎないこと。


この前のブログに書いた気がしますが、SNSで大人気になる必要はないこと。届けたい人にメッセージが届けば、フォロワー数やPV数など少なくても構わないこと。


そして、人は「優しく丁寧な言葉」についてきてくれるということ。


そんなことを思っていたら、昨日書店でこの本に出会いました。
立ち読みしたところ、(特にビジネスツールとしての)SNSの利用に際して心がけるべき点がたくさん書いてあって、今の自分の気持ちにすっと入ってきたのです。


過去にツイッターを大炎上させた自分。
これからSNSで出直しを図る?にあたり、「やっちゃいけないこと」をいつでも思い出せるようにするために手元においておこうと思い、購入しました。


つい先程まで読んでいて、これはと思うところに付箋を張りまくっていたところです。


そして、SNSというものを考えているうちに、今自分が林ティアラ名義やその他の名義(実名の代替。ちなみに林ティアラは実名とは全く別の世界を表現したいと思って使っている名義で代替ではありません)で開設しているSNS(ブログ等を含みます)の中で、不要なものは思い切って削除してしまおうと思うに至りました。


それで、本名でも林ティアラでもマサムネでもない名義でやっていたツイッターと、林ティアラ名義でやっていたnoteのアカウントをつい先程削除しました。


note・・・このブログで「ものを書く自分として生きていきたい」などとぶち上げて勢いに任せて開設してしまいましたが、結論から言うと、使い方がいまいちよくわからないツールでした。
「ものを書く」という点でいうと、今の所、ブログにまさる点はあまり見いだせていない状況です。


個人的には、クリエイターさんに向いているSNSではないかという気がしています。
なので、ものをきちんと書くのであれば、既にやっているブログをしっかり書くのが今のところベストだろうということで、断舎離したわけです。


ただ、今後、実名でnoteが有益と感じることはあるかもしれません。
そのときにはまたアカウントを実名で設けようかなと思っているところです。


このあと久しぶりに実名のツイッターを開設する予定です。
詳細な設定は、今後の営業戦略?的なところも関わってくるため後回しにするつもりですが、とりあえず一歩踏み出してみるつもりです。


私は、割とこまめに洋服とか本とか断舎離して身辺整理する方ですが(なにしろ小さな1K住まいなもので)、SNSの断捨離、整理整頓というのは今まであまりやったことがなく、新鮮な経験でした。
思えば、SNSも人間の「持ち物」なわけですから、ある程度定期的に自分にとっての存在価値を問い直して整理することって必要だなと感じます。


今は、「やってみてだめならまた考えてみればいい」とも思いますし、「成果を急ぐ必要はない」とも考えています。
購入した「SNSの教科書」にも、SNSで狙うべきは蓄積効果、わらしべ長者を目指すべきでシンデレラストーリーを望んではいけないとありました。
まさにそのとおりと思います。


即効性を期待せず、コツコツ積み上げていくのは、数少ない私の得意技でもある。
成果を急がず、まずはやってみようと思うのであります。



2020年9月6日日曜日

アフィリエイトを意識しなくなったらブログを書くのが苦痛でなくなったことなどについて。

 九州の方はひどい台風が襲来していることと思います。

どうか現地の皆さん、お気をつけてください。

被害がごくごく僅かであることを祈ります。


さて、現在私はブログを3つやっております。

ひとつはこれ。

もうひとつははてなブログ(https://comcomcom0620.hatenablog.jp/

最後にアメブロもやっています。こちらは、ほぼハムスターオンリー。(https://ameblo.jp/comcomcom0620


よく3つもやっているなと思われる方もいると思いますが、自分としてはマイペースで続けているので、たまに「書くネタがない」と思うことはあれど、書くのが「苦痛」ということはありません。

特に最近は。


書くのが嫌でないのは3つのブログのテーマをそれぞれ自分的に区切っているからだとも思います。

こちらのブログは、本音ベース。結構赤裸々に自分のメンタルのことなど内的なことを晒しています。

はてブロは、もうちょっと外向きといいますか、外の世界で起こったこと、見聞きしたことで自分が考えたオピニオン的なものを書いています。

そしてアメブロは、ほぼ毎日更新なのですが、飼いハムマサムネのことや実家の飼い猫レオンのことなどを中心に短いものを毎日アップしている感じです。

ブログを使い分けすることによって、「これはあれで書こう」、「今日はこれについて書こう」などと思いやすくなりました。


そして、ブログを書くことの億劫さが圧倒的になくなった最大の理由は、「アフィリエイトをほぼ意識しなくなった」ということです。


ここ数年の間、私は本業以外でお金を得られないかということについて若干腐心しているところがあって、ブログをやっているならやはりアフィリエイトだろうと、どこかこだわっていました。

記事を投稿するにも、アフィリエイトを貼りやすいものと考え、記事の最後に必ずHTMLを挿入するということにこだわっていました。


つまり、アフィリエイトに引きずられすぎて、本当に書きたいこと、届けたいことを届けられないという事態に陥っていたわけです。


そして、気がついたのですが、アフィリエイトは儲かるという触れ込みの多くは、おそらく情報商材販売と結びついていて、中には詐欺的なものもある。

また、ブログアフィリエイトの世界は今や飽和状態で、おそらく主戦場?はYou Tubeなどの動画投稿サイトに移っているのではないか。

そんな世界で勝負したいか?

そこまで労力かけたいか?

と自分に問いかけたところ、ノーでした。


書きたいこと、届けたいことを純粋に書くブログと、アフィリエイトで儲けるブログは本質的に違うものだろう。そんなことを思うに至りました。


で、最低限の広告を貼る他のアフィリエイトは、一切捨てることにしました。


気持ちが一気に楽になりました。

しかも、アフィリエイトを捨てたあとの方が、ブログのアクセスが若干いいのですよね・・・


というか最近アクセス数すらそれほど気にならなくなってきたのです。

もちろん1日に一桁とかだったら凹むと思いますが・・・


これは、自分の本業の広告戦略とイコールの部分もあると思っているのですが、大切なことは「広くファンを集めること」ではなくて、「コアなファンに長く親しまれること」なのではないかなと思うのです。


私なんぞが「コアなファン」などと発言すること自体、若干のおこがましさがありますが、細く長く概ね週に1度の私のブログの更新をそこはかとなく待っていてくださってる方というのはいらっしゃるので、そういう方の気持ちを裏切らないよう、自分に正直に誠実に、かつ言葉をそれなりに尽くして丁寧に書く、ということが実はブログを続けていくためにはとても大切なのだと気がついたのです(長い一文で申し訳ありません)。


これをアマチュアリズムというのかプロ根性というのかはわかりませんが、イッカイの書き手の基本?に私はようやく気がついたのであります。


思えば、最初にこのブログを始めた2013年(だったと思う)当時は、ブログの基本設定など何も知らず、ただ書いているだけでした。

ただ書いているだけで読んでくれる人がいて、たまにコメントが返ってきて、それが励みで嬉しかった。

それが、いろんな知識がつくことによって、欲が出て、迷走し、書く面白さが半減してしまったのです。


一周回って原点に帰ってきたと言ってもいいかもしれません。


原点に帰ったといえば、本業の方も「自分はどうやって仕事したいか」「自分はどうやって暮らしていきたいか」というところに最近立ち返ることができて、「それを実現するために今時分は何をすべきか」ということを考えている最中です。


これはまだ最近思い至ったばかりで、これから何をどうしていくかについてはまだ整理しきれていないので、ある程度整理した時点で皆さんにお話できればな、などと思っているところです。


と、ここまで読んでいただければおわかりかと思いますが、メンタルの方は(デパスの力を借りてはいますが)、少し安定してきているところであります。

仕事に行くのは相変わらず憂鬱・・・というか億劫というか気合が必要、だったりしますけれど。


これからも、自分の考えていることを言葉にして、どこかで読んでくださっている皆さんに届けていきたいと思うのでありました。

読んでくださる皆さん、これからも独り言にお付き合いいただけると幸いです。