2024年2月25日日曜日

体調回復傾向+気分が激落ちする出来事

ただいま2月25日(日)15時55分。

録画していた孤独のグルメ再放送を見ながら書いています。

前回投稿で、持病の咳喘息悪化で体調が激悪だったことを書きました。


https://comcomcom0620.blogspot.com/2024/02/chikajikafinalmendantaichogekiwaru.html


体調のほうは、先週の中ころまで悪いままでしたが、水曜日にかかりつけ医で効果が強い薬を出してもらってゆるゆると回復中です。

鼻のほうはほぼ完治に近く、咳のほうも7割方良くなってきました。夜に咳で眠れないということは、ここ数日ありません。


ですが、昨日、気分が激落ちする出来事がありまして…


まず前段階の話として、数日前、なんとなく、「やっぱり私は父のことが嫌いだし、うちの父の存在があったからこそ結婚しなかったんだな」としみじみ思いました。


父は、私が入試して中学に入ったことを理由に田舎に単身赴任したり、私がアルバイトしながら長い受験生活を送っているのを見守ってくれた人なので、感謝する気持ちがないではありません。

ですが、そういう良い父親の一面がありつつも、実家優先主義で、それに母や私たちを長年従わせてきた面があり、また、家事はほぼ一切せず、母が体調が悪くても飲み歩いて深夜に帰ってくるような横暴な面もありました。

そして私は、男尊女卑の思考が強く「女の子に学つけてどうすんの」という、勉強が良くできた私に対する当てつけ満載の父の一族が大っ嫌いで、心のどこかで「うちのパパもあの人たちと一緒」と思っているところがありました。

そんな父は、年を取って、脳梗塞を患ってから、「無知で何ひとつ自分でできない無能なジジイ」ぶりをより一層発揮するようになり、以前にもまして、母親の手を煩わせてばかりになりました。

母は母でリウマチを患っていることもあり体調が悪く、そういう父の姿を見るにつけ、無性にむしゃくしゃする気持ちがわいてくるようになっていました。


そしてつい先日、私が結婚に傾きながらも一歩踏み出せなかったのは、男というのはこういうもので、こんな輩と一緒に生活したら、自分の人生がなくなってしまうと、心のどこかで分かっていたからなのだろうと思ったのでありました。

ついでに言うと、私は、こういう父のふるまいを許してきた母や同居している妹にも若干イライラしているところがあり、「そんな横暴な生きざまが許されないことをしっかりこのクソジジイにわからせないとあかんやろ」などと思っていたのでありました。


そんな気付きの後で、昨日は、定例化している「2週に一度の土曜日の実家訪問」だったのでありました。

ここ数日、母は拗らせた風邪のために体調がいつにもまして悪い状態でした。

そのため、午前中に出かけていた妹がお弁当を買ってきて、4人でそれを食べていた時のこと。

私の同居人(猫)ちこちゃんが、最近、プラごみのごみ箱をあさって遊んでいる、蓋つきのごみ箱買わないと、という話になりました。

その席で父は「叩いてしつけすればいいべや」とへらへら笑いながら言ったのです。


この一言が私の心の琴線に触れました。

私は、東京に住んでいたころ、とある地域猫と仲良くしており、また、長い野良暮らしをしてもう20歳近くになる猫を見守っていました。

保護活動をしている知人も多くいて、動物虐待の話などにはとても敏感でした。

叩いてしつけるなんて、虐待以外の何物でもない。私はそう認識していました。


しかし、父は、「動物をたたく」ということを非常に軽々しくとらえていて、以前にも同趣旨の発言をしたことがありました。

実家の飼い猫レオンがいたずらをしたときに、ふざけて背後でこぶしを振り上げていたこともありました。

人間よりも力が弱くやられるしかない動物たちに暴力をふるうという話を軽々しく持ち出し、それをへらへらにやつきながら言うということに、私の嫌悪感はマックスになりました(ついでに言うと、私は人を小ばかにしたようにへらへらニヤつきながら物を言う父の顔が吐きそうなほど嫌いでした)。


そこで、結構きつい調子で「何言ってるのさ、そんなの虐待でしょ」と父に向って言ったのです。

そして、ここからがいつもの流れなのですが、私が父に怒りを向けると、どんなに父が言ったことが理不尽でも、必ず母から罵倒されるのは私で、この時もそうなったのでした。

私は、この件については私の語気が強かったのだとしても、「動物のしつけでたたく」ことが当然のことであるかのように言い放った父に100%非があるのは明らかだと思い、母親に対して、私を責めるのはお門違いではないかと言いました。

しかし、母の言い分は変わらず、妹まで母に同調する始末で、私は気分が悪くなり、帰ることにしたのです。

で、そのまま実家を出たのですが、忘れ物をしたことに気づき、一度戻りました。

そうしたところ、母が、このまま帰るのは良くない、みたいなことを言い出し、私を説得し始めました。

私は、仕方なく、いつもいるあたりの時間までいることにしようと思い、元の自分の部屋で気持ちを落ち着けようと、寝転んでいたのでした。


すると、ここからが???なのですが、私がリビングに出てこないことが気に入らない母が再びやってきて、こういう状況じゃ気まずいから今日は帰れと言い出しました。

私は訳が分からず、いやいや、帰るのやめろと言ったのはそっちでしょうと母とやり取りしていると、妹がいきなり部屋に入ってきて、私のやっていることが子供じみている、今まで世話になっている親に向って何を言っているんだと言い出しました。

わが妹は、齢50になる現在まで、仕事の研修で2か月間東京暮らしをした以外、実家から出たことのない人間でした。

大学を出た後はニートみたいな生活をしていたこともあり、そのくせ3週間の海外旅行に行ったり、洋服を買いすぎて払えなくなったローンを母親に肩代わりしてもらったり、今でも母に昼の弁当を作ってもらうようなスネカジリです。

その妹に私は「子供じみている」「親に向って」などと説教されたのです。

これは黙っていられる状況ではありません。

私は、「世話になったとしても許せないことは許せない。それを言っているまでだ」と言いました。


そうしたところ、妹はなぜか涙を流しながら「勝手だね!!」と私を怒鳴りつけて部屋から出て行ったのです。

これには唖然としました。

妹に罵倒される理由が全然わかりませんでした。


とにかく、へらへら笑いながら「猫をたたいてしつけろ」という父親や、父親を擁護し、帰ろうとしたことを責めながらいざ戻れば「やっぱり雰囲気悪いから帰れ」という一貫性のない母親、加勢して私を罵倒する妹に、ほとほとあきれ果て、私はこれ以上ここにいてもいたたまれないだけだと思い、帰宅しました。

実家に着いてからわずか1時間のことでした。


帰宅した後、私はすべてのやる気をなくして、ソファの上に横になりました。

起き上がれたのは夕方6時ころのことで、都合3時間以上寝ておりました。

今朝もなかなか起き上がれず、何とか始動したのは、朝10時を過ぎた頃でした。


ここ1か月は、体調不良のほうが先に立って、精神的に落ちるということはなかったのですが、昨日の一件で、精神的には激落ち状態になりました(とはいえ、徐々に回復しているところではありますが)。


母親たちは頑として認めませんが、家の中でいさかいが起こると、決まって悪者になるのは私でした。


私は怒りのパワーがかなり強いようで(仕事で頭に来た時に冷静に物を言っていても怖いと言われます)、怒った時のものの言い方が悪いという理由で、いつも悪者にされていました。

私を悪者にすることで、家の中は一件落着する感じがありました。

そういう伝統が、私が家を出て18年経った今も変わらないのかと思うと、やや絶望的な気持ちになります。


そして、私は少し前に「父親が嫌い」ということを自覚した(というか、あえて考えていなかったことを認めたと言ったほうが正しいかもしれません)わけですが、それだけでなく、昨日の一件で、「私以外の家族3人はとても気持ち悪い人たち」なんだということに気が付きました。


仲が良い家族といえばそれまでかもしれませんが、仕事を取り上げたら何ひとつまともにできない父親と、齢50にして自立できない妹と、そういう父親や妹の面倒を見ることにステイタスを感じているだろう母親、そしてそういう関係性を俯瞰できる人間が、当然のことながらこの3人の中には誰一人いないのです。


妹は一見冷静で、外では仕事ができる頼れる存在で、下の人に慕われて友達も私より多いのですが、その根本は、単なる「甘えっ子」「親元から出られないただのすねかじり」だったりするわけです。


そして、私以外の3人は、私のことを「勉強はできるし社会的にステイタスがある仕事もできるけれど、感情を抑えられない子供じみた人間」と位置づけて、3人がバラバラになりそうなところで団結しているのだと思うのです。

ああ、いびつで気持ちが悪い。


こういう発言自体が子供じみているのかもしれませんが…私は、いわゆるギフテッドではありませんが、IQが高く(2年前の検査結果では127)、子供のころから色んな物事の先や根本が見えてしまうたちであり、そういうそこはかとない「異物感」がただよっているせいか、どこにいても、なじめない気持ちを抱えていました。

話が合う人や空気を共有できる人が少なく、中学の頃はかなりないじめにも遭い、人づきあいがめんどくさくなって、一人でいることを好むようになったのでした。


私が「話していてもあまり疲れない」と感じる友人は、正直一人だけで、その友達は、ろくに勉強しないで公立の医大に受かるくらい頭の良い人でした(その友達は、割と早くに結婚して、自分のキャリアから逸脱し、能力をあまり発揮せずにかなり平凡な暮らしをしていて、もったいないと思うことしきりです)。


昨日の出来事は、今後の家族との関係性を考えるうえで、とても大きなものでした。

これまでは家族だからと思って、同じ方向を見ようとそこはかとなく頑張ってきたり、妹とたまには買い物に行こうとか一緒にご飯を食べようとか、気を遣ってきましたが、最低限の気遣い以外する必要はないかなと思いました。


私も年を取って、「キャパ」が狭くなっています。

自分の「キャパ」に見合った人との付き合い方をしないと、結局は、自分が苦しむことになる、それは家族も同じこと、いや家族だからこそシビアに考えなくちゃいけないかもと思ったのでした。


家族だからと言って、わかってもらえることを期待してはいけない。

家族だからと言って、今ある姿を正当化する必要もない。

血のつながりは、自分の生活に必要なつながりであることを意味しない。


そう思って、これからはあの3人と付き合おうかなと思います。


家族の話って、感情が入りすぎる分、読む人にとっては楽しくないかもと思います。


所詮「独り言」のブログと思って書きましたが、くだらないこと?をつらつら書いて申し訳ありませんでした。


来週は、東京行前日のブログになります。

果たしてどんなこと書いているやら。

次の1週間は自分にとってどんな1週間であることやら。


なかなか読めない昨今なのでありました。




0 件のコメント:

コメントを投稿