2014年4月30日水曜日

80年代プレイバック。

どうも。

サントリー美術館に行ってきたハヤシです。
美術館に行ったのはかなり久しぶりでした。
今回は、西洋の技法が入ってきた後にこれを取り入れた江戸時代の絵画等々を展示したものでしたが、浮世絵っていうものが、かなり実験的でアグレッシブな絵画であることを体感しました。
歌川広重、クールだ!!

たまに美術館に行くのも、いいものです。これと決めずにふらっと入るって、結構楽しいのかも。

さて、音楽を聴くのが子供のころから大好きだったハヤシですが、ここ4,5年は、リアルタイムで流行っている歌というものになかなかついていけず、過去に集めたCDを中心に聴く・・・というオフタイムが続いておりました。

が、それとて、自分の高校時代などのバリバリの80年代にさかのぼることは極めてまれで、エレカシとか、くるりとか、せいぜい1990年代後半から2010年手前くらいまでの曲を聞く程度に収まっていたわけです。

が、「あまちゃん」のせいで訪れた80年代アイドルポップスリバイバルブーム。
私も「春子の部屋 ビクター編」を購入し、薬師丸ひろ子や原田知世などなど80年代アイドル歌謡にある時期どっぷりつかっておりました。

明らかにこれがきっかけでした。

80年代といえば、私は中学生から高校生。この6年間がもっともラジオや音楽にどっぷりつかっていた私でした。
ドメスティックだった私は、洋楽にはあまり興味を示さず、しかし、国内音楽に関しては、節操がなく、アイドルポップスから、Jポップという言葉が生まれる前の日本のロック&ポップスを、かなり幅広く聞いておりました。

好きだったミュージシャンは、オフコース(活動休止、5人から4人に再編成、解散という時期でした)、デビュー間もない安全地帯、渡辺美里、名盤「Self Controle」のころのTMネットワーク(もちろん、小室哲哉も小室ファミリーなんてわけわからんファミリーに囲まれるはるか前のことです)、佐野元春、大江千里。
大学受験のころには、ブレイクする前のPSY・Sやヤプーズなんかも聞いておりました。

アイドルでは、斉藤由貴や小泉今日子を主に聴いておりました。

最近、大瀧詠一の「A Long Vacation」を購入しました。
10代のころは実はあまり聞いていなかったのですが、印象に残る曲もいくつかありましたし、何しろお亡くなりになったことはかなりの衝撃だったので、故人を偲んでみたかったのです。

なんというか、2000年以降のJポップには全く感じられない「都会的とはこういうことさ」というエッセンスが詰まった歌詞やサウンドに、かなりな衝撃を受けました。

やはり、80年代(大瀧さんの場合、もっと前からになりますが)っていうのは、70年代後半の「ニューミュージック」ブームの中で磨かれた良質なロック&ポップスが、多数生まれた時代だったんじゃないかと改めて思い至ったわけです。

で、大瀧さんによって、もう完全に気持ちのノリは80年代、懐古的になってしまいました。

土曜日のこと。
タワーレコードのポイントが、ちょうど失効直前の時期だったので、何かCDを買おうと店内をうろついておりました。
ふと、大江千里の「AVEC」というCDが目に留まりました。

おおおっ。懐かしい!!

これ、若い時分にカセットで買って、実家にあります・・・そう、当時CDプレイヤーを持っていなかったので、カセットを買っちゃったのでした。

大江千里といえば「格好悪い振られ方」でブレイクという印象が強いミュージシャンですが、実は、そのはるか前から、「松任谷由実の男版」と一部で言われており、稀代のメロディメーカーとしての実力が認められていたのです(かなり声質に特徴はありますが、それは置いておくとして)。

個人的には、千里くん(若いころ、私は心の中で彼をこう呼んでいた)のアルバムの中では、この「AVEC」と名曲「GLORY DAYS」が収められた「1,2,3,4」が、二大最高傑作です。
タワレコで、私は迷わず、カセットしか持っていない「AVEC」を購入したのでありました。

若いころに心髄していた曲を久しぶりに聴いたりすると、その曲自体が色褪せて聞こえてしまうことや、あまりに若さ爆発な歌詞に聞いている方が気恥ずかしくなるということもあるものです。

いやしかし。

「AVEC」には、そういう「ちょっとイタイ」感じは全くありませんでした。
1曲目が、シングルカットもされた「きみと生きたい」という曲で、周囲の人たちとの人間関係に悩むことが多かった10代の私の心に、当時響く歌でした。
そういう意味もあって、聞く前には「こっぱずかしい感」が発生しないかなあと心配していたのですが、曲の構成がわかりやすく、メロディーがシンプルかつ力強く、しかも優しい言葉でつづられる歌詞がなんとも奥深く、今聞いても、本当に本当にいい歌だと実感できたのでありました。

このゴールデンウィーク、後半には帰省しますが、自宅にある「1,2,3,4」は必ずや連れて東京に戻ります。

千里君でさらにスイッチが入った私は、数年前にすでに購入していたPSY・Sの初期の名盤「ミントエレクトリック」に手を出しました(買ったはいいが、あまり聴いてはいなかった)。

PSY・Sも、真のブレイクは、90年代に入るころだったと記憶していますが、ブレイク後は、スピッツなんかもそうなってしまったように、大衆受けから逃げられない、非常につまらない音楽しか生み出せなくなってしまいました。

PSY・Sが一番面白かったのは、メジャー直後のころで、私は、その中でもブレイクちょっと前に出したシングル曲「電気とミント」「レモンの勇気」が大好きで、さらにこの2曲が収められた「ミントエレクトリック」のクオリティが非常に高いと思っていたのでありました(だからこそ、「名盤」的な立ち位置で、安価で再発売されているわけですが)。

いや~。
これもよかったです。

やっぱり、シングル曲が何と言っても秀逸なのですが、この「ミントエレクトリック」のすごいところは、すべての曲が「ミントエレクトリック」という抽象的なイメージにすべてポンと収まってしまうのと同時に、どの曲もシングルカットできるくらいのインパクトがあるということです。

しばらくの間、千里くん、PSY・S、時々くるり、みたいな感じで、ハヤシの音楽魂は満たされそうな気がします。

思うに、80年代の曲というのは、結果として、個々のミュージシャンやジャンルについて聴く層が限定されていたにしても、メジャーで売られている曲については、①メロディーが口ずさみやすく、②歌詞がメロディーに自然に乗っているという特徴があったように思います。
聞いてみれば、メジャーな曲はある程度どんな人もついていける、そんなものでした。

90年代の小室ファミリー席巻以降、まず、メロディーに乗りの悪い歌詞が無理やり乗せられるという事態が発生し、勢いで音楽が聴ける若年世代以外がJポップから置き去りにされるようになりました。

そして2000年以降は、歌詞とメロディーの一体感のなさの他、構成や展開がわかりにくい曲が、ヒップホップ等様々なジャンルがJポップに取り込まれることによって登場するようになりました。

これでさらに日本の主流の音楽に乗れない層がうじゃうじゃ発生してしまったわけです。

今回、千里くんなどに再度はまってしまって、現在の「80年代マンセー」の世の状態は、ある意味必然なのかもと思ってしまいました。

だって、少子高齢化で若年層はどんどん減っている。
そして、我々四十路中盤世代は、バブル期の申し子でもあるので就職にも恵まれ、今でもそこそこの購買力を持っています。
さらに、その子どたちも10代後半から20代前半くらい、つまり、自分の好みでCDを買う世代になっている。音楽をやり始める世代になっている。
親が口ずさんでいる音楽の影響というのは、かなり強烈なので、知らないうちにインスパイアされているはず・・・

まあ、理由はどれだけ言っても後付けになるので、この際どうでもいいのですが、ハヤシとしては、80年代の楽曲が本当に力を持った素晴らしい音楽たちだったのだということを、広く世の中の人に知ってもらいたい、そう思わずにはいられないのです。

千里くん、ジャズの片手間でもいいので、もう一度、歌ってください。
「きみと生きたい」を。

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