2014年1月13日月曜日

悩ましい、仕事と出産の関係。

寒い!!
寒かね~、東京!!
気温は札幌の方が低いのですが、東京(名古屋もそうだったけど)の雪がなくて乾燥した風がビュンビュン吹く冬は、何年経っても慣れません。

さて。
実は、今週から結構大きな事件の裁判が始まるハヤシです。
この事件、一人で担当しているわけではなく、もうひとりとある男性弁護士と組んでやっています。

同期の弁護士で、年は私よりも4つほど若い。昨年めでたく四十路男子となりました。
便宜上ここではAさんと呼ぶことにしましょう。

弁護士になって割と間もない頃に同業者と結婚して、現在も幸せな家庭生活を送っているはず・・・です。

先週、夜遅くに裁判の打ち合わせを我が事務所で行ったあと、世間話をしていました。

なんとなく「ハヤシが未婚であること」に話が及びました。

ハヤシは、
「そういえば、私、周りから結婚のプレッシャーをかけられることがあまりなかったのよねえ」
なんて発言の後(これ、ほんとです)、フッと高校時代の友達のことを思いだして、その人の話をしました。

優秀だった友人が、非常に社会的地位の高い仕事に就いたのに、たいしたキャリアも積み重ねないうちに、結婚して妊娠して、キャリアが数年間中断してしまったこと。

私は、心密かに、もったいないなあと思っていたこと。

子供を二人もうけたその友人が、しばらくの間は、勝ち誇ったような態度を私に見せ、早く結婚するように私に促していたこと。

しかし、少し前に再会したとき、未婚の私に対して「うらやましい」という発言をしたこと。

人生ってわからないよねえ、と言おうとしたとき、Aさんは、こう言いました。
「うちの妻は、たぶん林さんのこと、すごくうらやましいと思ってますよ。」

聞けば、二人の間のお子さんが生まれたのは、つい2年ほど前。
お子さんに、まだまだ手が掛かるので、奥さんは仕事には復帰しているものの、本格的な業務はできない。
たぶん今後もがっつりどっぷり弁護士ライフを送ることはないんじゃないのかな、と言うのです。

彼が、ハヤシが今こんなことしている、こんなこと言っていた、などと話すと、「いいなあ」という顔をするんだとか。

ちょっと、びっくりしました。

まあ、かつて結婚したいと思ったことはあるものの(とはいえ、元々願望としては希薄でしたが)、現時点ではさしてそんな気持ちもなく、仕事にあくせくしながら、それなりにやりたいように生きている人生ではあります。

しかし、44歳独身というのは、それなりに覚悟が必要なものであることもまた事実であり、「老後も一人」であることを前提として、これからの人生をどう生きるかとか、孤独死することを前提に死んだ後の後始末のことも考えなくちゃいけないかとか、いろいろ思うところが多いものなのです。

こういう考え方は古いのかもしれませんが、やっぱり、人間とて動物の一種なのですから、女子としては、非常に広い意味で「優秀な」男子とペアになれた人が勝ち組で、44歳独身女なんぞは世間的には「負け組」だろう、そう思っていました。

高校時代の友人が私のことをうらやましがった理由は、単に勝ち気な彼女が、自分よりも成績が良くなかったこのハヤシが、ぶきっちょに一人を貫いて受験をあきらめなかった結果「弁護士」なんぞという社会的地位が高そな肩書きを身につけちまったことにあるんではないか、そう思っていたのですが・・・

高学歴で社会的な地位の高い職業に就いている女子の心情というのは、結構複雑なものなのかもしれないなあ、なんて感慨深くなってしまいました。

子供の頃からいっぱい勉強していい大学に入って、その後も予備校に通ったりしながら難しい試験に合格してせっかくつかんだ地位なんだから、そこで認められたい、バリバリに仕事したい。
でも、やっぱり女なんだから、ある程度の年齢までには結婚して子供も欲しい。

この気持ちを両立するのは、弁護士の場合、子供を生むタイミングに結構かかってくるように思います。

つまり、弁護士として5~6年の経験を積んで、一通りの仕事ができるようになった時点で出産するのがベストかな、と。
で、子供を生んだら、たぶん1年以内には復帰した方がいい。
そうじゃないと勘を取り戻すのに、時間がかかりそう・・・

私の周りでも、子育てと仕事を見事に両立しているすごい女性弁護士が何人かいますが、周りの環境にすごく恵まれていたり、いいタイミングで子供を生んでいたり、という人が多いような気がします。

それと、あと女性のパーソナリティにもよるような気がします。

特に、東京とかで小学生の頃から激しい競争人生を送ってきた女性なんかは、競争の輪のなかから外れることを異様に恐れている感があるし、そこから落ちちゃうと、とたんにやる気を失っちゃう人が多いような気がします。

そういうことをあまり気にしない人とか、自分のペースで人生を送る意識が高い人であれば、多少のブランクが生じても、スッと戻ってきて、いい仕事をどんどんするようになるんじゃないのかな、と。

弁護士の業界というのは、実は、子持ちの女性が働きやすい世界ではなく、そういう面では、まだまだ整備しなくちゃいけない制度とかもあることは事実。

ただ、こういうこと書くと身も蓋もないかもしれないけど、現実に子供をお腹で育てて、それを分離するという立場にあるのは女性なのであって、そういう負担を生来から持っているということは、どんなに制度が整備されても、子を生む女性が背負うハンデそのものがなくなることはないんでしょう。

要は、自分が子を生み育てることに対して、背負ってしまったハンデ以上の価値を見いだせるかどうか、ということなのかもしれません。

私は、もう(たぶん)子供は生めないでしょう。

Aさんにも話したのですが、子を生まないでここまで来てしまった人生について後悔はしていませんが、どこかの時点で、もっと意識的に「子を生むかどうか」というチョイスをしておくべきだったな、とは思っています。

だって、自分の体から、別の心臓を持った存在を分離させた上、その子を机の上にちょんとのってしまうくらいの大きさから、夜な夜なこんなブログを書くまでの人間に成長させたなんていう、我が母の営みは、超偉大なスケールの貴重なものであることは、明らかですから。

そして、そんなことについ最近まで気づけなかった自分を、ほんのちょっと「アホか」なんて思ったりもするのです。

私は私で、人より10年も15年も遅れた人生を歩んできて、遅れた分いろんなものを切り捨ててきたわけですけど、何も切り捨てずに生きられる人なんて、たぶん世の中に一人もいないわけで。

人が後悔しない人生を送るには、チョイスが必要なときに無意識にやり過ごさないことが必要ってことなんでしょうか。

でも、それって不可能だよなあ。




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