5月11日日曜日。
本日はそう言えば母の日です。
実家とは相変わらず断絶状態で、母の日に何かメッセージを送るか迷っていました。
何もしないとこのあとぐちぐち悩みそうな気がするし、かといって、ここぞとばかりに母親から意味のわからないメッセージが飛んでくるのも嫌だったので、「体に気をつけてください。返事は返さないでください。」とメールしておきました。
今のところ返事は返ってきていません・・・まあ仮に返ってきても読まないで削除すると思います。
さて、先月からカウンセリングに通っていることは以前にもお話ししたとおりです。
https://comcomcom0620.blogspot.com/2025/04/Counselingniittekimashita.html
昨日2回目のカウンセリングに行っていました。
実はゴールデンウィーク後半戦あたりに、私は自分が「HSPでは?」と悩んでいました。
もう心療内科にかかり始めて久しく、周囲との感覚のズレを感じることもすごく多く、で、ふと「HSPなんじゃね?」と思ったのです。
で、チャットでかかりつけの心療内科の先生に相談して本を教えてもらってそれを読んで、その上で、カウンセラーの先生に「次回行ったときにHSPのことについて聞きたい」とあらかじめ伝えておきました。
で、昨日は開口一番「HSPについて考えているんですかね?」と言われたので、自分がなぜHSPだと思うのかということを伝えました。
もう長いこと自分の不調は変わらないこと。
しかし、仕事で出会ってきた「精神的な問題がある人たち」と自分は違うと感じること。
そもそも自分は病気なのか?気質上の問題なのでは?と感じること。
それで、HSPとかいうものになるのかなと思ったことを伝えました。
すると先生「自分が病気なのかという疑問をクライアントが持つのはとても珍しい」と言って、こういう話をし出しました。
そもそも精神科の病気と認定されているのは、統合失調症と双極性障害の2つである。これらは周りの環境が変わったところで治らないという点で病気とされている。
しかし、適応障害や不安神経症や混合性不安抑うつ障害などは全て「状態」であって、環境調整などにより症状が改善される。なので、「病気」とは考えられていない。
そして、HSPについてはこういう話をし出しました。
HSPは一時期かなり取り上げられていたが、精神科医が非常にこの概念を嫌いだした。
理由としては、発達障害の隣接領域の話なのに全くそう言ったことに触れられず、これだけを取り上げてしまうと、その人の問題の本質がわからなくなってしまうということなんだと。
そこで、私は話し始めました。
「私は自分が発達障害なんじゃないかと疑っていたことがあるんです。できることとできないことの差があまりにも激しいので。」
こういうと、カウンセラーの先生が話に興味を持ち始めたので、私は、学生時代の自分の話をし始めました。
数学の中でよくできるところと全然わからないところがあった。
政治経済はよくできたけれど、世界史は偏差値35とかだった。
文系にしては、物理はまあまあできたけど、化学はやはり偏差値35だった。
生物も地学も苦手で、生物は共通一次に間に合わせるために教科書を半年かけて丸暗記した。
走るのはまあまあ早かったけど、マット運動は全然ダメだった。
などなど。
そうすると先生一言「発達障害の特徴出てますよね〜」。
さらに、北海道大学の法学部を2番で卒業しているのに司法試験受かるのに10年かかるの自体おかしいですよねと言うと、それも同意されました。
「でも、以前受けた検査ではIQが127あってすごく高いことがわかったものの、発達障害という結果は出なかったんですよね」と私が言うと、先生は「能力が高くて年齢がいってしまうと、検査やっても出ないんですよね」と言いました。
その後の話で、「最近気分は落ち込んだりしていませんか?」と言われたので、「ゴールデンウィークの後半4日は自分がやりたいことが全部できたので落ち込みはありませんでした」と答えると、「普段はなかなかできないんですか?」と言われました。土日でもやることが多くて・・・と話をすると、「ルーティンが多いんじゃないんですか?」と言われ、大当たり。
私は、平日はまず朝起きたらベッドメイクして、ちこちゃんのご飯の用意をして顔を洗い、ストレッチや腿上げをしてご飯を食べ、化粧して着替えて出勤。
食事の後は食器をすぐに洗わないと気持ち悪いし、掃除も仕事から帰った後毎日やっている。寝る前の運動も14歳からずっと続けています。
しかも、インスタの投稿やアメブロのブログなど、毎日やることがたくさんある。
土日も、土曜日はお出かけの日、日曜日は引きこもりの日と決めていて、日曜日はちこちゃんと私のトイレ掃除に爪切りにこのブログをあげて・・・お昼は食べずにおやつを食べてと決めています。
そういえば整骨院に行くのもルーティン化しています。
掃除をやる順番も決まっているのでは?と言われて図星でした。
ルーティンでがんじがらめにするのも発達障害の特徴なんだそうです。
帰り際、先生に「やめられるルーティンはやめてみましょう。」と提案されました。
早速、昨日の夜から腿上げをやめました。
また、インスタとスレッズで二重投稿になっているものを省きました。これでルーティンが2つ減りました。
まだまだ少しだけれど、そうやって「自分がくつろげる時間」を作って行くことが必要ということなのだと思います。
昨日のカウンセリングでひとつの到達点に達したのか、先生は終わりぎわに「この調子でいけばカウンセリングはそれほどかからずに終われるかもしれませんよ」と言いました。
2回目にしてカウンセリングに行くことがルーティン化していた私は、いや別に終わらなくてもいいんですけどと一瞬思ってしまいました・・・
カウンセリングが終わって、私はかなりホッとしました。
やっぱり発達障害だったのです。
これまでずっと感じていた「そこはかとない心地悪さ」「世間とずれている感じ」は、自分が発達障害だったからなのだと納得できました。
しかし、ここでまたひとつ疑問が。
発達障害には、ADHD(多動性障害とか)とASD(自閉症スペクトラム)があるけれど、自分どっち?ということ。
まあ挙動不審ではあるけれど、落ち着きなくうろうろするタイプではないので、おそらくASDだろうと思い、ちょっとネット上で診断をしたら、「ASDの可能性あり」となりました。
自分としては、はっきりさせたいなと思うのですが、ここから先は無理なんですかね・・・
今週の金曜日が心療内科の日なので、ちょっとかかりつけ医に相談してこようと思います。
今日になって、そう言えば昨日話さなかったけど、人生で一番最初のテスト(小学校入学直後)が20点だったのを思い出したのでした。
そして、幼稚園の時仲が良かった男の子は、当時の基準で「自閉症」と診断されていた子でした。おそらく彼は知的障害もあったのではないかと思うのですが、今にして思うと、なんとなくお互いに同じ雰囲気を感じていたのかもしれません・・・
ふと思い返してみると、弁護士になってからも苦手分野はいくつかあって、自己破産とか交通事故とか残業代請求とか、細々したことは胸を張ってできると言い難かったりします。
「できることとできないことの差」が激しい自分は、これまでよく頑張って生きてきたとちょっと褒めてあげたくなりました。
初めて?本気で自分のことを認めてあげようという気になれました。
友達を作れなくて、1人で行動する方が圧倒的に楽で、妹が友人と海外旅行に何度も行く一方でほとんどまるで興味が湧かないにも関わらず「私も行ってみたい」などとほざいてみたり。
大人数の飲み会や特段親交が深くない人たちと宴席を囲むが苦痛で、如才なく色んな人の席を回ったりするのができなかったり。
親からは出来が良い子として育てられ、実は陰で苦手なことに苦しんでいたことをわかってもらえたかったり。
苦手なことや理解されないことが多い中で、55年間(もうすぐ56歳)本当によく生きたと思います。
これからは、もう少し自分に優しくしてあげたいですね・・・
ただ、おそらく「自分で稼ぐこと」も自分の苦手分野なので、独立して良いものかは、一気に迷う感じになってきました・・・おいおい。
56歳を前にして、自分のことに気づけたのは本当に良かった。
カウンセラーの先生に、そして先生を紹介してくれた心療内科の主治医に大感謝です。