2014年11月2日日曜日

ちょっとむかついたこと。

世は三連休ですが、1日も休めないハヤシです。
まあ、1日土曜日(自分の感覚的には、未だ今日)は、午後からデロンギのヒーター受け取りに出たついでに、事務所の掃除をしたり、雑用をしたりしたくらいで、楽だったのですが、明日は多摩地域から都心に移動しての仕事、明後日は朝から夕方まで多摩地域、という、結構きっちりちゃんと仕事、だったりします。

体の方は、相変わらず風邪の後遺症的な咳喘息の発作が夜・夜中・朝と続くので、結構きっつい薬飲んで抑えているところ…金曜日にもらってきた薬の量見たら、尋常じゃないことになっていて、私、大丈夫か、と思いました。ま、大丈夫なんですけどね。
1日中ねむーい感じです。

さて、タイトルにもあるとおり、ちょっとむかついたことがありました。
しょーもないことなんですが、多少仲良くさせてもらっている男性(私とは全く異なる業界におられる方で、同い年のお方ですが)から、
「すごいね。やっぱり弁護士さんて。」
などと言われたのです。

え?なんで?と思う人もいるかもしれませんが…
まあ、事案の概要を簡単に説明しましょう(開き直って弁護士チック)。

この方とは、とあるSNSでつながっています(ハヤシは本名でやっている)。
SNSでのこの方の発言というか他の方とのやり取りが、ちょっと他の人が見たらヒンシュク買いそうな感じだなと思ったので、それを教えた(この点については素直に聞いてくれた)。
そして、この男性、リアルじゃない友達をそのSNSのルールとはかなり離れて、たくさん繋げている人だったので、「そうであれば後ろに誰が居るかわからないから、書く内容には気をつけたほうがいいんじゃないか」という話をメッセージ機能を使って、したわけです。
そうしたところ、「気の利いたコメントは自分はできない」みたいなレスがあって、若干のやり取りの後、上記のような発言が出てきたと。

ちなみに、ハヤシは、そのSNSでは基本リアル友しか友人にしておらず、面識がない方で友人にしているのは、知り合いの知り合いで、プロフィールなどを読んでとりあえず問題ないだろうと思う方に限定しています。
知り合いの知り合いからの申請でも、プロフィールが曖昧な書き方しかしていない人はブロックしますし、まして全くなんのつながりもない人からの申請は、完璧シャットアウト。

リアル友じゃない人とのコメントのやりとりには、相当気をつけます。
まあ、職業的に自然とそうなっているのは、確かに否めないのですが、今の時代、どういう情報がどういうタイミングで、どうねじ曲がって伝わっていくかわからない。
基本、ハヤシ、他人のことあんまり信用してませんし。
こう考えると、SNSを利用しないという選択肢も、もちろんある。
しかし、自分、新聞とっていないし、世間の情報にも疎いし、結構そのSNSで流れてくる情報が自分にとっては重要な場合もあったりして、使っている。

私なんて、まだまだ使い方緩いほうだと思います。友人の中には、写真のタグ付け禁止をSNSの友人全てにお願いしている人もいますし。自分が飼っている犬のこと以外の書き込みしないなんて人もいますし。

いや、しかしね、SNSに対する考え方なんて人それぞれ違うし、別に私は(その人の職業のことも考えて)「ま、ちぃと気をつけたほうがいいんじゃないの」と言ったまでで、最後判断するのはその人自身。ガキじゃねえんだから、その人がどういう答を出そうが、どっちだっていい。

が、言われてムカついたのかなんか知らんけど、「すごいね。やっぱり弁護士さんて」とこのタイミングで、いやみったらしく言われて、なんというか、もやもやっと、エも言われぬ不快感を抱いたわけで。

後でよくよく考えてみたところ、このエも言われぬ不快感のポイントは、彼が「弁護士」と言わずに「弁護士『さん』」と言ったところにあるということがわかりました。
わざわざ「さん」をつけたところに、なんというか、揶揄されたというか見下げた「小バカにした感」がにじみ出ているように感じられたわけです(実際、どうだったんだかわかりませんが)。

前にも書いたかもしれませんが、ハヤシは、これでも忸怩たる気持ちを抱えて、働きながら、10年間受験生活を続けてきたわけで、そういう生活の果てに受かったということに、それなりの価値を見出しているし、そうやって掴んだ「弁護士」という仕事を大切にしたいという気持ちもそれなりにある。
なにより、自分の仕事に誇りを持っています。
そういう様々な土台の上にある自分の仕事を、非常につまんない文脈で、「弁護士さん」などと軽く小バカにした調子で言ってんじゃねえよ、というのが、不快感の核心のようです。

ふと、新人の頃、とある刑事事件で担当した初老の男性のことを思い出しました。
この方、元々ベテランのタクシードライバーでした。
「運転手さんて呼ばれるのは、いやなんだよ。」
どんな話からそうなったかは全く覚えていないのですが、アクリル板越しに、この男性がしみじみ私にそう言ったことは妙に記憶に残っています。

なんとなく共感したのです。
プロの「タクシードライバー」としてやっているという意識が強ければ、「運転手さん」という呼び名は、自分の仕事を軽々しく考えられているように感じられるんじゃないかと。なんとなく。

で、そう考えると、キャビンアテンダントの中には「スッチー」と呼ばれることに怒りを感じている人もいるだろう、看護師として一生懸命やっていれば「ナース(注:カタカナ的な意味において)」とか「看護婦さん」とか呼ばれることが嫌な人だっているだろう…

もちろん、呼んでいる方にそんな意識はなくて、親しみを込めたり、敬意を評したりして「運転手さん」とか「看護婦さん」とか呼んでいる場合がほとんどだなのです。自分も含めて…それ以外の呼びようというのがわからない場合もあるし。
で、呼ばれているプロの人たちに不快感を与えないためには、その仕事をする裏でその人が重ねてきた苦労とか努力とか、誇りとかそういうことに思いを馳せることを忘れちゃあかんのだろうな、と改めて思うわけで。

ところで、私が「弁護士さん」と呼ばれた件ですが、もし私が男性だったら、やはりこんな呼び方はあの文脈でされなかったのだろうなと感じています。
いや、そもそも、「すごいよね」のくだり自体がなかったでしょう。

そうすると、この「弁護士さん」発言は「女にこんなこと言われた」という悔しさもにじみ出た発言ということになるわけで、そういう意味でも、心中複雑、だったりします。

今まで女の自分が弁護士であることになんの違和感も持っていませんでしたが、実際「こういう目」があるということを、突きつけられたことになるわけですから。



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