天気の良い日曜日の昼下がりです。
雪が降らない東京の冬は、天気が良いことだけが取り柄だと思っています。
乾燥した風が吹いて、気温以上に寒い感じがして、これで雨でも降ろうものなら、気持ちが荒んでしまいます。
早く年末に帰省して雪のあるまともな冬を味わいたいと思っています。
さて、最近の私は、落ち着いているような、不安定なような、自分でもちょっとわからない感覚で過ごしています。
札幌に帰ったあと、自分のペースで仕事をしながら、保護猫などと一緒に暮らすという理想の生活を送るのであれば、もう、自営でやるしかないかな、という覚悟ができつつあります。
実はまたも、札幌に支店がある法律事務所の転職話が出て、一応今週、その事務所の代表に会いに行くわけなのですが、はっきり言ってほとんど期待していません。
自分が今の事務所で不満なくやれているのは、ひとりひとりの「スタイル」というものを尊重してくれているから。
私の事務所には、ひとり、Twitterでフォロワーを集めることに腐心している男性弁護士がいるのですが、その人は、パンチパーマのボクシング&精神不安定キャラ。
そういう人でも「Twitterやめろ」などとはいわず、生温かく見守る、そういうところです。
自分の性格でも、そういうところだからやれている。そう思うのです。
遠い昔、私が新人弁護士だったときに1年間いた事務所もそう。
自由で、言いたいことを言わせてもらえて、むしろ「休めるときには休め」と言ってくれる事務所でした。
だから私はやってこれた。
これから、どこか別な事務所に行こうと思っても、自分のスタイルを貫くということは難しいだろうと思っています。
今は、大規模化した事務所が会社員みたいに従順な弁護士を飼っていく時代。
私みたいにこだわりが強いタイプを雇って自由にやらせてくれるような事務所はそうそうない。
そう思っています。
札幌に帰る=自分でやる
そういうことなんだろうな、私の運命は、と思っています。
が、ここで不安が生じるわけです。
お客を呼ぶためには事務所のロケーションはどうすべきか?
どういう物件にすべきか?
東京はある意味、どんなスタイルの事務所も今やOKで、レンタルオフィスを使うのも、SOHO可のマンション借りてやるのも全然あり。私も後者のスタイルでやっていました。
事務員を雇わないで対応するケースも少なくありません。
が、札幌という場所で、そういうやり方が通用するのか、というのもとても気になっているところです。
専門色を打ち出したほうがいいのか。
何でもやります、という路線で行ったほうがいいのか。
そういうことも不安です。
札幌に帰るのはまだもう少し先になりそうなのに、「帰ったらこういう形態でやるしかないんだろうな」と腹をくくり始めた途端、私の中に出てくるのは「ちゃんと調べて対応しよう」ではなく、「今の私で通用するのだろうか」という不安なのです。
何という気の弱さ。
そして先走り・・・
こだわりが強く、自分のスタイルでしかものができない性格ゆえ、こういうところでつっかかり、悩むのです。
そして自分で抱え込む。
心配ならリサーチすればいい。
とはいえ、まだ帰る時期もはっきり決まっていないのに、今からリサーチするのは早すぎるかなと思ってもいます。
今ふっと思ったけどリサーチする当てもあるな・・・という気がしているのですが。
前に自営の事務所を開業したときは、こんな不安ありませんでした。
今の不安は、一度自分の中で「失敗」していることに対する再挑戦だからというのと、全く別の土地(出身地とはいえ未知)で開業しようとしていることに対するものだと思っています。
でも、もう私決めたんだ。
札幌に帰ったら、自分のペースで暮らすんだ。
自分のやりたいようにやるのだ。
それが少しでもうまく行くように、ちょっとずつ情報仕入れていくんだ。
同じ轍は二度と踏まないようにしたいと思っています。
たぶん、読んでいて「そんなに札幌に帰りたいなら今すぐ帰ればいいのに。実家だってあるんだから」と思う人もいるかもしれません。
私が、今は帰れないと思っている理由は2つ。
1つは飼ハムのマサムネです。
彼にとっては、今の家が縄張りであり居場所です。高齢でもあります。
そこを今奪うことはできないと思っているのです。
引っ越しは彼の死を意味するかもしれません。
もうひとつは、仲良しの近所の猫です。
この子も高齢でそろそろ18歳です。
いつも私が訪ねていくのを待っていてくれます。
心が通っている思いがします。
その彼を置いて、二度と会えない場所に行く気になれないのです。
彼の最後を見届けるまではここにいよう。そう思っています。
他人から見れば馬鹿馬鹿しい理由なのかもしれません。
ですが、来たるべき時が来るまで、私はこちらで給料をもらって貯金して、札幌で始まる新しい生活に備えたい。万全の準備をして、と思っています。
不安になってばかりはいられないのです。
それはわかっているのだけれど、やはりちょっと怖い。
厄介な五十路の女です。
0 件のコメント:
コメントを投稿