2013年6月30日日曜日

四十路、引きこもる。

珍しく2日間引きこもりました。

理由は単純に体調不良。
昨日から今朝にかけて、眠りに眠ったおかげか、はたまた医者が処方してくれた薬がドンピシャだったからか、今日は昨日よりだいぶ回復しました。

が、元々体がそれほど丈夫ではない私。
しかも、いつもの週末であれば、どちらかの日は「さて、(ウィンドウ)ショッピング!!」と気持ちがむくむくと湧き上がるところ、今日はさっぱり。
これは、完全回復ではないなと思い、引きこもりを決め込みました。

土日の両方を自宅(近所のコンビニくらいはさすがに出るとして)で過ごすことなんて、弁護士になって以来、全くと言っていいくらい、なかったように思います。

私は、「ちゃんと休めない人間はいい仕事ができない」と思っているので、たいてい土日のどちらかは休むことにしているのですが、それでもどちらかが仕事でつぶれることは結構あります。どちらもづぶれるということも、なくはない。
極力家でできる仕事は家でするようにしてはいるのですが、限界はあるわけです。

この土日は、最低限の家事と簡単な書面を数通作る、必要な連絡をする以外は、のんべんだらりと過ごしていました。

たまには引きこもりもいいものです。

何をするにも自分のペース。
邪魔するものは何もありません。
料理を作っていたければ、好きなだけ台所に立っていればいい。
ネットしていたければずーっとネットしていればいい。
そう思うと、何もせずに、ぼんやりしていることができます。
その「ぼんやり」がすごくいいのです。

特に最近、この後弁護士としてどうありたいか、とか落ち着いて考えたいことがあるんだけど、日々仕事に追われてなかなか考えられない…という状況でもあったので、この土日は、とても貴重でした。

そして、気が付いたのですが、自分、意外に引きこもり、好きかもしれません。
もともと協調性があまりなく、何をするにもマイペース。
社会生活は、そんなわがままな私には、非常にストレスフルです。
近くにコンビニがあって必要最低限の食材さえ手に入れば、たぶん、1週間くらいは、この2日間みたいな生活、行けると思います。

これは、間違いなく母の遺伝でして。
私には、脈々と「引きこもりのDNA」が流れているのです。

ハヤシの母は、20代前半で結婚した専業主婦。
社会人経験もあったのに、ほんとか?と本気で疑うくらいの超マイペース。
家の中の仕事をするのが大好きで、ちょっとした病気や整形外科関係の手術のために入院するときも、医者に「早いとこ退院させてくれ」と駄々をこねる始末。
祖母の影響を受けて、身なりにはかなり気を遣うのですが、習い事をするわけでもなく、主婦友達とお買い物に行くでもなく、洋服は欲しいものができた時にポンと買う程度。
週に一度か二度町場に出かけていきますが、デパ地下で食材買ってはとんぼ返りするだけ…
1日の大半は自宅で過ごす、そういう人なのです。
夕飯の支度をする前に、ゆっくりと新聞を読むのが好きな人、なのです。

母とは違って外で仕事をする道を選んだ自分なので、こんな「引きこもりおばさん」にはならんだろうと思っていたのですが、やはり、血は恐ろしい。
こういうところも含めて、どんどん母に似てきている…。

私の妹も外で働く女ですが、口数が少なくぶっきらぼうな割に社交的で、休みの日には、友達と食事や映画に出かけることが多い気がします。
こちらは、やはり口数が少なくぶっきらぼうな割に友人が多くて退職後も働いている父に似たんでしょうか。

2日間の引きこもり生活は、こんなどうでもよさそうなことまで考えさせてくれるほど、私をリラックスさせたのでした…






土鍋とフライパンで十分なのだ。

風邪を引きました。

一昨日あたりから、なんだか咳が出るなあと思っていたら、あれよあれよという間にのどに激痛は走るわ、声は出なくなるわ、鼻水は出るわ…

しかし、不思議に熱はなし。若いころはこうなったら、40度近い高熱が出たもんですが…
あれですかね、年を重ねると大したウィルスじゃなくても症状が強く出るんでしょうか。

最近引く風邪はすべからくこのタイプなのです。
で、冬はかなり気を付けるので、引かない。
夏場は、暖かくして寝るというのも難しく、軽いんだけど直りにくい…

病院でもらった薬を飲んで昼間寝まくっていたので、ちーとも眠くありません。

今日の夕食は、野菜たっぷりラーメンでした。
喉がまだ痛かったので、汁気のあるものを食べたかったのです。

使用したのはインスタントラーメンですが、しかし、かなり手をかけました。
まず、ラーメンスープは使いませんでした。
スープは自分で作りました。ブイヨンと昆布とほんだしですが…
で、大量のキャベツとベーコンを投入。
塩は使わずこしょうのみで味を調えます。
麺は別茹でして最後に投入。
最後にレンジで作った半熟の目玉焼きとバターを投入。

おいしゅうございました。

使った調理器具は、土鍋と小さな片手鍋です。

私が普段使う調理器具は、ごく限られています。
土鍋とフライパンを使うことがほとんど。今日使った片手鍋も、ずいぶんとお久しぶりな感じです。

土鍋とフライパンがあれば、大概のモノが作れます。
例えば、私はご飯も土鍋で炊くし、煮物はもちろん土鍋で作ります。土鍋は保温や保湿に優れているので、水をあまり使わずにホクホクしたおいしい煮物が作りやすいという利点があります。
ご飯炊くのも簡単です。火にかけている時間なんて、賞味10分くらい。
最近はスープも味噌汁も土鍋で作ります。
二人用くらいの小さな土鍋を使っているので、作りすぎ防止になるのです。
下ごしらえで野菜を蒸すときも土鍋に専用のお皿を使ってやりますし、土鍋は実は万能調理器具です。

そしてフライパンも実は非常に使える調理器具です。
今の私の家には魚用のグリルがありません。
私、焼き魚は、フライパンで作ります。
今までは、フライパンにじかに魚を置いて作っていましたが、最近母が「クックパー」の焼き魚用のホイルを教えてくれまして。
それを敷くと、油なしでも魚がくっつかないし、フライパンを洗うのも楽。
干物は特にフライパン調理に向いています。

もちろん、オーブントースターも使いますし、レンジもよく使います。
でも、例のシリコンスチーマーは買ったことがありません。
レコルトとかで出している、電子調理器も買いません。
大きな蒸し器やフライヤーも最近流行ってるけど、買いません。
面白調理器具で使うものと言えば、電子レンジでパスタを茹でられるケースくらいです。

なぜ買わないのか。
目新しい調理器具は、結局使わなくなるから。
用途が限定されすぎていて(レコントもいろいろ入れ替える必要があるでしょ)、汎用性がないのです。
結局は「土鍋とフライパンでできるじゃん」となるのです。

調理器具は、シンプルなものが一番です。
火の通り具合がわかりやすいし、分量もつかみやすくなります。
調理方法や味付けに工夫するようになります。

とくに一人暮らしだと、台所収納も限界があります。
数種類の調理器具を使いこなせて料理が作れるようになれば、収納に苦労することもなくなるし、何より、かっこいい。

最近のキラキラ調理器具を見るたび、そんなことを思うのでした。

2013年6月24日月曜日

メガネとワタシ

そういえば、洋服だの靴だのアクセサリーだのと、身に着ける物のことを散々書いているのに、1日のなかで、一番長時間身に着けているであろうアイテムのことを未だ書いていないことを思い出しました。

メガネです。

実は、このブログに来てくださった方が「一度メガネで」とネタ提供してくださいまして(ハシビロコウさん、ありがとうです)、ふと、考えたのです。

メガネとのお付き合いは、中学2年生のときにはじまりました。
突如として視力が落ちたのです。
それまでは、余裕で左右1.5だった私。
単に賢そうに見えるからという理由でメガネに憧れていたものの、この分だと老眼鏡まで世話にならずに済みそうだと思っていた矢先、「授業中だけでも眼鏡をしなさい」と指摘される状況になってしまったわけです。

その後、視力は順調に落ち続け、大学生になったころには、0.1を切ることに。
今はたぶん、0.02くらいしかないはずです。
メガネ外すと、あたりは、ぽやーんとした感じ。
で、寝てるときと風呂に入るとき、顔を洗うとき以外は、ずーっとメガネ生活なわけです。

コンタクトレンズにしていた時代もありました。
しかし、コンタクトレンズは不経済。なぜなら、絶対に予備でメガネがいるから。
それに、使い捨てでなければ、手入れも大変。

というわけで、ほんの数年で手放し、初めてメガネをかけて以来、概ねメガネ生活を続けているのです。

色んなメガネをかけてきました。

わりに若いころから、メガネは自分の印象を決める物だという意識はあったし、アイテムとしてもメガネはかなり好きだったので、自分で買うようになってからは、メガネを買おうと思ったら、結構じっくり選ぶようになりました。

何度も買いなおしているうちに、メタルっぽいフレームのものは顔に似合わず、セルフレームの濃い色が自分の顔にはしっくりくることがわかってきました。
つくりとしては、メンズっぽいテイストのものです。

しかし、メガネ生活を楽しむのも、楽ではない。
私の顔には、1つ致命的な欠陥があるのです。

鼻が低いのです。
鼻の上に、おとなしくメガネが乗ってくれないのです。

メガネを顔におさめるために、リムの部分の締め付けを強くするとか、ぐにょーんと耳裏でリムを曲げるとか、色んな細工が必要になり、しかし、細工をする割に顔にはマッチしない、こめかみのあたりは痛くなる、メガネと目の距離が異様に近い…みたいな不具合が、頻繁に起こりました。

特に、欧米ブランドのメガネは、私のようにほとんどのっぺらぼうな和風顔向けに調整するのは、非常に困難でした(だって、あんな鼻ならメガネどころか、リンゴだってバナナだって乗りそうではないか)。
そこで、「だったら日本人が作ったものがいいだろ」と国産のものを探した挙句、ついに顔にマッチするブランドを見つけたのです。

それが、999.9。

10年くらい前からは、999.9しかしていません。

999.9は、まず鼻パッドが秀逸です。
私のような小さなお鼻の人間でも、きちんとメガネがおさまってくれる鼻パッド。おかげで、顔の肌に負担がかかりません。
リムと本体の接続はバネ式になっていて、リムは顔にフィットしますが、締め付け感が全くありません。
適度な重みがあり(今流行りの軽いメガネは、逆に軽すぎて落ち着かない)、おさまりが良く、負担がなく、かけ心地サイコー、なのです。
直営店の店員の方の調整の技術も、おそらく優れているのだと思います。

デザイン的には、その時その時によって、大きさや丸みなどを中心に若干の違いがありますが、定番系のイメージは、ほぼ同じ。黒やグレー、茶色(女性向けは明るい色味もありますが)のセルフレームが中心です。

でも、定番系だからと言って、落ち着いてつまらないデザインかというと決してそうではなく、例えば10年近く前に買ったメガネでも、この間のメガネの流行を超えて使い続けることが可能で、なおかつ、常にスタイリッシュな印象を与えられるのです。古さが全くないのです。

今使っているのは、グレーと黒のモノが1本ずつ。どちらもメンズ向け商品のようですが、それでもかけ心地には全く問題ありません。

私の場合、洋服に合わせて眼鏡を変えるということはしていません。
あくまでメガネをかけた自分の印象から、洋服のコーディネートを考えている感じ。
まさに、「メガネは顔の一部」になっているのだと思います。

最後にメガネを作ったのが、もう4,5年前のことなので、そろそろ新しい一本が欲しいなあと思うのですが(もちろん、999.9で買いますよ!!)、実は最近気になることが。

ほんの2,3日前のこと、細かい字に目のピントが合わなくなってしまったのです…
ついに老眼か?

ここ10数年は視力に大きな変化もなく、メガネ屋さんの検眼のみでメガネを作ってきましたが、そろそろ一度、眼科でちゃんと視力を測らねばいけないかもしれません。





2013年6月23日日曜日

オネエの生き方を考える。

今週(土曜日が終わったので先週か)、ひとつ歳をとりました。

まだ、40代の前半ではあるのですが、昨年までの誕生日と違って、「やったー、誕生日!!」という無邪気な気持ちになれませんでした。
おそらく、もう人生の折り返しを過ぎただろうことを自覚したからだと思うのですが、それでも、今日は自分で2日遅れのお祝いをしてしまったところが、未だ子供じみている…かも。

トップスのケーキ、うまかったです。

さて、最近、はるな愛が「私男かもしれない」発言をして、非常に話題になっています。
仕事で男装したのがきっかけで、目覚めてしまったとかいうことですが…これ、多くの人は、結構ビビったんじゃないでしょうか。

かくいう私も、一度はビビりました。

だって、はるな愛って、いわゆる「オネエ」系の人の中では、ネタで「大西賢示」とか呼ばれているものの、かなりしっかり見た目「女の人」で、見ていて痛さがないですし、その分、心の中もかなりしっかり女の人なんだろうと見受けられる人でしたから。

しかし、ビビった次の瞬間には、「ああ、やはり、ニューハーフのホルモンバランスって微妙なんだ。体を変えても微妙なものは微妙なんだ」と、なんとなく納得してしまったのです。

思い出したのは、東野圭吾の小説「片想い」でした。

この小説の中に、男性になろうと試み、違法な戸籍交換システムを利用して別の人間になろうとする女性が一人出てきます。
その女性が性同一性障害であることを知りながら、女性としてずっと愛し続けてきた男性が、この女性のことを、男性と女性のちょうど狭間にいる、だから男の体になったら、今度は自分は女ではないかと悩むはずだという趣旨の発言をしているシーンがあります。

はるな愛ほど、完璧に女性になったと思わせる人でも、所詮こうなんだろうな。
いわゆるニューハーフの人の多くは、こんなもんなんだろう。
と、そんなことを思ったりしたのです(もしかすると、全然違うのかもしれませんが)。

仕事で、性同一性障害の方の依頼を受けたことは何度かあります。
いずれも性転換手術をした方でしたが、望んだ体を手に入れたのに、なんだかあまり楽しそうには見えませんでした(まあ、そりゃあ、法的トラブルを抱えているわけだから、楽しそうにしていること自体無理があるようにも思えますが)。
古い友人は、行きつけのおかまバーのママさん(この方は手術していない)から、「とっちゃった子のほとんどは、精神的におかしくなって、自殺しちゃう子も少なくない」と聞いたとか(注:これもこの方の周りの人がたまたまそうなんだろうという留保はここでつけておきます)。

もちろん、体を変えたらメンテナンスをするために、ホルモン注射をしたり、術後も病院との縁はずっと切れないのでしょう。
その煩わしさや金銭的な負担もかなりなものだとは思うのですが、逆に言えば、そうやって、ホルモンバランスをとるべく医者に対応してもらえるんだから、精神のバランスだって、術前よりも安定したものになるんじゃないのか…と思うと、あながちそうでもないらしく。

一体、ニューハーフ、オネエと呼ばれている人たちは、この世の中、どうやって生きていくのが、一番心地いいんでしょうかねえ。

私自身はあんまり覚えていないんですが、まだ受験生時代、妹に「お姉ちゃんは弁護士になったら、何をやりたいのさ」と問われて、「ニューハーフの人権」とか答えたそうで。

当時から、やれ「こどもの人権」「女性の人権」とかいろんな類型の人々の人権を守ろうという動きの中で、いわゆるニューハーフ(というべきか、性同一性障害というべきか)の人たちの人権が狭間に落ち込んで、顧みられていないだろという問題意識を持っていたことは確かです(白状すると、そのころ観た「プリシラ」という映画に影響を受けたという非常に単純なきっかけです)。

で、それから、もう少なくとも、7,8年が経ったというのに、欧米では「同性婚を認めるか認めないか」みたいな議論が盛んで、同性婚が制度化された国もいくつかあるというのに、この日本という国は、「オネエ系」と呼ばれるタレントさんのごく少数がもてはやされているだけであって、ニューハーフ(というべきか、性同一性障害というべきか)と呼ばれる人々の暮らしやすさ、生きやすさは、さっぱり改善されていないんじゃないのか(注:一定範囲の人が戸籍上性別を変えたりできるようになったりはしましたが)と思うのであります。

どうなんだろう。

心と体の不一致で悩む、苦しむということの要因の相当程度は、そういうものに対する周囲の人の理解のなさとかに負っているところが案外あるんじゃないんだろうか。

そうであれば、「実は性別って絶対的なものではなく相対的なものなんだ」とか、「いろんな事情(先天的なものも後天的なものも含めて)を人が抱えていることを理解しましょう」とか、そういう社会教育を充実させたり、同性婚を正面切って認める(注:日本の場合、養子縁組が同性婚に流用されている現実があります)みたいな制度整備を進めたりすることが、意外にそういう悩みを軽減する可能性を秘めているんじゃないだろうか。

考えると、きりがない。
それが、ニューハーフの問題。

ミッツ・マングローブとかマツコ・デラックスとか、テレビ的に活躍している人はいるけれど、ニューハーフとかオネエとかの定義があいまいである分、この類型に属するとされている人々の問題は、実は、まだまだ整理すらされていないということに気づきつつ、今日は、ペンを置くのでした(ペンで書いてはいないんですがね)。




2013年6月17日月曜日

薬指のお話。

自分の手は、ちょっと他人と違うなあと、結構前から思っていました。

人差し指と薬指を比べると、薬指が極端に長い。
薬指が、中指とあまり長さが変わらない。

他の女子の手を見ると、人差し指のほうが長い。
あるいは同じくらい(男子の手は、あまりじろじろ見ない)。

なんか変な手だわ、ワタシ、と、長いこと思ってました。

しかし、所詮個々の指の長さの問題です。
別に不便もないし、それだけのことでしかありませんでした。

が、昨日。
同窓会の二次会の時のことです。
医者をやってる男性の同期が私の手を見て

「おおっ!!2D:4Dだ、しかもこんなすごいの初めて見た!!」

は?なんすか、それ。
にーでぃーよんでぃー????

その後の解説によると、薬指が長い人は、胎児の時に男性ホルモンの影響を強く受けていて、女性でも気質が男性的らしいんだとか(ネットで後で見たけど、脳のつくりにまで影響があるとかないとか)。
これ、今、医学界でまことしやかに言われているらしいのです。

で、その場でいろいろ言われたわけです。

四十路で独身であるわけを。
ダメンズばかり引いているのは、「引っ張ってほしい男を引き寄せるから」だと。
みうらじゅんとリリーフランキーではリリーフランキーが好きだという発言に対して、「リリーフランキーのほうが、『ひも』感漂ってるよね。やっぱりね」とか。

この手の話には、妙な求心力があります。
それまでの「なんでこうなっちゃうかな私の場合」という解決しようがなかったパズルが、一気に解けるような気がするという点において。
ほどけたからと言って、何の発展性もないし、肝心な問題の解決には全くならないわけですが。

さて、女と指の関係と言えば、向田邦子が自身のエッセイ集に「女の人差指」とつけておりまして、やはり女の象徴は、人差し指かと、ちょいとがっかり。
と、思いきや、小川洋子のちょっと隠微な小説のタイトルは「薬指の標本」だったりして、こう聞くと、4Dな薬指も、なんとなく女性の香りを漂わせる気もするのです。

指と性の関係というのは、案外深いものなんでしょうね。



2013年6月16日日曜日

四十路の劣化事情

昨日は、高校の同窓会でした。

帰省しているわけではございません。
わが母校は一応北海道随一の進学校。
本州にも同窓生は非常に多く、毎年この時期に東京でも同窓会が開かれるのです。

高校はとても居心地のいいところでした。
とはいえ、帰属意識が希薄な私。
今年は、私の期が同窓会運営の当番ということで結構各方面から動員がかかっていて、で、まあなんとなく出てみますか~という感じで、東京の同窓会に初めて出席したのです。

我が期の参加は約20名。
本州在住者のみならず北海道からもやってきて、比率的には5分5分というところでした。
男女比も同じくらい。

卒業してから初めて会う人、10年ぶりくらいに会う人、などなど色々いたわけですが、総じて男性のほうが経年劣化が激しいものでした。

で、特に激しかったのが、高校時代にそこそこかっこよくてモテていたタイプの人(まあ、それも個人差はありますが)。
太る。
たるむ。
薄くなる。
劣化の要因は、概ねこの3つになり、男性のうち一人を除いて全員が「太る」に当てはまっておりました。
太っていても、まだ肉が「パン」とした状態であれば、見れる状況ではあるのですが、ここにたるみが来ると、見た目は溶解状態になり、さらにこれに「薄くなる」が加わって、見た目的に「じぇじぇじぇ~」な状況になってしまうという…

なお、念のために申し上げると、私は薄毛に対する偏見はわりにないほうで、薄毛なら薄毛なりに美しく見える対処方法を施していただけるのであれば、それもまた経年によるアジと評価できるだろうと思うほうなのであります。

要は、太るに任せて太り、たるむに任せてたるみ、薄くなるに任せて薄くする…そういう経年劣化の手当てをせずに放置するだけ放置すると、かつてのイケメン男子は目も当てられない状態になるのだということを、昨日、まざまざと知ったということです。
誰とは言わないけれど、バスケ部のエースで、女子にキャーキャー騒がれていたとある男子は、今の中年男性の中でも下の中くらいの見かけに転落していましたので…

逆に若いころ、さえない男子グループに所属していた人や、普通だった人は、案外その状況をキープしていたりして、若い時代の不遇さを挽回していることを実感させられたりしたのでした。

時間というものは平等なのか、不平等なのか。
神様は公平なのか、不公平なのか。
考えさせられます。

まあ、若いころにかっこよかった子というのは、モテることに苦労しなかったので、見た目を磨くことに対する努力を怠る傾向にあるんだろうと思います。
若いころに不遇な時代を送った人は、少しでもモテるために努力する。
そういう心意気の違いが、今の劣化事情の違いにかなりな影響を及ぼしていることは間違いありません。

人間、努力を怠ってはあかんのです。

さて、女性はどうだったかというと、総じて劣化具合が軽微、でした。
しかし、これ、昨日来ている女子の事情を見ると、当たり前な気がします。
全ての女子が有職者(医師、公務員、司法書士、会社の正社員、ライター等々)
既婚者は4名(半分くらい)。
子持ち一人。
つまり、世に出て揉まれている女性ばかりなのです。
女子は、人目に触れるか触れないかで、劣化具合が変わるのは明らかで、例えば専業主婦をやっていたとしても、何かを習ったりお出かけすることが多いとそれなりに見た目に気を配ります。
働いている女は強制的に人目にさらされるので、劣化できないのです(はずなのです)。

しかし、気になるのは、昨日来ていた女子のほとんどは、いわゆる一軍女子ではなく、高校時代は、どちらかというとさえないグループに所属していたメンバー。
若いころモテていた人のほうが劣化が激しいという男子と同じセオリーが女子にも当てはまるのかどうかは気になるところであります。

男性陣は、高校のころの一番人気だった女子にしきりに会いたがっていたようですが、思い出は穿り返さないほうが時に幸せ、なのかもしれません。

2013年6月10日月曜日

テリー伊藤は、コメンテータを引退しろ。

「彼のことを悪く言う人はいない。ほんとに、好青年。」

これ、昨日のサンデージャポンでの、元サッカー日本代表の奥大介のDV疑惑報道に関するテリー伊藤がしたコメント(若干不正確)です。

テリー伊藤のコメントは、「その人が好きか嫌いか」「その人と懇意にしているかいないか」などというきわめて個人的な基準で内容が全然違います。自分のコメントが、電波に乗って広いエリアに流れているということが全く意識されていない…というか、もうちょっとはっきり言うと、せんべかじりながらワイドショーに張り付いているおばさんたちのコメントのほうがよほど聞く価値がある…という低レベルさです。

矢口真里の不倫騒動に関するコメントがやたら厳しかったのに対して、知り合い?の奥に対するこのコメント…このバランスの悪さは一体なんなんだ。この人にかけられている疑惑は、脅迫とDV。つまり、犯罪なわけです(なお、未だ捜査の段階で罪人決定みたいな報道をする日本のテレビや新聞は腐っていると個人的に思っていることは一応お伝えしておきますが)。

しかも、この発言、DVの本質を全くわかっていないこと、丸出しなのです。

DVをする男の人の多くは、好青年、優しくおとなしい、物静か、エリート社員。
凶暴・粗暴なんていう人は、ほんのわずかです。
つまり、「まさかこの人が」というのが、DV事件の本質なのです。

「まさかこの人が」という人が妻や恋人に暴力をふるう要因は、様々です。
ストレスのはけ口、人格上、精神上の問題、発育上の問題、などなど。

しかも、DVをする人とされる人がお互いに依存しあう「共依存」という状況(男「こいつがいないと俺はだめだ」、女「私がいてあげないと…殴るほどあの人に愛されている」みたいな世界)もまれではなく、夫のDVを理由に逃げてきた女性が、またその男性を求めて帰ってしまうなんていうこともある。

命からがら逃げてきて、何年も経っているのに、その男の影におびえて、弁護士がついているのに法的な措置に踏み切れない…なんていう深い深いトラウマを、ずーっと引きずっている女性も少なくありません。

DVの世界というのは、人間の裏側、奥底のドロドロ、理性とは別のところにある情念、みたいなものが絡み合った非常にディープなもので、そう軽々と語れるようなものではないのです。

そういうぐちゃぐちゃな世界についてテレビでコメントする以上、DVがそういうぐちゃぐちゃなものなんだという認識を予め持つべきだろう、それがコメンテーターとしての責任というもんだろうと思うのですが…あのテリーのコメントは、全く何も考えていないことが明らか。「知り合いのお兄ちゃんがちょっと妻を殴っちゃったんだよねえ」という非常にのんきなテンションの下で発せられています。

イライラします。
佐伯日菜子だけではない、DVで苦しむすべての女性に失礼だ。

私は、フェミニストではないし、「女性が、女性が」と権利主張するのは、どちらかというと嫌いで、苦手です。

でも、そんな私でも、あのテリーの発言は、かなり許せん。

それは、自分が仕事で、そういうものに苦しめられてきた(今も苦しんでいるであろう)女性たちに会ってきたからなんだろうと思います。
友達の弁護士が、解決の道筋が見えないDV事件を抱えて、体壊すくらい悩んでいるのを見てきたからなんだろうと思います。

テリー伊藤に限らず、コメンテーターの皆さん。

こんなことも勉強する気がないんなら、コメントなんてしないでください。
テレビ局もさ、人選考えてよね。





2013年6月9日日曜日

ハヤシの大予言:近々ブーツカットが来る!!

見ちゃいました。
AKB総選挙。
しかし、指原が1位とは…

なんというか、指原のキャラのせいという言い訳も可能なのかもしれませんが、
大島優子が本気で指原を馬鹿にしていたのが若干透けて見えました。

女の園は、やはりこわい。

さて、本日のお題ですが、これ、結構本気でそう思っています。
ブーツカットデニムの爆発的人気が過ぎてから、そろそろ10年くらいになるんでしょうか。
世は、スリム、スキニー、クロップド、ボーイフレンド系などなど、ほっそり、すっきり、足首見せといったボトムの時代です。
これ、デニムだけに限らず、その他のパンツも同じ傾向。
昨年あたりからちょっと毛色が変わって、柄物のポリエステルゆるゆる系が出ていますが、基本丈は短めで、シルエット的には、最近のボトムのシルエットを踏襲しています。

しかしさ、そろそろみんな気付こうよ。

上記のシルエット、日本人の8割には、非常に厳しいということ。
まず、スキニー系。短足、太足、でっぱらという女性の課題が全てあらわになります。
したがって、きれいに履ける人は一部の選ばれし人のみ。ほとんどは、上にワンピかチュニックを着なければならない。
クロップド、ボーイフレンド系。足首の太さ、ふくらはぎの子持ちシシャモ加減が、やたら目立つ。
そして、いずれもカジュアルすぎて、あまり、きれい目な感じがない。

やはり足がきれいに見えるなら、ブーツカット。
パンプス履いてブーツカット履けば、足が長く見える。
裾が広がっている分、太ももや上半身が細く見える。
体型カバーにもってこい。

なんていう反動が来そうな気がするのですが。

確かに、どこの店に行ってもブーツカットのパンツなんてほとんどありません(先日、有楽町ルミネのユナイテッドアローズで、デニム生地のセンタープレスパンツがセールになっていてちょっと感動しちゃいましたが。今春ものということでゲットしました)。

しかし、ということは、ということはですね。
流行としては、細系パンツ、末期症状ということなんではないかと思うのです。

何より私が、今、ブーツカットを欲しています。
なんといってもコーディネートが楽だから。
Tシャツ着てジャケット羽織れば、夏場の仕事着としては、ほぼ完ぺき。
最近、3,4年前に買い替えたセオリーの黒のパンツスーツが大活躍です(定番のもので、パンツはきちんとブーツカット)。

実はボトムというのは、その人の体型に似合う形というのがあると思うのです。
これ、パンツだけではなくてスカートも含めて、ですし、年齢や髪形によって変わったりもするのです。
が、流行とかかわりなく、似合うボトム似合わないボトムというのが人によって違う。

私の場合、裾が細い、全体が細いというシルエットのパンツに今までなんどかトライしてきましたが…似合ってる気が、しない。

自分としては、以前から、全体に緩めのシルエットのものか、ブーツカット、ベルボトムがいける気がしてます。
しかし、日本の場合、そういう個人のし好や似合う似合わないというのを度外視して、流行るとなると、もう店頭にはそれしかないという状況になってしまいます。

で、今、どこ探してもない(注:セットアップならある)、というこの状況に至ってしまうと、逆に「そろそろ違うシルエットのを履きたい」「やはり足が長く見えて、体型隠せるのはワイド系!!」という揺り戻しが来るんじゃないかと思うのです。

そんなわけで、来るならデニムからだろうと思い、百貨店の中に入っているインポートデニム売り場あたりを本日回ってみたかったのですが、仕事のため、かなわず。
今度折を見て偵察をしてきます(そして、報告します)。

なお、林の予想を馬鹿にしてはいけません。

遥か昔、高校生の頃ですが、その冬はほぼ誰も着ていなかったダッフルコートを購入して着ていたところ(場所は寒い寒い北海道です)、翌年から大ブームになりました。
大学生のころには、どうしても紺ブレが欲しくて、バイト代を使ってジュンコシマダの紺ブレを買ったら、こちらも翌年からはやり始めました。

ですから、来年の初夏あたりから、ブーツカットが来る…はずなのです。



2013年6月3日月曜日

zaraのジャケットを買ってみました。

銀行業務検定信託実務3級を受けてきました…
落ちた、確実に落ちた…
しかし、なんといいますか、受けた意味はありました。
知識がない時の頭の動かし方と言えばいいんでしょうか、「法律の趣旨からするとこうなるはず」「基本から考えればこうなるはず」という、法律家らしい頭の使い方ができたので。
きちんと勉強が追いついていれば、悩む必要なんぞなかったところなんですけどね~。

さて、今日は、試験のあと仕事を2つこなし、夕方4時半ころに東京駅の大丸に行きました。

お目当てはザラ。

大丸東京って、今、ファストファッション系の店とか、ファッションビルに入ってそうなセレクトショップが結構入っているんですねえ。

どれもこれもスペースが中途半端なせいか、品ぞろえ的にどうなんだという気がしないでもありませんが、新鮮味があってよい感じ。
ただ、メルチェリアドレステリアのディスプレイが、私が見たドレステリアの店舗の中では、ナンバーワンのダサさでしたが…
ワンピースが映えるようにというディスプレイだったんでしょうが…麻のカーテンがたくさんかかっていたのかと思いました。

本題に戻ります。

前にファストファッションのことについて書いたとき、ザラのものが結構使えるという話をしました。

ザラはかなり良く覗くお店で、「仕事着に困ったら、まずザラを覗いてみる」という感じです。

東京に来てから良く行くザラは、銀座と表参道、たまに六本木。
昨日、実は仕事帰りに銀座のザラを覗いて、ブルーのストレッチコットンのライダースジャケットに目をつけていました。

今までライダースなんてまるで眼中になかったのですが、数か月前の「casa」で、平林奈緒美さんがかっこよくライダースジャケットを着ているのを見て、「いつか挑戦したい!!」と思ったのです。
そして、昨日、ザラで、練習にはちょうどよさそうなライダーズを見つけたわけです。

昨日買わなかったのはなぜか。
実は私、訳あって、知人から「全国百貨店商品券」を頂いて、まだかなり手元に残っていました。
できれば、それを使いたかった。

で、「デパートで、ザラ入っているところ、ないかな」と。
プランタン銀座にユニクロが入っているこのご時世です。
あるだろ、どこかと思って調べてみると、大丸東京に…(もちろん直営ではありませんが)。
スペースが狭そうだったので、お目当てのライダースが置いているかなあと不安だったのですが…ありました。

で、購入。

大丸のザラの店員さん、直営のお店の店員さんと違って、試着するとちゃんと見てくれます(直営の方は客が多すぎてそれどころじゃないんでしょうか。それともそういうマニュアルになっている?あ。これは苦情ではありません。放っておいてもらったほうが試着が自由にできていいと思うときもあるので。)
実は最初、Sを試着したのですが、若干大きいかなと思ってXSをお願いしたところ、サイズ感をきちんと見てくださって、XSをお勧めしてくれました。

ザラのジャケットは初挑戦です。

何度か試着したことはあったのですが、ザラのジャケットは、従来、肩に結構高めのパッドが入っているものが多く、肩のない私が着るとサイズを合わせても借り物みたいになりやすかったのです。

でも、今日のはライダースなので、さすがにそういうことはなし。
腰回りのシルエットもきれいだし、ブルーの発色もよいし、フィット感はあるけれど窮屈さはありません。
中にTシャツ1枚、下には、カジュアルなパンツではなく、質の良い若干かっちりしたパンツをはきたい気分です。あるいはガーリーなワンピースの上にさらっと羽織るとか。

2週間くらい前には、やはりザラでちょい派手のストールを買ったのですが、薄手で軽くて、黒いジャケットの首回りに巻くと華やかさが出て、重宝しています。

日本は今や、ファストファッション激戦の時代で、なんですか、H&M傘下の2つのブランドも大阪を皮切りに日本展開することになったそうで。
そういうファストファッション系の中で、ザラは価格がわりにお高いほうですが、それでもお客が離れないのは、値段以上に見える高級感を保ち、着心地にもこだわってきたからなんだと思います。

全身ファストファッションというコーディネートは私は好きではないけれど、大人の使用に耐えるアイテムを展開し続けるザラには、今後も末永く頑張ってほしいなと思います。

そのうち思い切って、ド派手な花柄プリントのシャツに挑戦したい…