2021年6月27日日曜日

カウンセリングを受けてきました。

 昨日の天気予報では今日は朝から雨でしたが、13時5分現在晴れている東京都千代田区(東寄り)です。

夕方から降るそうですが。


今日は特にやるべきこともなく、夕方から放送が始まる日本陸上競技選手権大会を見るまでは、ブログを書いたり、おやつを食べたり、猫に会いに行ったりして、のんべんだらりと過ごすつもりです。


さて。

林ティアラのツイッターでもちょっとお伝えしましたが、6月23日に臨床心理士の先生のカウンセリングを受けてきました。


我が?日弁連では弁護士のメンタルサポートとして、とある保険会社と提携して対面カウンセリングの5回無料券を発行してくれます。


それを使って都内某所でカウンセリングを受けてきたわけです。


これは、かかりつけの心療内科の先生のおすすめでもあったのですが、正直、「カウンセリングって何話せばいいのかなあ・・・」と、あまりピンとこないまま赴きました。


先生は、私より少し年上かなというくらいの女性の方。

1枚の紙を渡され「どんなことにお困りですか」と書いてありました。

私は「自分に自信がない。(あともう一つなにか書いたけど忘れた)・・・ということを解決したい」と書いて渡しました。


そこから、どんなことに自信がないのかという話が始まりました。

実はハヤシ、基本的に「ありとあらゆることに」自信がないと言っても過言ではない状況なので、その話をしていきました。

自分の頭脳に自信がない。

自分の稼ぐ能力に自信がない。

自分の人格にも自信がない。

そんなことを、過去のエピソードなどを交えて話しました。

話しているうちに、「あー、このまま話し続けると私泣くかもしらんな」という気持ちになりました。


ひと通り話すと、「人のいいところ、悪いところというのは表裏一体であるし、いいところに目を向けないで悪いところしか見ていないというのはとてももったいない」、「自分のことを客観的に見られていなくて、いろんなことを整理せずにネガティブ評価しているように思う。」というコメントがありました。


ということで、自分のことを客観的に見られるようにするために、知能検査と性格検査をすることになりました。


実は以前、2016年ころに検査はしたことがあるのです。

しかし、一度にすべての検査をしようとしたところタイムアップとなり、コンプリートできませんでした。

コンプリートできない状況で出た診断名は、注意欠陥障害でした。

この障害、通常「多動」がくっついてくることが多いようなのですが(つまり注意力も落ち着きもないという)、私の場合、多動はないので、この診断名とのことでした。


かつ、言語性知能というものが高く、動作性知能が低いという「能力の偏り」があると言われました。


そのことも今回、臨床心理士の先生にお伝えしました。

そうしたところ、「能力の偏りがあるのはお話ししていて感じます。」とはっきり言われました・・・


そうですか、50分程度話しただけでお感じになられましたか・・・


この日はお話のあと、かんたんな検査を1つやり、また自宅でやってほしいという検査を2つ渡され、あとは3日の土曜日に2時間かけて検査をすることになりました。


ちょっと楽しみといえば楽しみです。

前回検査はコンプリートしなかったし、障害があるからこう対処しようというお話もしてもらえなかった。

けれど、今回は検査の後にしっかりそういう話もしてもらえるようなので、何かちょっと変わるのかもしれないという期待感があります。


能力の偏りと言われて、私がすごく納得するのは、自分、できることとできないことの差がかなりはっきりしているということなのです。

絵を書くのは得意だったけど、版画や粘土細工は苦手。

現代文はできるけど、漢文は壊滅的。

世界史と生物はクラスでびりを何回かとっている。

泳げない。

器械体操も跳び箱以外は壊滅的。

スキーも下手。

ピアノは音大に行けるくらいのレベルまではいった。


まあ、人は得手不得手が誰でもあるものですが、私の場合、得意なものはそこそこですが、不得手なもののレベルがいずれも壊滅的で、それがその「能力の偏り」という言葉にぴったりマッチするのです。


カウンセリングを受けてから、ネットで大人の発達障害というものをなんとなく調べたりしたのですが、自分のやり方にこだわるというのも特徴としてあるようで、これもすごく思い当たるフシがあります。


自分は予備校講師をしていたくせに、予備校的な勉強は苦手。

自分のやり方で10年間、司法試験と格闘してきました。

つまり用意されているレールに乗るのが下手くそなのです。


まあ、だからといって私が「発達障害」なのかどうかは決まったわけではありませんが、とにかく3日の土曜日、残りの検査を受けてこようと思います。


その上で、出た結果は受け止めるつもりです。

元々自分のことを知るのは好きな方で(だから健康診断も好き)、この件に関して恐怖心とかも自分の中にはないので・・・


しかし。

昨年、占い師の先生から「今年は人生のあり方が変わる」と言われましたが、これ、あながち外れていないかもなあ・・・という気がするのです。


52歳にしてなにかが変わるかもしれないハヤシ。

実際、最近なんとなくそんな予感もしているのであります。


色々転職とかも含めて動こうかなと言う気持ちにも先日なりかけました。

が、それは、とりあえず検査結果が出てから考えようかな、と思っています。


検査の結果は、またこちらのブログでお知らせします。


2021年6月20日日曜日

実は52回めの誕生日だったりする本日。

 本日は父の日。

にして、実はハヤシの52回めの誕生日だったりします。


実家の両親と妹が気遣って送ってくれたプレゼントが届き(お願いしていたフライパン2個とACTONのTシャツ)、同袍されていたFERME LA TERREのバターチーズサンドなど、ちょっと良いお菓子でコーヒーブレイクしました。


昨日も今日も何も用事がなければ、ア・ラ・カンパーニュの秋葉原店にでも行って、好物のショートケーキを食べてこようかと思っていました。

が、昨日は国選の刑事事件の接見があり、今日は壊れた換気システムの交換工事があり、叶いませんでした。


まあ、独り暮らしの52歳ともなれば、誕生日なんてそんなもんです。

朝少し早く起きたぶん、先程まで昼寝していました。

日差しの入る部屋で昼寝、贅沢だなあと思います。


昨年の誕生日は土曜日でしたが、どんな過ごし方をしたのか、あまり覚えていません・・・

前日の金曜日には、担当の事務員さんがケーキを振る舞ってくれた上、プレゼントをくれました。

ちょっと照れくさかったのは、覚えています。


誕生日が嬉しいかというと、50歳を過ぎてから、それほど嬉しいとは思わなくなりました。

50歳になったときは、50歳になってしまったということ自体がとてもショックでした。

もう下っていく人生しか私には残されていたいのだなあ、なんて思ってしまったものです。


私は、父方も母方も祖父母が皆長生きで軒並み90歳を超えての大往生でした。

特に母方は祖父母ともに98歳まで生きていたので、自分も漠然と98歳まで生きると思っているフシがあります。


それでも、50歳ともなれば、残りの人生は半分なくなってしまっているわけです。


それどころか、突然病気が見つかって余命幾ばくもないという宣告をされてしまうかもしれない。

実際、同業者の女性で(おそらくは)私よりもお若い方が、どうやら両胸乳がんという診断を受けたようでした。

そういう年令になっているということです。


自分の人生の選択肢はもうほとんどなくなってしまっているのだなと気づいたのは、つい最近のことでした。


このブログを継続して読んでくださっている方はご存じだと思いますが、ハヤシは、ここ最近、自分の今後の行く末に悩んでいたりもします。


何年かあとには札幌に戻りたい、とそこまでは決めているけれど、どうやって帰るのが老後の暮らしを先細りさせないために一番いいのかなどと、あれこれ選択肢を考えておりました。

しかし、「自分にはそんな選択肢はないんだな」とふっと気づいたのです。

今までやってきた仕事で、私には弁護士としての「色」がすっかりついてしまっている。

その色を消すことも薄めることももはや不可能に近い。

もうそれに乗っかって生きていくしかないのだな、そう思うのです。

その上で、自分の生き方を考えていくしかない。52歳というのは、そういう段階なのだとしみじみ感じます。


時折、「60歳からのチャレンジ」「50代は第二の青春」とか言うけれど、そんなウキウキした生き方ができる人というのは、よほど度胸のある精神力の強いお方ではないのかな・・・などと思うのであります。


52回めの誕生日は、もがき続ける日々の中で迎えました。

今、自分は、弁護士としてどういう路線でいくべきなのか、というところまでは、ある程度答えが出たところです。

今は、その路線で行くとして、今後、食いはぐれないように、どんなことをしていけばいいのか(なにか勉強することが必要なのか、何かの団体に参加することが望ましいのか、それともガンガン事件を受けるべきなのか、なにか他に付加価値のある資格をとったほうがいいのかなどなど)に頭を悩ませている状況です。


これに加え、「どの程度の経済レベルで生きていければ自分は満足か」ということも考えている最中です。

父親が公務員で安定収入があり、ガツガツとしなくても貧せずに生きてこられたせいなのか、私には上昇志向というものがありません。

自分の事務所を持ってそれをでかくしようという気もなければ、もっともっと儲けたいという気もない。

ただ、毎日ご飯が食べられて、たまに外食をしたりきれいな洋服などを買えて、動物さんと生きていければそれで満足です。


それを叶えるためには、どの程度の仕事をしていけばいいのか・・・


自分ひとりでやっていた以前の事務所の形態は悪くはなかったんだろうというのが今の結論です。

ただ、以前は、事務所の経費を考えずに、必要のない広告を出していたり、色々と書籍の契約をしてしまったり、保険に入ってしまったりして、無駄な費用を払いすぎていた。それが、一時事務所の経営が圧迫された大きな要因だったと思います。


あとは営業に貪欲じゃなかったというのもあったと思います。

営業って何すればいいか当時はわからなかったけれど、今はある程度わかる。


そのツボさえ抑えておけば、一人でマイペースで仕事していたあのときのやり方は決して悪くなかったなと思います。


また一人でのんびりやりたいと思うこともありますが、東京にいるうちは、今の事務所で安定的に給料をもらって、札幌で開業するときに資金をためておくのがいいだろうと考えています。


今の事務所、悪い事務所ではありません。

なにより、ひとりひとり自由にしていられるので、そこはとても気に入っています。

ただ、人が多いので、たまに息苦しさを感じることもあったりします・・・


そんなこんなで、色々と悩ましく、息苦しく、スッキリしない52歳の誕生日。

いつかなにもかも振り切って思い切って「えいや!!」と自分らしい決断や割り切りができればいいのにな、と思うのでありました。


しかし、これが札幌で通じるのか?と言われると、それもちょっと怖い・・・というのが正直なところではあるのです。


というわけで、惑っている。

不惑なんてまだまだ遠い先の話です。






2021年6月17日木曜日

ちょっと休んで、ちょっとすっきり。

 現在、6月17日(木)21時35分。


平日に投稿することはありますが、こんな夜遅くになることは超久しぶりです。

書きはじめのころは日曜の深夜という働く気があるのかという時間によく投稿しておりましたが・・・


実は今日、午後仕事を休みました。


本来、今日は午前に法律相談・打ち合わせを2件こなし、午後は書面を書く予定になっていました。


が、書面の作成が前倒しで終わり、午後はフリーの状態になっていました。

加えて、前回投稿にも書きましたが(書いたような気がするが)、ここ最近、法律相談が立て続けに入っていた上、国選の刑事事件を担当することになり、自分的にちょっとアワアワする程度に多忙になっていました。


*書いてました笑笑*

https://comcomcom0620.blogspot.com/2021/06/mybusyday.html


結構いっぱいいっぱいで、精神状態がよくありませんでした。


15日火曜日夕方の時点で、「木曜日の午後、フリーになった」ことに気づきました。

たまらなく休みたくなりました。

で、休むことにしたのです。


休んで何しよう・・・とちょっと考えました。

耳鼻科に薬を取りに行きたいな・・・

その後は?

買い物に行く?

などとも考えましたが、私が出した答は、「ランチを食べたら帰って寝る」でした。


とにかく休みたかった。

何もしない時間を過ごしたかった。


そこで、薬を取りにかかりつけの耳鼻科に行ったあと、札幌に本店がある宮越屋珈琲の日本橋三越店に行って、分厚いトーストとコーヒーで軽くランチしました(自分的には贅沢)。

そして、コンビニに寄って帰宅し、1時間半ほど寝ました。


今日の昼寝は、深い眠りではなく、ウトウトとした午睡でしたが、とてもゆったりしていて、穏やかで、気持ち良いものでした。


15時過ぎから17時前くらいまで寝たあと、部屋の掃除をして、近所の猫に会いに行きました。

が、今日は猫は私と遊びたい気分ではなかったらしく、通り一遍の挨拶をしたあと、プイッと帰っていってしまいました。

おかげで?早く家に戻りました。


夕食も早くとり、入浴も早く済ませ、マサムネの晩御飯の支度もして、今時間が空いたというわけです(洗濯はしていますが)。


私が欲しかった「時間の過ごし方」はこういうものでした。


何にも追われず、静かに昼寝し、ちょっとした暇を持て余す。

今日やっと、それができました。


土日ですら、なかなかこういう時間の過ごし方はできません。


というか、世の大半の皆さんは、こんな時間の過ごし方をすることはなかなかできないのであって、これがたまにできないと壊れそうな私というのは、やはりメンタルの作りが頑丈な方ではないのだな、と思います。


ですが、そういうことが自覚できて、たまにそれができる環境に身を置いているのだから、それを実践するということは、自分が社会と接点を持って暮らしていくには必要なことなのかな・・・と思います。


少なくとも、今日、こういういい時間を過ごすことができて、また少しの間(いつまでかはわからないけれど)頑張れそうなのだから、これはこれで良しとしようかな、と思うのであります。


とはいえ、実は1週間後の木曜日は、以前から全休にしてあります。

実は、しばらく前から、諸々買い物をしに新宿あたりに行きたかったのですが、緊急事態宣言下、今東京は土日は百貨店が一部の売場を除いて休みですし、解除されたらされたで土日の人出が恐ろしいことになりそう。

というわけで、平日に1日休むことにしたというわけです。


この日はなるべく早めに出かけて帰宅して、今日と同じように、家でゆっくり過ごす時間がとれればな、と思います。


何しろ、国選の刑事事件が来ちゃったおかげで、次もその次も土曜日は接見で出動しなければならなくなりそうですから。


おまけに今度の日曜日は、故障した換気システムの交換工事、その次の週末には土日のどちらかに飼ハムマサムネの通院もあり、ゆっくり休めなかったりするので。


とにかく今日は、本当に良き日でありました。


洗濯物干して、マサムネ散歩させて、安らかに眠りたいと思います。

2021年6月13日日曜日

忙しくて、ちょっと息がつまりそうな毎日。だけど気がついたこともあったのだ。

 気がつけば6月2回めの日曜日。

時がすぎるのが早すぎて、1週間の終わりにはちょっと茫然となっているハヤシです。

なんだか大したことしていないうちに1周間が終わっているような気がする。

そのくせ金曜日には疲れがどっと来ているので、土日はもう休みたくて休みたくて仕方ないのだな、これが。


5月の中すぎくらいから、私、仕事がバンバン入ってきています。

私の集客のメインはネットの広告だったりするのですが、今の事務所に入ってからは別口の法律相談ルートがメインになりそうで、あまりそちらの方は一生懸命やっていなかったのです。


が、ここに来て、ネット経由で来る来る。

しかも、ネット経由で来る相談は5割近くがそのまま受任になるのですよね。


というわけで、ゆっくりしたいのに、法律相談は来るわ、事件は受けなきゃいけないわであまり休めない。


加えて、国選の刑事事件が久しぶりに来てしまい、昨日の土曜日も接見に出なければいけない羽目に・・・

意地で朝寝はしましたが、久しぶりの刑事事件(ほぼ1年ぶり)は、私にかなりの疲労を与えました。


帰りにはスタバでぐったりして、夕食後には小一時間寝ないと体が持たないほどでした。


この仕事量、数年前であれば、どうってことないものでした。

数年前は、夜8時、9時ころまで平気で仕事をしていました。

そう、1日あと数時間頑張ればなんなくこなせる量だったわけです。


しかし今や・・・夜8時9時まで仕事するなんてありえんと思うようになったし、接見でたかだか被疑者と1時間半くらい話しただけで(しかも外国人だったから通訳時間を引けば賞味45分くらい)こんなに疲労するなんて・・・


気力も体力も衰えていることをしみじみと実感するのであります。


私の「考え方」も変わったよなあと思います。

以前は確実に「仕事第一」な考え方、生き方でした。

弁護士たるもの、そうでなければ生きていけない。

そう思っていた。


しかし、今は全然違う。

プライベート・・・というか「私の生活」第一主義になったんだよな・・・


たぶん、きっかけはマサムネを飼い出したこと。

そして、この考え方が確固たるものになったのは、コロナ禍の中で近所の老猫と出会ったことだと思うのです。


マサムや猫と過ごす時間は私にとってかけがえのないもので、なんというか、「自分を癒す」「自分を大切にする」ということが、生きていく時間の中で、本当に大切だと思うようになったのですよね。


ただ、今の事務所にいる以上、事務所の経費を稼ぐ必要がある。

仮にこれから事務所を出て(=?札幌に帰って)自分でやっていくとなっても、自分ひとりが食べていける金は稼いでいかないといけない。


その両立をどうやって図っていくのか、バランスをどうするのかというのが私の課題だったりするのです。


とはいえ、ここ数日、この部分については不思議と悩まなくなったのです。

というのも、先週の投稿後、妙に吹っ切れてしまいまして・・・


先週のお題「自分に自信がないのがたぶん問題だと思うここ数日」

https://comcomcom0620.blogspot.com/2021/06/mypride.html


この記事を書いて、ふっと、「私、家事事件(離婚とか親子間の問題とか、相続とか)はそれなりにちゃんとできるし、お客さんに自信持って言えることもあるな」、「家事事件は単価は高くないけどやらなきゃいけない仕事は少ないから件数はこなせるな(心労は多いけど)」、「だったら、自分の仕事の主戦場をそこに定めるというのは十分ありだよな」なんて思ってしまったのですよね・・・


しかも、冒頭に書いた「ここ最近来ているたくさんの相談依頼」の9割は、家事事件です(そしてその半分以上が離婚です)。

もう世間様?からしたら、私は「家事事件の人」なわけです。


もちろん私はマスメディア上の有名弁護士さんではありません。

ネット上の有名人でもない(注:本名が明かせないほど有名人だから林ティアラなんていうペンネームを使っているわけではない。)

当然、日本一の離婚弁護士なんかではない。


でもね。

それでも客は来るのです。

本気で弁護士探す人は、ちゃんとネットで探し当てて、「この人は私に合いそうだ」と思ってきてくれるのです。

まあ、不安定ではありますけどね。

来るときと来ないときはありますけれど・・・

来ないときは、営業努力(例えば広告サイトに寄せられた質問に答えるとか)すればいいだけの話なわけです。


そう考えると・・・なんというか、ちょっと心の荷が下りて、気持ちが楽になったのです。


自分に対して自信が持てたわけではないけれど、何もかもできないわけじゃない。

できることはあるな、と、前回の記事を書いたあと、何となくそう思えたのですよね。


そして、そう思うことによって、不安な気持ちとか焦る気持ちとかがかなり和らいだと言うか・・・

むしろ、「もっと家事事件を突き詰めていくには自分はなにをすればいいのだろうか?」ということを考えるようになってきた・・・わけなのであります。


昨年の11月に占い師の先生に、2021年は「人生や自分のあり方が変わる」、もう1ステージ上がる、そのための出会いもあるみたいなことを言われました(このことも記事に書いたような気がする)。


言われたときは、こう、なんというか、収入的にもステイタス的にもグンとアップするような世界が広がるのかと思ってました(勝手なイメージですけれど)。


しかし、今思うのです。

これだったのか、と。

すごく「自分らしい」ものに気がついて、そこにある意味回帰しようという変化だったのねと、妙に納得しているのです。

そして「出会い」って、もしかしたら、近所の猫だったかも・・・

この子との出会いは、自分のプライベートを大切にしようという気持ちの変化を起こさせるには本当に重要なものだったからなあ・・・


思えば、私の悩みというのは、「私」という人間からかけ離れたところに理想を置こうとしていたところから始まっていたのかもしれません・・・


別に金持ちなんかになりたいわけじゃない。

自分は、自分らしく働きたかっただけではなかったか・・・

独り身で、背負うものもない私は、自分ひとりが生きていける収入を稼げればそれでよいわけで、高望みする必要なんて、なにもないのです。


とはいえ、これで自分の方向性間違っていないのかどうか、念のため月末に占い師の先生と会って話をしてくるつもりです。

もうこの年で明後日方向向いて生きていくわけにも行かないんでね・・・


とりあえず刑事事件のほうが一段落するまではちょっと忙しくなりそうですが、自分のプライベートが大事というところは崩さず、やっと気づいた「自分の価値観」をもう少し掘り下げてこれからの戦略をどう立てていくか考えていければなと思うのでした。


私の場合、考えすぎるとまたワーッとなるので、程々にしようと思いますけれど。



2021年6月6日日曜日

自分に自信がないことがたぶん問題だと思うここ数日。

 一昨日あたりから、ドーンと一気に落ち込んでいる状態です。

そのせいか、はてなさんのブログでは、本日は書くことが本当に見つけられず、正直にそのこと自体を記事にしてしまいました。


書いたら、不思議と気分が少し楽になりました。

やはり、「正直にぶっちゃける」ということは精神の安定にとって大事なことなのかもしれません。


これに加え、私にとって良いニュースが飛び込んできました。

陸上男子100メートルで、山縣亮太選手が9秒95の日本新を出したのであります。


*ニュースはこちらから*

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6395333


山縣くんは私が一番好きな現役日本人スプリンター(まあ、末續慎吾も現役といえば現役で、彼も私はすごく好きなのだが)。

長年応援していたのですが、ここ数年病気や怪我で振るわず、気になっていたのです。


いや〜、良かったねえ。

今日の夜のスポーツニュースが楽しみだね〜。


さて、本題に戻ります。

最初にも書きましたが、一昨日金曜日から昨日にかけて(今日はまだ少しマシかも)、精神状態がズドーンと落ちました。

どれくらい落ちたかというと、2〜3年前くらいの最悪だったときに近い感じ。

もう何もしたくなくて、時間があればとにかく寝ていたい、という無気力感が出てきました。


昨日の夜なんて、仕事やりたくなくて、しばらく休みたいと思ったくらいでした。


なんでそこまで落ち込んでいるのかというと、おそらく、何年か後に札幌に帰って仕事を始めたときに、きちんと稼ぎを出して食っていける自信がない、食っていけるようになるために、なにがしかのプラスアルファを自分につけたいのだけれど、どういうプラスアルファを自分につければいいのかわからない、自分になにができるのかわからないという不安が押し寄せているからなのです。


おまけに、一昨日から今日にかけて、本名でやってるTwitterで、かなり良い売上を出したことを告白していたり、固定給がしっかりあるということを書いてある同業者のTweetを見てしまって、「私、稼げない弁護士だからな」「そういう固定の仕事があるの羨ましいな」なんて思ってしまったわけです。


そうです。

私、稼げない弁護士なのです。

自分が持っている事件筋が金になりにくい事件筋というのもそうなのですが(離婚事件で金になる案件は少ないです)、依頼者に高額をふっかけられないメンタルの弱さがある上に、自分を売り込む営業力というものもない・・・


しかも、視野が狭く、あちこちに目配りして「お金になりそうだからこれは掴んでおいたほうが得」というものを手中に収めておくということも器用にできない。


多少かっこいい言い方になってしまいますが「自分、不器用な人間なんで」という感じです。


ここ数日、先のTwitterなんかを目にしまったせいもあって、こういう自分のだめなところにばかり目が行ってしまい、「私なんてどうせ稼げない弁護士なのよ」「じゃ、私どうやって生きていけばいいんだろう?」「札幌に帰って生きていく道なんてないんじゃないのかしら?」なんて思ってしまったわけです。


それで、ドドドーンと落ち込んでしまった。

なにもしたくなくなるくらいに。


ただ、一方で気がついていることもあるのです。

私の根本的な原因は、自分に自信がないことだということなのです。


そうなのです。

私、自分に自信がないのです。

そう言うと、「司法試験に受かって、弁護士やっている人がなにを言うているのですか」と言われそうです。


が、中学時代(進学校でしたが)、3年生の2学期まで下位3分の2あたりの位置をウロウロしていて、司法試験に受かるのに合計12年(連続受験で10年)かかった・・・という経験は、「自分に自信を持てないメンタリティ」を植え付けるには十分だったと思うのです。


おまけに、自身の事務所をやっていたときには一時的にせよ、結構な経営難を経験しています。


これで自信を持てと言われても・・・というふうに思ってしまったりするわけです。

何事も要領が悪く、なかなか結果を出せない。

特に競争が激しい弁護士の世界で、この要領の悪さで生きていくことができるのか。

弁護士になって14年目で、今こんなことにぶち当たって、悩んでいる・・・というか、無力感すら覚えている状態だったりする。


頭の中ではわかっているのです。


要領が悪いながらも、私は、最終的には「結果」は出している。

例えば、高校受験は、結局中学3年生の後半に1日7時間の猛勉強を続けてなんとか志望校に合格しました。

司法試験も、最後の年は、「なにが足りないのか」を冷静に分析して、合格することができた。


そして、事務所の経営難もなにが原因だったのか、ある程度の分析はできている。


それに自分は、「稼げる」弁護士になりたいわけでもない。

まあ、お金があるに越したことはないですが(ただ、稼ぎすぎると税金もたくさん持ってかれますからね)、基本的には自分ひとりが不自由なく食べて暮らしていければそれでいいわけです。


そういう割り切りで生きていくなら、無い物ねだりして無駄にメンタルを疲弊させる必要もないわけで。


そして、冷静に考えていくと、「離婚」や「相続」をはじめとする家族間の問題というのは、世の中に「夫婦」「家族」というものがある限りなくならないわけで、そこを主戦場としている(というか期せずして主戦場になってしまったわけですが)私は、大きく儲からなくても食いはぐれはないと考えることもできます。


おまけにこういう仕事は、書面の作成に大きな力を割く必要もそれほどないので、仕事の数をある程度こなせるというメリットもある。

一つ一つの儲けが少なくても数をこなせる分、仕事の領域としては悪くない・・・と考えることもできるわけで。


そして、これからの自分の将来が、(年齢的に考えて)今まで歩んできた道の延長線上にしかない(という言い方も大げさかもしれんが)とするのであれば、「自分にもっと付加価値をつけなければ」と惑うより、腰を入れて、今まで以上に離婚を始めとする家族間の問題に取り組んでいくという道が正しいのではないか・・・なんてことも思ったりするのです。


ただ、わかっていても、惑う。

それだけでいいのか、と不安がつきまとう。

それで落ち込む・・・という今日このごろなのですなあ・・・


今にして思えば「社労士を受けよう」なんて思いついたのも、自分に対する自信のなさの表れだったのかもしれません。

「弁護士」としての自分の自身がないので、他の資格でプラスアルファをつけようという。


もちろん、資格はあって無駄になるものではありません。

でも、これをどう活用するかはその人次第。

社労士をとったこと自体で、すぐになにかのプラスアルファになるわけではありません。

それも、心のなかではわかっていることなんですけどね・・・(とはいえ、社労士の勉強は面白いところもあるので、とりあえず今年の受験までは続けていこうとは思っていますが、今のところ)。


私に必要なことは、今まで自分が歩んできた道にもっと自信を持つことなのだと思います。

不器用ながらもここまでやってこれたのだから、これから先もなんとかなる。

人と自分を比べず、自分がどう生きたいのかを考えて、欲を出さずに過ごしていけば、それなりに自分の精神も安定してくるのかもしれませんね。


これって、ここまで悩まなくてもわかりきっていることなんだよなあ、たぶん。

なにをこんなに悩んでいるの?って、言われちゃうことなのかな?


でも、齢52歳(もうすぐ52歳)になるまで抱えてきたメンタリティというのは、なかなか直らないものなのです。


苦しみながらも、訓練していくしかないのかもしれませんね。


2021年6月3日木曜日

どうやって暮らしたいかが大切だ。

 平日の真昼間に投稿です。

本日は、月1度開かれる所属弁護士会の常議員会という、まあ、自治体の議会みたいなものに出席しています。


そうです、私、議員さんなのです笑笑


しかし、毎度毎度、一弁護士としては別にどうでもいいような議題をああでもない、こうでもないと議論していて…今回で3回目ですが、私、全然ついて行けていません。


別にね…やりたくてやっているわけでもなんでもなく、所属派閥(これも入りたくて入ったわけではない)からやれと言われて断れなかったというだけのことなんですよねえ…


たまに国会議員が居眠りしたり、内職?したりしているのがニュースとかワイドショーとかで出ていますが、気持ちわかるわ〜なんて思っています。


ブログでも書かないとやっていられません。


さて。

ここしばらくの間、メンタルの具合が不調なわけですが、そんな中で、グルグルと考えるのが、「この先自分はどうやって生きていけばいいのか」ということです。


今の職場は給料制で、私は、まあまあいい給料をもらっています。


もちろん、我が業界、上を見ればキリがない。売上1億円プレーヤーなんて人も結構ザラにいるたりして、それには遠く及ばない数字です。


ただ、下を見ても結構瀕している人はいるわけで、それと比べれば、生きていくのに困らず、千代田区で1kマンションに暮らす程度の家賃は難なく出せ、多少の贅沢は許される(多少ですよ、多少)。それくらいの給料はもらっています。


なので、経済的に困らない生活を続けていきたいのであれば、いられるだけ今の職場にいるというのが一番いいのです。


実際、この先東京にいる間は、よほど理想的な環境を手に入れられない限り、今の職場にいようかなとは思っています。

職場自体も特に嫌なところはないですし(もちろん合わない人はいるし、難しい問題もあるのだけれど)、大きな事務所なのに、かなりマイペースに好きにやらせてもらっているので、不満らしい不満がないわけです。


でも、じゃ、このままずっとそれでいいじゃんというわけにはいかないのですよね…


どうも、今の私、今の仕事に疲弊しているように思うのです。


事件を受けて依頼者と打ち合わせて、裁判や調停を起こしたり、相手方と交渉したり…というそういう仕事をこの先ずっと続けていくのは、お腹いっぱいだなあという感じ。


このブログで、過去何回か、何年かのうちには故郷札幌に帰りたいと書いているけれど、札幌に帰ってからの私が、法律事務所で普通に勤務して、普通に働いている図というのがどうしても思い浮かばないのです。


札幌に帰ったら、在宅で働いて猫と一緒にゆっくり暮らしたい。


そういう希望があるし、自分の頭の中の未来は、これ以外に浮かばないのです。


これ、どういうことなのだろう?


元々私は、司法試験に受かったら、資格を生かして面白いことをやれればいいなと思っていました。

が、蓋を開けてみれば、ガッツリ昔ながらの事件をある意味ベタな方法で処理する、昔ながらの弁護士道を歩んでいるのであります。


そして、今年で丸14年になる弁護士生活。

今更、そういう「私の仕事スタイル」というものを変えられるのか?

私もう直ぐ52歳なんですけど!?

とか思うわけです。


札幌にただ帰ればいいというのであれば、おそらくそんなに難しいことはないと思う。

でももう…いろんなものに翻弄されて馬車馬みたいに働くのは嫌だ(いやいや、今まで馬車馬みたいに働いたことがあったか、と言われたらそれまでですが)。

せっかく故郷に帰るのだから、ゆっくりのんびり暮らしたいよ〜。


そんな気持ちと、「いやでも、それで私生きていけるだけ稼げるんか」という不安と、ないまぜになって、なんだか自分の頭がグルグルグルグル回っている感じなのですよね…


そういえば、昨年の11月に占い師の先生に診てもらったときに、2021年は、人生とか自分のあり方とかそんなものに変化があると言われたのですが、まさに今ハヤシは、その真っ只中にいるということなのでしょうか…


と思う一方で、コロナの影響や、お腹いっぱいの仕事が目白押しで(重たい案件が多いのですよ)、自分のメンタルが疲れ切っていて、現実逃避で、「在宅で働きたい」という欲求につながっているのかな、などという気もしないでもないのです。


ハヤシは一見、物怖じせず、人とコミュニケーションをとることにストレスがなさそうな人間に見られがちなのですが、実際にはかなりな小心者で内向的な性格。本当に仲の良い人と一緒にいられれば、後はあまり人付き合いはしたくないというタイプです。


そんな私が、今まで「人に会ってなんぼ」のガチで昔ながらの弁護士的な仕事をよくこなしてきたよな、なんて思うのですが…


今、コロナで、好きなように行動できない、札幌に帰省できないというジレンマがあるので、余計にこういうふうに思うのかもしれないとも思っています。


これで、ある程度好きなタイミングで札幌に帰れて、それだけじゃなく、ふらっと街に出て好きに買い物を楽しめる。そんな日常が戻って来れば、今の「ゆっくり暮らしたい」「札幌に帰りたい」という気持ちも多少緩和されるのかなあ、という気もしないでもないのですよね。


この年になると、いろいろ難しいですな。

変化しない方が安全で安泰なんだろうなと思う一方で、飽きて?変化したいという気持ちも出てくる。


まさに理想と現実の狭間で悩むお年頃なのかもしれません。


ちょっとここは自分でばかり悩んでいないで、また占い師の先生にお話を聞いてくるのもいいかもしれません。


あ。別に、オススメの石とかツボとかかってくるとかそういう類ではありません。

行動や物の考え方の示唆をもらって、少しでも頭グルグルがおさまればいいな、とただそれだけです。