金曜の昼下がりのハヤシです。
一時期の「忙しすぎてどうしてくれよー」という嵐の日々が過ぎて、とりあえず今週は、昨日あたりから、平常営業の「まったりのんびり」に戻りつつあります。
さて・・・
ちろっと、ぐぐたすの投稿には書いたのですが、昨日、中学の同級生が亡くなったという連絡が入りました。
30日に脳出血だったそうです。女子です。
西荻窪のほうでご主人と数年前からバーを営んでいたのですが、3月20日頃に具合が悪くなって救急車を呼んだところ、そのまま集中治療室行き。10日ほど患って息を引き取ったとのこと。
45歳になったばかりでした。
ハヤシは中学の頃、陰湿ないじめに遭っておりました。
いじめに遭っていた人間からすると、いじめに関わっていない人間も、助けてくれない、かまってくれない限りは、全ていっぱひとからげに敵に見えてしまうもので、ハヤシは、そのときのトラウマをずーとずーと今でも引きずっております。
最近でこそ本名でやってるフェイスブックで数名とつながって、昔ほどの嫌悪感はなくなってきたものの、つい最近までは、本当にゴクゴク限られた人たちとしかつながりがありませんでした。
そんななか、今回亡くなった彼女は、ワタシにとって「何となく忘れられない人間」だったのです。
他の友人と一緒に部活をさぼって、地元のFMの番組にやってきた初代いいとも青年隊を見に行ったことがありました。
でもだからといって、特に仲が良かったわけでもありません。
しかし、どこか個性派で、すっとぼけたところがあってマイペースだった彼女は、ワタシにとって、印象に残る人間でした。
こちらの大学に来て、そのまま劇団女優になり、その後今のご主人と出逢って結婚したという話を風の便りに聞いておりました。
8年ほど前に、一度東京で中学の同級生らとともに会ったことがありました。
昔よりもかなりふくよかになった彼女は、どこかどっしり落ち着いて世の中を冷静に眺めた大人の女の人になっていました。
なんかかっこよくなったなあ、と思いました。
会ってはいないけれど、つきあいが再開したのはつい半年前のことです。
フェイスブックに事務所開業の知らせを出したところ、お祝いのメッセージをくれました。そこから、フェイスブックやインスタグラムでのやりとりが始まりました。
彼女とのやりとりを見ていたご主人からも友達の申請が来て、うっすらと、でもお互いどんな状況なのか分かるような細々としたつきあいが続いていました。
一度彼女のバーに行こうと思っていたものの、体調を崩して時期を逃していました。
まだアルコールは飲めないけど復調してきたので、この忙しいのが一段落したら行こうか。
そう思っていた矢先に、彼女の店が休業するという知らせがフェイスブックに載りました。
体調でも悪いんだろうか、と思っていた矢先、訃報が届いたわけです。
正直、かなり堪えました。
今までも中高の同級生は何人か亡くなったりしています。
自殺なのか突然死なのか分からないのもいました。
ガンを患って亡くなった人もいました。
しかし、今回のように衝撃的で気持ちに堪えたのは、たぶん初めてです。
それは、亡くなった同級生の人たちはほとんど行き来がなかったり、生きてるときでも、(失礼な言い方ですが)どこか棺桶に片足突っ込んでいるような雰囲気を漂わせていて、亡くなったこと自体に意外性がそれほどなかったことが理由のように思えます。
彼女は、リアルタイムでやりとりをしていて、ワタシの身近でぴんぴん生きている人だった。
死ぬはずなんてない人だった。
だからこそ、とんでもなく衝撃的でやりきれない気持ちでいっぱいなのだと思います。
葬儀は身内の意向で内々ですませてしまったそうで、最後のお別れもできずじまいでした。
若い時分に、地元の文化教室で文章の書き方を習っていたことがありました。
そこで仲良くなった70代のおばさまがいました。
なぜか気に入ってもらって、時折一緒にお昼を食べたりしていました。
長いこと会っていなくて、連絡しようと電話したけど不在で、それきりにしてしまったことがありました。
その1ヶ月くらい後に訃報を聞いたことがありました。
あのときと今の気分はとても似ています。
ちゃんと会っておけば良かった。
そんな後悔が残ります。
最近、名古屋時代に一緒に事務所を切り盛りしていた元事務局のお父上が亡くなるという出来事がありました。
お会いしたことはなかったけれど、お話は時折聞いていて、亡くなったと聞いたときには、やはりとてもショックでした。
変な話ですが、例のISの事件。湯川さんが殺害されたという一報を聞いたときの衝撃もすごく大きかった。知人が亡くなったと知らされたときよりも数百倍の威力があった。
ちょっとこれは特殊事例だけど、人が亡くなったという知らせのインパクトは、単にその人と自分の「近さ」のみに寄るものではないんだなとしみじみ感じます。
ハヤシが大好きだった母方の祖母は98まで生きました。祖父も98まで生きました。
父方の祖父母も90前後まで生きていて、ハヤシ家は長命の家系といえるように思います。
そのせいか、自分もすっかり98まで生きるつもりでいるのですが、ホント、人の命なんて、わかったもんじゃない。
これからハヤシ、仕事で出かけますが、もしかするといきなり車にひかれてお陀仏なんてこともあるわけで。
たったひとつ救い(と思いたいだけだけど)なのは、彼女自身は倒れる直前以外は、おそらくなにも分からずただ寝たままの状態で亡くなったということ。
苦しい時間を長いこと過ごさなくて良かったということ。
でも、ご主人は最愛の妻を亡くしたわけですし、故郷には高齢のお母さんが一人残されたわけですし、やりきれないことこの上ないな、やっぱり。
ご冥福をお祈りします。
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