たった今目の前でイートンが陸上男子10種競技で世界新記録を樹立しました。
いやしかし…この競技、最後までやり切るだけで十分凄すぎる…
競歩とか十種とか、今までこと日本で脚光を浴びなかった種目が今回生で競技を見せてもらえて、なかなかに大満足な、元陸上選手(注:泣かず飛ばず)のハヤシだったりします。
さて、ハヤシは8月12日に熱中症で倒れて、その後入院し、退院後も26日までほぼ休業中だったわけですが…この間、改めて、自分が本来とても内向的で引きこもりな人間であることを実感したのでありました。
倒れる直前ですが、ちょいと仕事で心理的に追い詰められて精神的にかなりきっつい状況になっておりました。
そのせいもあったし、もう具合悪くてどうしようもなくて、いやもういろんなことから離れたいぜ、と思いました。
んで、とりあえず休んでいる間は、仕事のことは極力忘れようと思って、スマホから本名でやってるFBのアプリと仕事用メールのアプリを削除しました。
退院後も、そして今も削除しっぱなしの状況です。
もちろん、アプリ削除したってアカウントは残っているわけですから、普通にネットつなげば見ることはできる。
しかし、アプリを削除することによってサイトにコンタクトをとる手間が上がるので、そうそうつなぐ気にもなれないわけです。
元気になるにしたがって仕事メールのチェック頻度は自然と上がりましたが、FBは、現在も基本シャットアウト状態です。
シャットアウトして、本当に良かったと思うし、非常に心地いいです。
FBで繋がっているのは、ほとんどが同業者とその関連の方。
仕事がらみの情報が流れてくることが多いのですが、最近は政治的なネタが多くなってきました。
で、ハヤシも見たらいろいろ言いたくなる方なんで、ついつい発信してしまう。
他人の書き込み見て、そりゃあ違うだろうと一言言いたくなってしまう。
思わぬ論戦になり応戦しなければならなくなる。
FBはツイッターみたいなストーカーまがいのフォロワーもいないし、口汚くののしる人もいない。
でも、こうなんというか、知らない間にそこで繰り広げられている世界に飲み込まれそうになって、自分、ひどく疲れていたのかもしれないなあと離れてみて痛感しました。
繋がっている人がどんな人か、どういう繋がり方をしているかによるんでしょうが、自分の発言が見られている、おもろいこと書かな、共感されること書かなという意味のないプレッシャーが強かったようで。
色々都合もあるもんで、今すぐに削除することは難しいとは思うのですが、自分の中で「あ、必要ない」と思った時には、アカウント削除することになるのではないかなあ。
退院後も基本引きこもって、他人とは必要最小限度でしか関わりませんでした。
こういう生活も案外平気だ、とつくづく思いました。
別に人が恋しいとも、思わなかったし(ほんと疲れてたのね…)。
引きこもり生活の最中、Wi-Fi端末のことでドコモショップなんかにちょろっと出かけたことがあったのですが、そのときに店員さんとやり取りするのに、若干緊張したりして。
よく引きこもり生活が長ければ長くなるほど、外に出るのに勇気が必要だという話は聞きますが、なんだかわかる気がしました。
仕事となればたいていの人とは話せますし、もちろん初対面の人だからといって躊躇することもない。愛想はかなりいい方だと思う。
でもそれは、「仕事用のハヤシ」だからであって、「仕事から離れたハヤシ」は、人の洪水?にはとことん弱い人間なのです。
ギャップが大きい仕事をしている分、自分の本来の姿というものを忘れずに、時に引きこもる時間を作り、心も体も芯から休ませないとあかんようです。
さて、ハヤシ、子どものころから、例えば通行中に、それほどフレンドリーでもない中途半端な知り合いがいると、回り道をしたり、用事もない店に入ったりなどして、その人とかち合わない努力をするような人間です(現在形。つまり、今でもそうなのだ)。
その話を、昨日電話でおかんにしたところ、おかんも現在進行形でそうらしい。
ヨワイ71でっせ。
最近も近所のスーパーで、回り道したのに後ろから見つけられて不本意ながら話しかけられてしまった、などと言っていました。
そうか。
これは、DNAなんだ。
しかし、いやだねえ。
似たくないところばっかり、おかんに似ているよ。
せっかちなところとか、癇癪もちなところとか。
まあ、それはそうと、ググタスは、緩い感じでマイペースで付き合えて、好きかな。
もしかすると、FBもそういう付き合いができるのかもしれないけどね。
いや、本名じゃダメか。
案外匿名OKって、大事かもしれませんな。
あっしのような引きこもりの偏屈には。
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