2012年12月26日水曜日

斉藤和義一考

20代の後半から40になる手前くらいまで、斉藤和義が好きでした。
どれくらい好きだったかというと、ライブの後出待ちしたこともあるくらい好きでした。

情けないくらい純情な男の恋心であるとか、さえない男の胸のうちであるとか、
ちょっと日常で疲れてしまった気持であるとか歌いつつ、
男らしいどエッチな気持ちも、どストレートに表現し、
あるいは、荒々しい気持ちの高ぶりもメロディーに乗せられる。

そんな表現の幅広さというか、どれもむりなくひょいっとやってしまって、で、普段はライブのアンコールでワインラッパ飲みしながら歌っちゃう気の抜けた感じが、とってもとっても好きでした。
ティアラよりちょいと年上のこの男性は、結構いい歳になっても、そんな正しいミュージシャンの姿のままでいたので、「この人は、一生このままでいてくれるのかもしれない」という淡い期待を抱いて、CDを買い続け、ほんの時折ライブでお姿を拝見しに行ったりしていたのでした。

そう。
ミュージシャンというのは、ある一定の時期を過ぎると、本当につまんない存在になり下がることが非常に多いのです。
たとえば、スピッツ。
スピッツがよかったのは、実は「ロビンソン」の手前までだと、私は思う。
ブルーハーツに触発されて結成されたスピッツは、わりにプログレな色彩の強いアルバムでデビューし、2作目のアルバム「名前を付けてやる」でシュールながらもファンタジーな味を感じさせ、しかも、歌詞の上っ面だけ聞くととてもフォークな気分さえしてくる、そんな不思議な存在感を放ったのでした。
3作目のアルバムでUKっぽい音を存分に表現し、4枚目で若干道に迷い、そして5作目の「空の飛び方」で、4枚目までの活動の集大成を行って「スパイダー」という不思議な世界観のラブソングをスマッシュヒットさせました。
おもしろかったのはここまで。「ロビンソン」を聞いたとき、なんだ、この普通にきれいなメロディーラインは。日常的な表現に徹したこの歌詞は。そう思ったものでした。
しかし、それだけに大衆の心をつかんで大ヒット。
その後の曲は、ロビンソンで出来上がったスピッツ像を壊さないようにプロデュースされたものばかりで、彼らの出自は全く見えなくなってしまったのです。

斉藤和義だけはこんなことにならないだろう、私はそう思ったのでしたが…
リゲインの歌が売れ始めたころから、同じような現象が起きてしまったわけです。
斉藤和義の場合、これでギター片手に男っぽく歌い上げる大人の歌手、みたいな像が出来上がってしまったわけです。
あとは、それをなぞるだけ。自分で自分をぱくる。
パクリはパクリでしかなく、過去の自分を超える、「なんかよくわかんないけどすごいな」という曲は作れないわけです。

「やさしくなりたい」なんて、「家政婦のミタ」の主題歌ということ以外に何かさしたる特徴があるか?
「歌うたいのバラッド」のように、どうしようもない愛しさをうたっているか?「歩いて帰ろう」のように、「月影」のように、街並みが目に浮かぶか?

私は、こんな斉藤和義史上最もつまんない歌で彼が紅白に出るのが、さびしいよ。
「ポストにマヨネーズ」でも突然歌ってくれたら、大喝采を送りますけどね。







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