ページ

2021年8月16日月曜日

ふと頭に浮かんだ「自分のやりたいこと」

 月曜日です。

週のしょっぱなから、勤務時間中にブログ書きです。

別に仕事をさぼっているわけではありません。今日しなければならない仕事にプラスして明日以降にしてもいい仕事がとうに終わってしまっただけのことです。


前回のブログにも書きましたが、先週末あたりから、メンタルの調子が若干下がり気味で、本日も昼食後にデパスを1錠飲んだほど。


*最近の体調不良についてはこちらをどうぞ*

https://comcomcom0620.blogspot.com/2021/08/fuanteinanatsuyasumi.html


さて、そんなメンタル不調の中、ふっと私の頭に浮かんだことがありました。


土曜日のことです。

特に何も考えず、家事をしておりました。

そんな時に、いきなり頭にこんなフレーズが浮かんだのです。


人の役に立ちたい。


何の前触れもなく、いきなり頭に浮かんだフレーズでした。

ちょっと自分でもびっくりしました。

が、すぐに、これって、潜在的に私が欲しているものなのではないか、と思うに至りました。


私が弁護士になったきっかけは、子どものころに見たドラマでした。

アラフィフ以上の方であれば記憶にある方もいらっしゃると思うのですが、昔々、NHKで「事件」というシリーズのドラマをやっておりまして、それがきっかけだったのです。


主人公は、国選の刑事事件ばかりやっている貧乏弁護士。演じていたのは、あの勝新太郎の兄、やくざ映画で鳴らした若山富三郎でした。


その姿に感銘を受け、その思いを抱き続け(途中挫折したことはあったものの)司法試験を受け続けて弁護士になったのでありました。


つまり、私は、金儲けしたくて弁護士になった人間ではなく、実際、弁護士になった当初は、国選の刑事事件や貧困層の方の事件を受ける専門の事務所で働いておりました(今いる事務所もまあそんな感じですが)。


弁護士になった当初は、「自分の仕事=困っている人の手助けになっていること」という意識も(おそらくは)多分にあり、給料は(弁護士にしては)高くなかったけれど(今も弁護士にしてはそう高くはない)、満たされている感がありました。


が、知らず知らずのうちに、弁護士の仕事は、(表現は難しいですが)「ただの仕事」になってしまったようでした。


今私が多く受け持っている仕事は、家事事件と呼ばれる分野で、離婚を中心とする、夫婦関係、親子関係、広く家族関係にまつわるものです。


確かに、DVやDVまでいかなくても「支配服従関係」みたいなものが絡んでいるディープなものもあったりして、そういう意味では困っている人を助けていることにはなるのかもしれない。

しかし、夫婦や家族の問題の多くは、「どっちにも言い分がある」ある意味対等なものであり、どちらかというと、裁判や調停を通じて解決の「落としどころ」を見つけて解決に導いていく…というものが多いのです。


理屈と感情の間で落としどころを見つけていく作業が多く、時に難しくて、頭かち割ったろかと思うほど腹が立つ相手方に会うことも少なくないのですが、基本的には私の普段の思考の在り方(バランス重視)に近くて、性格的には向いているのかなと思うのです。


が、これらはすべて単に「仕事」なのです。

仕事を通して、世の役に立っている、人の役に立っている、困っている人を助けているという感覚は、極めて希薄。

そんな風に思えてなりません。


一時、自分の事務所の経営がうまくいかない時期があって、そのせいで私は安定志向になりました。

自分の生活を安定させること、それが大事なのだと。

だから、故郷に帰りたいという気持ちがあっても、転職したいという気持ちがあっても、めちゃくちゃ慎重になってしまいました。


もちろん、安定はしたい。

しかし、心の底から自分が欲していることって、「安定」ではなくて、「人の役に立ちたい」ということなんじゃないのか?

そんな風に思ったのです。


しかし、今のところ(いや、思い浮かんですぐだから当たり前なんだろうと思いますが)、「人の役に立ちたい」は、まだそこまでにとどまっており、具体的に「じゃ、どんなふうに?」というところにまでは、至っていません。


もしかすると、それは、今の家族の問題を「専門です」と言えるほどに突き詰めていくことなのかもしれないし、別な方法なのかもしれない。


実は、今プライベートでは、動物愛護に興味が湧いてきていて、保護猫、保護犬、里親詐欺の防止その他の問題に、自分なりに何かできないかという気持ちが強くなっています。


動物愛護団体に定期的な寄付をしているほか、犬猫の保護をしている方や大病をしている猫や犬の治療費のカンパにわずかながら支援をしたり、SNSで里親を探している人に対して注意喚起をしたりということを地味に行っている最中。


もしかすると、「人の役に立ちたい」は仕事とは別の、こういう慈善活動をしていきたいという方向性なのかもしれない(動物関連だとどちらかというと動物の役に立ちたいというほうが正しいのかもしれないけれど)。


まだわからないのです。


そういえば、心理検査の中に承認欲求が強いみたいなことが書かれていたけど、この「人の役に立ちたい」って思い、その承認欲求のひとつなのかもしれませんね。


だって、人の役に立ちたいって、結局は自己満足だと思うのです。

人の役に立てた。

自分は存在してよい人間なんだ。

そういうことなのではないかと。


ふと頭に浮かんだ「人の役に立ちたい」という気持ちの核心がなんなのかは、これからゆっくり考えていきたいと思います。


そう、占い師の先生に言われたように、ワタワタしない。

ワタワタしたところで、中途半端に決め打ちしたら、また社労士試験みたいに苦しむことになるかもしれないですからね…


この抽象的なフレーズの中に含まれる私の本心がなんなのかは、ゆっくりのんびり考えて、今は自分の気が赴くまま、発信したいことを自分の言葉でちょこっとでもいいから発信していきたいと思うのでした。

0 件のコメント:

コメントを投稿