昨日から雨降りの東京。
というか、日本全国雨だらけで、特に西日本の方は大雨で大変な思いをされているかと思います。
どうか何事もないことをお祈りしています。
で、私はというと、一昨日あたりから、若干のメンタル不調が始まり、本日も継続中、。
不調のときによくある「スッキリしない悶々とした感じ」が継続しています。
不調なときは、とにかく朝がだめで、起きたくない。
起きても動きたくない。
昨日も、寝坊した本日も、起きたくない。動きたくない。
そんな数日間を送っています。
本日なんぞ、9時45分ころに一度起きて、ダラダラしながら11時過ぎにブランチをしたあと、12時半ころから2時過ぎまで爆睡してしまいました・・・
私の場合、もはや不調って周期的にやってくるんじゃないかという感じで、確たる要因もよくわからない感じです。
今回に関しては、気象も関係しているかなと感じています。
低気圧になると、頭痛がしたり動悸がしたりする質ですので、こう雨続きの毎日が続くと、不調を感じやすいかも。
さて、そんななか?私、決めました。
社労士試験の受験を断念しました。
決断したのは最終的には昨日のことです。
今週に入ったあたりから、受験するかどうか非常に迷っていました。
*この点に関しては前回記事をどうぞ*
https://comcomcom0620.blogspot.com/2021/08/fuanteinanatsuyasumi.html
自分の中では、受ける気は失せていたのですが、テーブルの上に積んであるテキストの山を見ると、「一応ある程度の金をかけたんだよなあ・・・こんなことでいいのか」と、またもや完璧主義が顔をのぞかせ、「受験を断念する自分=人としてダメ」みたいな自分を叱咤する気持ちが沸き上がったりしてきたのであります。
母親に電話で話したところ、母親も「いやもうあんた、そこまで嫌なら受けないほうがいいんじゃないの」と当然のことのように言うわけですが、最後の最後「やーめた!!」という決断ができずにいました。
が、昨日のこと。
昨日は、午前の仕事を終えたあと、丸の内のオアゾに行ってから(結局、レオパードゲッコーの飼育書しか買わなかった)、午後3時過ぎに自宅に帰ってきました。
ゴミの整理をしようと思っていたところ、ふっと、テーブルの上のテキストの山に目が行きました。
そうだ、捨てちゃえばいいんだ。
目に触れるものがあるからプレッシャーがかかるわけです。
自分にプレッシャーをかけるものを目の前から消してしまえばよいのだ。
仮に来年また受けようと思ったとしても、社労士試験は、規則や通達の改正が毎年のようにある分野なので、前の年のテキストの使い回しはできないし・・・
というわけで、テキスト類をエイッとまとめて袋の中に入れて、他のゴミと一緒にマンションのゴミ置き場に持っていってしまいました。
受験票も、いずれ捨てるであろう郵便物の入れ物の中にポイ。簡単には見つからない状態にしてしまいました。
スッキリしました・・・
ただ、スッキリしたところで、調子の悪さが改善できたかというとそういうわけでもないのですが・・・
自分の中で、「社労士がダメなら、それに変わるものをなにか」と考えてしまっているのですよね・・・
自分、なにか形になるものがほしいのだと思います。
これをやっている、これがわかる、ということをなにか形にして残したいという欲求があるのでしょう。
ただ、なにか思い立ったとしても、その情熱が長続きしない。
おそらくそれは、そこまでの時間や手間ひまをかけてまで欲しいと思えるものではないからだと思うのです。
よくまあ、司法試験10年も受けたもんだな、自分、と、自分で昔の自分に今更ながら感心してしまっているのですが、おそらく、昔の自分が司法試験を10年も受け続けられたのは、それだけ「この資格を手に入れたい」という欲求が強かったということと、その勉強が嫌ではなかったということが大きかったのではないかと思うのです。
つまるところ、そこまで、あるいはそれにある程度近いところまで執着できるものに、自分は司法試験合格以来出会えていないのです。
そして、私の場合、「かつての司法試験に近いところまで執着できるものでないと、勉強して合格しようという気になれない」という性質を持っているのだな、ということをここに認めざるを得ないということなのでしょう。
過去にも、受験を決めたはいいが、結果的に勉強する気がすぐにグダグダになり、中途半端な結果に終わったものがいくつかありますので・・・
ふと、心理検査の結果を思い出すのであります。
興味がないものに関しては、注意が散漫になるという。
*心理検査・知能検査の結果に関しては、こちらからご覧ください*
https://comcomcom0620.blogspot.com/2021/07/kensanokekka.html
つまりこれって、自分の興味がないことに関しては、本当にどうでもいいし、力が入らないということなんでしょうね・・・
なので、もう自分はそうなのだと諦めて、自分を満たす別な方法を考えればいいのだと思うのですが、なかなかそういうわけにもいかず。
なにかが足りない。
なにかをしたい。
そんな「満たされない感」が常に自分の中をさまよっているのであります。
そういう気持ちって、今の自分の生活、仕事のあり方に対するそこはかとない不満から来ているような気もするのですよね。
しかしそれって、資格を取れば満たされるのか、というとそういうわけでもないんだと思うのですが。
満たされたい。
充実したなにかを手に入れたい。
私って欲深いんでしょうかね。
これもまた、完璧主義、要求水準の高さから来てるのかも、なんて思います。
この満たされない感が消えるには、検討もつかない「なにか」を手に入れることではなくて、「今あること」で十分なのだと自分が心の底から理解することが必要なのかも。
それが、臨床心理士さんが言っていた「らしさ」に対する気付きなのかもしれませんね。
とにかく今は、ワタワタしない、完璧なんてない、を自分の中の合言葉にしていこうと思います。
焦るな、自分。
慌てずに、のんびりダラダラしたいなら、好きなだけのんびりダラダラしようかと、そう思うのでした。
ああ、ちょっとスッキリしたかも。
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