6月8日日曜日。
先ほど本日はじめてテレビをつけました。見ているのは日ハムvsDeNA。来週エスコンに観戦に行くので、若干予習でもしておこうかと思いまして。
さて、先週の投稿では、知り合いの医師に紹介されたクリニックの予約が取れたことや頭痛がひどいことなどについてお知らせしていました。
https://comcomcom0620.blogspot.com/2025/06/Hattatsushogaiandmentalfucho.html
6月4日水曜日に、クリニックに行って来ました。
そこは、私が今まで行ったことがない雰囲気の心療内科・精神科でした。
広々として、とても静かで、患者同士の距離がとても保たれています。
受付をして問診票を提出し、少し待っていると、まずソーシャルワーカー(精神保健福祉士)の女性が私に声をかけてきて、最初にお話を聞きたいと言って来ました。
とてもソフトで感じの良いそのソーシャルワーカーに、私はこれまでの自分の話を記憶にある限りお話ししたのでした。
そして、どうしてこのクリニックに来たのかと問われ、知り合いの医師の紹介だと答えました。「札幌ならここ」と言われたことを伝えました。
そうすると、そのソーシャルワーカーは、とても申し訳なさそうに、多分以前いた医師のことを言っているのだと思うと言いました。
私もそれは予想していたことでした。
実は、受診の2日ほど前に知ったのですが、このクリニックで発達障害の診断を主にしていた医師が、3月に退職して郊外(札幌から通うのはかなり辛い距離のところ)に行ってしまったのでした。
もちろん、今いる医師も発達障害を診ることはできるのでと言われ、私は彼女との話を終えて、また少し待ちました。
診察室の前で待っていると、私の前の患者を呼びに男性が出て来ました。
60代の後半から70歳くらいかなあと思われる穏やかそうな男性でした。その人が医師でした。
20分くらい待って呼ばれて中に入りました。
入って程なくして、彼が言ったのは、「もうあなたの年齢になると発達障害の診断は難しいんですよね」ということでした。
理由は、「親御さんが歳をとっていて、子供の頃のことを覚えていないから」ということでした。
色々と質問されて答えていったのですが、初診時点での回答は、「自閉症スペクトラムの傾向はあるけれど、はっきりそうだとは断定できない」ということでした。
理由としては、まず、引きこもりがち、1人が落ち着くというところは発達障害の傾向を窺わせる、けれども、問診票に書いた子供の頃のエピソードに発達障害的な特徴が見られない(薄い)ということ、社会的に一応適応はできているということのようでした。
ただ、あくまで「(初診である)今日の時点で」という言い方で、今後話をしていくうちに、検査の必要性なんかを感じるかもしれないということを言われました。
たくさんお話をしました。診察室を出たのは、1時間近く経った頃のことでした。
医師の言葉で印象的だったのは、「お母さんがもう少し配慮してくれればよかったかもしれない」「中学の時のいじめが今のあなたに大きな影響を及ぼしているように思う」ということでした。
後者は、自分でもそう思うのですが(私がとりわけ1人を好むようになったのは中学の時のいじめが明らかに原因なので)、母のことを言われたのは意外でした。
というのも、母親は、おそらく、子供である私や妹にとって「いい母親」と社会的に評価される人であっただろうと思うからです。
専業主婦で、子供の世話を甲斐甲斐しく行い、(一見)子供の話はしっかり聞いてくれる。そういう親でした。勉強には少しうるさくて教育ママっぽいところがあり、喧嘩になると手が出たりしましたが、俗に言う「毒親」とか「虐待親」とかではなかったと思うのです。
おそらく、医者がそう思ったのは、私が「中学の頃にいじめられていたことを自分は親に伝えたのに、大人になってから『知らなかった』と言われた」ということ、「小学生の頃から学校の成績は(凸凹はあれど)良かったので、それでなんとなく許されていたところがあった」ということ、「電話で話すと一方的に自分の言いたいことだけ言ってくる」ということを話したのが理由だと思います。
私も若い頃の細かい記憶はもう薄れて来ているのですが、うちの母は、私をありのままに見てはいなかったし、今は尚更子供の頃のことが脳内で美化されているような気がします。
私は確かに全体的には学校の成績は良かったけれど、前にもこちらで書いた通り、できることとできないことの差がかなり激しい子供でした。
小学生の頃も、たとえば算数の文章題は得意でも単純な計算問題でポカッと点数を落とす子供でした。社会科も苦手でした。
運動神経は良くなく、ただ走るのが少し早かっただけ。バレーボールやマット運動は超苦手でした。特にスキーは下手くそすぎて、低学年の頃、「下手くそな子の特別班」に入れられていたくらいでした。
絵は得意だけど、手先も不器用で、図工の時間に作ったステンドグラスは、ノリでくちゃくちゃになってしまいました。
だけど私は、体がデカくて目立つタチで勉強はまあできていたので、そういう「できないこと」に実は悩んでいるということを、周りにあまり理解してもらえず、親も例外なくそうだったりしたのでした。
10年かかって弁護士になったことで、親はさらに私の過去を美化してしまったのだと思います。「マイナス要素」だったものはなかったことになり、私が心ひそかに悩んでいたことは、どこかに消し飛んでしまいました。
しかし、「得意と苦手が激しい」そして「友達を作るのが苦手」というこの2つは、少なくとも自分的には、幼い頃からの自分を語る上で欠かせない要素なのです。
医師の言葉は、自分が今苦しんでいることの原因が発達の問題よりも、生育歴にあるのかもしれないと思わせるものでした。
診察が終わった後、また、ソーシャルワーカーが私のもとにやって来ました。
医師と話してどう感じたかと聞かれました。
発達障害については、傾向はあるかもしれないけど断定はできないと言われました、と話したところ、今日でこちらのクリニックに来るのはやめるか、それとも次回もまた来てみるか、と聞かれました。
私は、確かに発達障害の話にはなりにくいのかもしれないと思ったものの、医師の感じは嫌いではなかったし、初回で判断はできないと思いました。
そこで、次回の予約を取りたいと伝えました。
ソーシャルワーカーは、もし発達障害の診断をしてくれる他の病院に行きたければ、紹介状も出せる、みたいなことを言ってくれました。
そこで、6月18日に次回の予約を入れることとしました。
もしかすると、医師と話しているうちに「発達障害」の診断をつけることに自分自身がこだわらなくなるかもしれない、という気がしていたのでした。
クリニックに行く前は、「発達障害のレッテルを貼ってもらおう」ということに必死になっていましたが、不思議とその気持ちは、今少し薄れているのでした。
飄々とした感じのあの医師、実はなかなかのやり手なのかもしれません・・・
さて、話は変わりまして、私の体調と転職活動についてです。
実は、嘘みたいに頭痛が良くなりました。
先週は、カロナール1回しか飲んでいません。
やったことは、朝歩いて職場まで行くこと、これだけです。
これだけで、本当に頭痛が良くなりました。
「健康のために歩くといい」と言っていた整骨院の先生にこの話をしたところ、「おそらく全身に血が巡るようになったからではないか」と言っていました。
歩くのって全身運動らしく、予想以上に健康効果が高いようです。
ただ、昨日ちょっと調子に乗って1万歩近く歩いたら、腰とお尻が死にました・・・
歩き方が悪いのか、運動不足なのか・・・
そして、転職活動ですが、地味に続けています。
実はちょうどクリニックに行った日の夕方、とある法律事務所の法律ライター職の件で、オンライン面談をしたのですが、悪くない感触でした。
それ以外にもフルリモートフルフレックスの求人にいくつか応募したり、自分がすでに「シニア」であることを自覚して、50代以上の転職専門サイトに登録したり、動いています。
もう今回は、諦めて「現状維持」に落ち着くことはしないようにしたいと思っています。どういう形になってもいいから、働く環境を変えることを強い意志でやり切りたい。
道が険しいのはわかっているので、気力を切らさずに頑張ります。
ちょっと余談なのですが・・・
うちの職場って、女性が多くて、多分30人以上いるのですが、うち3人が「ポチャ」をはるかに飛び越えた「樽」のような体型なのですよね。
別に太っている人を差別する気持ちはないのですが、そういえば、同業女子って、ぽっちゃりさんはいるけれど(少なくないけれど)、樽系女子はいないなと思いました。
個人的に、(アメリカっぽい考え方ですが)体型を維持できない人って自己管理ができない人だと思っています。もちろん、病気や薬の影響で太ってしまう人もいるので、一概にはいえませんが。
うちの業界の女性陣は、飲食の機会が多くて、好きなだけ飲み食いしていても、結局はどこかで自己管理ができている人が多いんだろうなと思います。
つまり裏返せば、うちの職場の女性陣は「自己管理できない」類の人がそれなりにいるということなんだろうな、そりゃあもう私ストレスも貯まるよななんて思ってしまいました。
ヤバい発言ですが、あえてはっきり言うと、知性と体型はある程度連動すると思っています。
「ぽっちゃり」でいることと「樽」になることの間には、雲泥の差があると言っても過言ではないでしょう。
本日は暴言で締めたいと思います。ではでは。
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