2025年10月5日日曜日

骨折しました+発達障害の診断が出ました

 10月最初の日曜日。

本当は本日は、「発達障害の診断が出ました」というタイトルだけでお届けするつもりでした。が、タイトルにもありますとおり、私、骨折してしまいましたので、まずはその点についてのご報告から始めたいと思います。


思えばもう1週間経ったのですが、9月29日月曜日のこと。

この日、私は、オンライン会議の後にタマゴヘビのハルさんを動物病院に連れて行く予定があって、事務所から自宅に一旦戻ろうとしていました。

自宅の最寄りの地下鉄の駅階段を登ろうとした時、蹴つまずきました。そして次の瞬間、左足の親指に激痛が走ったのです。どうやら強打したようでした。

自宅に戻り、靴下を脱いで足を見たところ、親指はすでに腫れていて、曲がらなくなっていました。これは骨が折れているかも・・・と思い、私は会議に出るのをやめて、急いで整形外科に行きました。

レントゲンを撮ったところ、案の定骨にヒビが入っておりました。

その日以来、親指を固定するプレート入りのサポーターを巻いて生活をしております。

本当は少しの間(特に骨折初期は)休んだ方が良かったようですが、どうしても休めない用事が入っていて、先週は1日を除いてほぼ出勤。足は見事に腫れ上がり、どこが痛いのかもうわからない状態になりました。

一昨日あたりから腫れが治ってきて、患部の痛みだけが残るようになっています。

明日から4日間は仕事を休んで、ちょっと安静にしていようと思っています(10日にまた、どうしても出なければならない仕事がある)。

あちゃーと思いましたが、真冬じゃなくて良かった、かつ11月に入ってからじゃなくて良かったと思っています。

真冬は雪と氷で路面状況が悪いので、出歩くことが本当に難しくなりますし、11月は開業目前で色々やるべきことが出てくるので、ちょっと大変だったかなと。

1ヶ月くらいで骨はついて、1ヶ月半から2ヶ月くらいで完治らしいので、本当にセーフでした。

私は、しょっちゅう色んなところにぶつかるのですが、ちょっと気をつけねばならないと思いました・・・


さて、本題です。

10月2日の午後、9月初めにやった心理検査・知能検査の結果と発達障害かどうかの診断を聞きにメンタルクリニックに行きました。


まず、心理士さんから心理検査・知能検査の結果が告げられたのですが、知能検査では「知覚統合」という分野が弱かったようです。

検査をした後のブログにも書いたと思うのですが、絵の中の間違いを探すテストが半分くらいできませんでした。おそらくそれが原因だと思うのですが、「イラストなんかの抽象的な、どうとでも取れるような感じのものに弱い」ということを指摘されました。

そして、具体的なシチュエーションに基づいて、どう発言するかというテストでは回答が一般的なものからずれていたようで、「他人も責めないけど、自分の責任も認めていない。ただ解決しようとしている」と判断されたようでした(職業病のような気がする・・・私たち、誰かを責めたところでなんの解決にもならないので)。

心理士さんとの面談を終えて少し待った後、お医者様の診断でした。

お医者様からは「まあやはり、自閉スペクトラム症(ASD)ですねえ」と言われ、不注意や衝動性なども認められることから「ADHDも合併している」と伝えられました。もっとも程度としては軽度であるとのことです。

お医者様の話で印象的だったのは、「(ジェスチャーも交えて)閉じられている傾向が強いので、1対1の会話なら問題ないと思うのですが、大勢の人と交わらなきゃいけないというのは苦手なのかなと思います。なんで、仕事自体は問題なくこなせるのかなと思うのですが」ということでした。

まさにドンピシャ、そのとおりでした。

前にも書いたことがあると思うのですが、私は、ひとつの話題を囲めるくらいの人数(2、3人からせいぜい4、5人)までの飲み会や食事会なら大丈夫なものの、大人数の宴会なんかは非常に苦手なタチで、いつもどう立ち回ればいいのかわからなくなる傾向にあるのです・・・

弁護士という仕事は、基本的に依頼者1人(場合によっては複数のこともありますが)と対話できればいいので、そういう意味では問題なくやれるということなのですよね。


診断がおりて、ちょっとホッとした気持ちになりました。

これまで抱えてきた、「どこに行っても自分だけがずれている感覚」とか「得意なことと苦手なことの差が激しすぎる」「ケアレスミスが多い」ということの原因がわかったので。

なんだ、しかたなじゃないと思えるようになりました。

と、同時に、なんとなく「ASD、ADHDと診断されたこと」を引きずる感覚もありました。

その正体が何かわからなくて、この数日間考えていたのですが、おそらく「どう頑張っても自分には超えられない壁がある」ということを突きつけられたことに対する無力感なのではないかと思います。

努力しても、靴下を綺麗に収納できない。

努力しても、きっちりお金の管理はできない。

努力しても、ケアレスミスはなくならない。

診断がされた日は、そういうことを突きつけられた日でもありました。

完璧主義者の私としては、どう頑張っても克服できないことがあるということが、ちょっと悲しいというか寂しいというか、そういうことなのかもしれません。


ちょうど昨日がカウンセリングの日だったので、カウンセラーに「診断がついた」と報告したところ、「良かったですね」と言われました。

私が、(昨日の段階ではまだ自分の気持ちを分析しきれていなくて)「自分で自分にレッテル貼りしているような気がする」「(同業の友達と私の間には)歴然とした壁があるような気がする」などと言ったところ、カウンセラーはこんな話をしました。


おそらく弁護士の中には、発達障害の人が比較的多いんじゃないだろうか。「受験勉強」という辛い時期を過ごした後で再度またそこに相当程度の時間を割こうと考える人たちは、やっぱり普通の人たちと違う。友達も案外そうかもしれませんよ。

発達障害はおそらく全体の15から10%くらいいると思う。


前者の話については、確かにと思うところはありました。

弁護士は、自分でいうのもアレですが、「変な人」が多い職業で(変な人でもやっていける職業です)、その「変な人」の正体が発達障害であると言えるんじゃないかと感じられるのです。ぶっちゃけ、私の周りの数人が「絶対そう」と噂されていたりもするので、少なくとも、同業者と私の間に「壁」を感じる必要はないのかもしれません。

それから発達障害の人の割合についてですが、これはあくまで、カウンセラーの体感だと思われ、だとすると正しいのかな、なんて思っちゃいました。

全日本人の5分の1くらいが発達障害なら(軽重あれ)、それってもう障害って言わないんじゃ・・・という気もしたりします。


ASDにある「想像力の欠如」というのが何を指すのかということも初めてわかりました。

私が以前開業した時に「周りで独立してやっている友達のちゃんとやれているところしか見ていなかった」という話をした時に、「そういう話はまさにASDっぽい。想像力に欠けてますよね」と言われたのです。

ああ、こういう部分が「想像力の欠如」というのか、とわかりました。

加えて、「独立したとしてその先どうしたいか」と問われて、私は答えられませんでした。

「自分とちこちゃんとハルさんが食べて行くくらいの生活が続けられればいい」ということしか言えませんでした。

こういう将来の展望を描けてないところも「想像力の欠如」にあたり、ASDの特徴なのだそうです。


案外、ASDやADHDの影響って、広範囲なのかもしれないなと思います。

本当に独立してやっていける?とちょっと不安になったのでした・・・


まあでも、発達障害があってもここまでなんとかこんとか生きてきた自分のことは褒めてあげたいかなと思います。

もうちょっと「頑張っている自分(のつもり)」を労ってあげてもいいかなあという気がします。

ああしなきゃダメ、こうしなきゃダメと自分をがんじがらめにしないで、もう少しゆったり生きていってもいいのかもしれませんね。


Xのプロフィールには、ASD、ADHDがあることは書き加えましたが、リアルの生活で公にするかどうかはまだ決めていません。

したければするし、したくなければしないし。

ただ、自分のことを快く思っていない人間かつ発達障害を理解していない人間にあれこれ言われるのも嫌なので、あんまり大ぴらにはしないかなと今のところは思ってますが。


ということで、こんな私ですが、これからもよろしくお願いいたします。

ではでは。








0 件のコメント:

コメントを投稿