本日、必要な買い物があって秋葉原方面に昼過ぎからでかけていました。
もう多くの人は、今が緊急事態宣言下だということを忘れていますよね(私も含め)・・・
秋葉原、結構な人出でした。
今日は東京は天気がよく適温も高かったから、出歩きたくもなりますよね。
最近、うちの近所に地域猫がいることがわかりました。
12月ころから、休みになると、近所のとある料理屋さん(土日休み)の入り口で、一匹の猫とくつろぐお兄さんを何度か見かけていて、「?」と思っていました。
飼い猫とお散歩?と思っていたのですが、先日、またその猫と戯れているお兄さんを見かけたので、思い切って声をかけたのです。
そうしたら、その猫は、その料理屋さんが面倒を見ている外猫(飼っているというほどでもないんだろうけど)で、千代田区が去勢手術を済ませているおじいちゃん猫だと教えてくれました。
家の中で飼われているわけではないけれど、完璧な野良でもなく、面倒を見てくれる地域の人がいる、いわゆる「地域猫」ちゃんだったわけです。
私は、今の界隈に住み始めてまる9年経ちました。
数年前に近くの駐車場に猫ちゃんがいて、通りかかりのおじいちゃんが勝手につけた名前を呼んでいるのを見たことはありますが(もしかするとその子だったのかも)、こんな都会のど真ん中に近いところに、地域猫がいるとは思ってもみませんでした。
仕事柄、小菅の方にはたまに行くので、あの辺りを含む葛飾区に地域猫が結構いるのは知っていましたが。
きっと、地域猫というのは、東京でも下町の方の話なのかなあと勝手に思っていました。
猫ちゃんは、料理屋さんと隣の建物の間の隙間のあたりにねぐらがあるようでした。
教えてもらって以来、なるべくその道を選んで通って、ちょっと隙間を覗き込んで、いないかな、どうしてるかな、と気にするようになりました。
そうしたら、ここ数日、ベッドと思われる発泡スチロールの箱の上にちょこんと座っていたり、後ろの方で毛づくろいをしたりするのを見かけました。
よくよく見ると、雨宿りのための傘が、隣との塀にくくりつけられていたり、トイレも置いてあります。
お店の隅っこを、料理屋さんは、おじいちゃんの根城としてしっかり提供しているのがわかりました。
おじいちゃんは、穏やかな顔をした猫で、見かける姿は、いつものんびりしたものです。
ぼんやりこちらを見ていたり、毛づくろいをしていたり。
少なくとも、虐待されたり、カラスや他の動物に襲われる猫とは違って、幸せに生きてきたのだろうと思います。
ですが、私は思うのです。
ひとりで寂しくないのかなって。
これは、人間の勝手な思いなのかもしれません。
料理屋さんは、ご飯を上げたりするときには声がけしているだろうし、様子を見に来るお兄さんも体をなでてあげたりしています。
常に誰かと一緒にいなくても、猫はもともと群れは作らない動物らしいから、寂しいという感情はないのかもしれない。
だけど、実家の飼い猫レオンのことを思い出すと、ちょっと切なくなるのです。
レオンは甘ったれで、気に入らないと蹴ったりかじったりするくせに、朝早くに母を鳴いて起こしたり、父や母の後ろをついて回ったり、母が出かけて戻ってきたら、玄関に駆け寄ってきたりします。
そういう姿を知っているから、猫にもきっと「寂しい」という感情があるのじゃないか。
あのおじいちゃん猫、一人きりで、寂しくないのかな。
今日、帰り道で彼が毛づくろいする後ろ姿を見て、なんとなくそんな気持ちになり、でも自分は何もできないな、となんともいえない気持ちになりました。
ブログに書いといてなんですが、私は、あのおじいちゃん猫がいる場所を特定できる発信はしないつもりです。
世の中には、心無い人がたくさんいるから。
もし特定されてしまったら、おじいちゃんをなんとかしようとする輩が出てくるかもしれない。
私は、彼を守らなくちゃいけない。そんなふうに思うのです。
仮に写真が撮れたとしても、場所が特定できるようなものであれば、インスタやツイッターにはあげないつもりです。
今まで存在に気が付かなくて、申し訳なかったなという気持ちもあります。
知った以上は、おじいちゃんを大切にしてあげたいと思う。
それは、近づいてなでたりご飯を上げたりすることではなくて、静かに静かに見守ること。
もし何か彼が困るような事態に遭遇したら、自分ができる手助けをすること。
それに尽きると思います。
彼は私のことは全然知らないだろうけれど、私は、片思いの女子の気持ちで、無理に近づかず、少し離れたところからそっと、おじいちゃんの姿を見守りたいと思うのでした。
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