2021年6月6日日曜日

自分に自信がないことがたぶん問題だと思うここ数日。

 一昨日あたりから、ドーンと一気に落ち込んでいる状態です。

そのせいか、はてなさんのブログでは、本日は書くことが本当に見つけられず、正直にそのこと自体を記事にしてしまいました。


書いたら、不思議と気分が少し楽になりました。

やはり、「正直にぶっちゃける」ということは精神の安定にとって大事なことなのかもしれません。


これに加え、私にとって良いニュースが飛び込んできました。

陸上男子100メートルで、山縣亮太選手が9秒95の日本新を出したのであります。


*ニュースはこちらから*

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6395333


山縣くんは私が一番好きな現役日本人スプリンター(まあ、末續慎吾も現役といえば現役で、彼も私はすごく好きなのだが)。

長年応援していたのですが、ここ数年病気や怪我で振るわず、気になっていたのです。


いや〜、良かったねえ。

今日の夜のスポーツニュースが楽しみだね〜。


さて、本題に戻ります。

最初にも書きましたが、一昨日金曜日から昨日にかけて(今日はまだ少しマシかも)、精神状態がズドーンと落ちました。

どれくらい落ちたかというと、2〜3年前くらいの最悪だったときに近い感じ。

もう何もしたくなくて、時間があればとにかく寝ていたい、という無気力感が出てきました。


昨日の夜なんて、仕事やりたくなくて、しばらく休みたいと思ったくらいでした。


なんでそこまで落ち込んでいるのかというと、おそらく、何年か後に札幌に帰って仕事を始めたときに、きちんと稼ぎを出して食っていける自信がない、食っていけるようになるために、なにがしかのプラスアルファを自分につけたいのだけれど、どういうプラスアルファを自分につければいいのかわからない、自分になにができるのかわからないという不安が押し寄せているからなのです。


おまけに、一昨日から今日にかけて、本名でやってるTwitterで、かなり良い売上を出したことを告白していたり、固定給がしっかりあるということを書いてある同業者のTweetを見てしまって、「私、稼げない弁護士だからな」「そういう固定の仕事があるの羨ましいな」なんて思ってしまったわけです。


そうです。

私、稼げない弁護士なのです。

自分が持っている事件筋が金になりにくい事件筋というのもそうなのですが(離婚事件で金になる案件は少ないです)、依頼者に高額をふっかけられないメンタルの弱さがある上に、自分を売り込む営業力というものもない・・・


しかも、視野が狭く、あちこちに目配りして「お金になりそうだからこれは掴んでおいたほうが得」というものを手中に収めておくということも器用にできない。


多少かっこいい言い方になってしまいますが「自分、不器用な人間なんで」という感じです。


ここ数日、先のTwitterなんかを目にしまったせいもあって、こういう自分のだめなところにばかり目が行ってしまい、「私なんてどうせ稼げない弁護士なのよ」「じゃ、私どうやって生きていけばいいんだろう?」「札幌に帰って生きていく道なんてないんじゃないのかしら?」なんて思ってしまったわけです。


それで、ドドドーンと落ち込んでしまった。

なにもしたくなくなるくらいに。


ただ、一方で気がついていることもあるのです。

私の根本的な原因は、自分に自信がないことだということなのです。


そうなのです。

私、自分に自信がないのです。

そう言うと、「司法試験に受かって、弁護士やっている人がなにを言うているのですか」と言われそうです。


が、中学時代(進学校でしたが)、3年生の2学期まで下位3分の2あたりの位置をウロウロしていて、司法試験に受かるのに合計12年(連続受験で10年)かかった・・・という経験は、「自分に自信を持てないメンタリティ」を植え付けるには十分だったと思うのです。


おまけに、自身の事務所をやっていたときには一時的にせよ、結構な経営難を経験しています。


これで自信を持てと言われても・・・というふうに思ってしまったりするわけです。

何事も要領が悪く、なかなか結果を出せない。

特に競争が激しい弁護士の世界で、この要領の悪さで生きていくことができるのか。

弁護士になって14年目で、今こんなことにぶち当たって、悩んでいる・・・というか、無力感すら覚えている状態だったりする。


頭の中ではわかっているのです。


要領が悪いながらも、私は、最終的には「結果」は出している。

例えば、高校受験は、結局中学3年生の後半に1日7時間の猛勉強を続けてなんとか志望校に合格しました。

司法試験も、最後の年は、「なにが足りないのか」を冷静に分析して、合格することができた。


そして、事務所の経営難もなにが原因だったのか、ある程度の分析はできている。


それに自分は、「稼げる」弁護士になりたいわけでもない。

まあ、お金があるに越したことはないですが(ただ、稼ぎすぎると税金もたくさん持ってかれますからね)、基本的には自分ひとりが不自由なく食べて暮らしていければそれでいいわけです。


そういう割り切りで生きていくなら、無い物ねだりして無駄にメンタルを疲弊させる必要もないわけで。


そして、冷静に考えていくと、「離婚」や「相続」をはじめとする家族間の問題というのは、世の中に「夫婦」「家族」というものがある限りなくならないわけで、そこを主戦場としている(というか期せずして主戦場になってしまったわけですが)私は、大きく儲からなくても食いはぐれはないと考えることもできます。


おまけにこういう仕事は、書面の作成に大きな力を割く必要もそれほどないので、仕事の数をある程度こなせるというメリットもある。

一つ一つの儲けが少なくても数をこなせる分、仕事の領域としては悪くない・・・と考えることもできるわけで。


そして、これからの自分の将来が、(年齢的に考えて)今まで歩んできた道の延長線上にしかない(という言い方も大げさかもしれんが)とするのであれば、「自分にもっと付加価値をつけなければ」と惑うより、腰を入れて、今まで以上に離婚を始めとする家族間の問題に取り組んでいくという道が正しいのではないか・・・なんてことも思ったりするのです。


ただ、わかっていても、惑う。

それだけでいいのか、と不安がつきまとう。

それで落ち込む・・・という今日このごろなのですなあ・・・


今にして思えば「社労士を受けよう」なんて思いついたのも、自分に対する自信のなさの表れだったのかもしれません。

「弁護士」としての自分の自身がないので、他の資格でプラスアルファをつけようという。


もちろん、資格はあって無駄になるものではありません。

でも、これをどう活用するかはその人次第。

社労士をとったこと自体で、すぐになにかのプラスアルファになるわけではありません。

それも、心のなかではわかっていることなんですけどね・・・(とはいえ、社労士の勉強は面白いところもあるので、とりあえず今年の受験までは続けていこうとは思っていますが、今のところ)。


私に必要なことは、今まで自分が歩んできた道にもっと自信を持つことなのだと思います。

不器用ながらもここまでやってこれたのだから、これから先もなんとかなる。

人と自分を比べず、自分がどう生きたいのかを考えて、欲を出さずに過ごしていけば、それなりに自分の精神も安定してくるのかもしれませんね。


これって、ここまで悩まなくてもわかりきっていることなんだよなあ、たぶん。

なにをこんなに悩んでいるの?って、言われちゃうことなのかな?


でも、齢52歳(もうすぐ52歳)になるまで抱えてきたメンタリティというのは、なかなか直らないものなのです。


苦しみながらも、訓練していくしかないのかもしれませんね。


0 件のコメント:

コメントを投稿