2025年7月20日日曜日

カウンセラーの一言で思い出した大事な出来事

 7月20日16時24分。

参議院議員選挙投票日でございます。私は期日前投票を済ませておきましたが。

これまで2週間ほど、ネット上で地味に参政党の落選運動を繰り広げていました。

落選運動が選挙日当日もできるかどうかは両論あるようなので、私は本日は控えめにやっております。

なお、参政党は、本日投票を促す広告を出しており、ど直球の公選法違反を犯しています。

一党丸ごと議席を奪われればいいのにと思っています。

なお、選挙結果に関する考察は、明日やりたいと思います(つまり、今日明日と連投する予定です)。


さて、本日のお題はカウンセリングに関することです。

4月から概ね月1回のペースで、公認心理士の先生のカウンセリングに通っている私です。

昨日4回目のカウンセリングがありました。


昨日は、先生からの質問ラッシュでした。

質問内容は「今の仕事観」とか「これからどうやっていきたいと思っているか」というテーマで、以前やっている仕事を今やらなくなっていることについて、色々掘り下げたい感じでした。


具体的に書くと・・・

私は以前は、刑事事件(それも結構重たいもの含む。人が亡くなったものとか)や離婚事件をたくさんやっていたけれど、今はやっていない。お腹いっぱいになってしまってやりたいと思わなくなった・・・という趣旨の発言をしたのですが、「どうしてお腹いっぱいになったのか」ということをやたら掘り下げたがりました。


私は色々話しました。

離婚事件のドロドロした感じが嫌い。

刑事事件の弁護人間の徒弟制っぽいところや、弁護活動の「型」を重視する感じに辟易している、もう実力が伸びないなと思った、裁判員が始まってから成果が見えにくくなった。

それにどちらも儲からない。

どれを話しても、いまいち納得しない感じで、「なんかやっぱりお金重視みたいな感じがする」というようなことを言われたりしました。

答えが出ないまま、制限時間が来て、帰り際に「何か大きな出来事というかきっかけがあったんじゃないかと思うんですよね。それがなんだろうと思って」というようなことを言われて、部屋を出ました。


帰る道すがら、私は、「大きなきっかけねえ、なんだろう」と考えながら歩いていて、ほんの5分くらいのところで「あ〜!!!あれだ!!!」ということを思い出したのです。


それは2016年の6月から8月くらいのこと。

私は、弁護士任官という制度を使って、裁判官になろうと手続きをしていたところでした。

審査は、当時所属していた東京弁護士会の審査→関東弁護士連合会の審査→日弁連の審査→最高裁の審査と流れていくのですが、4月に東京弁護士会の審査をパスして、関弁連の審査を待っているところでした。

と、そのとき、東京弁護士会の理事者室からお呼びがかかり尋ねていったところ、懲戒請求されていることを告げられ、任官希望を取り下げるように非常に高圧的に言われたのです。

懲戒請求をしていたのは、当時抱えていた離婚事件の相手方であるDVモラハラ夫でした。私に強硬な手続きを取られたことを恨んでのことでした。

東京弁護士会は、懲戒請求にかかる時間がとても長く、早くて半年ほどかかりました。

なので懲戒請求をされたら、任官希望は取り下げをせざるを得ない。私は、非常に大きなショックを受けました。

どれくらいショックだったかというと、もう頭の中が真っ白でどうしたらいいかわからないくらいのショックでした。

それでも、これも弁護士をやっていたらある程度あるリスクだと考え、なんとか気持ちを収めたのです。

その2ヶ月くらい後です。

自分の経済状態が、自営の事務所を運営する身としては、危機的になりました。

現預金が数十万レベルに落ち込んだのです。

数ヶ月間、仕事があまり入ってきていませんでした。

その上、任官しようと思っていたので、仕事をやや絞っていたということもありました。

そもそも論として、私は集客をネットに依存していて、弁護士会が主催する法律相談などをやっていませんでした。

そのために、仕事が離婚か刑事事件に偏ってしまい、広がっていきませんでした。この2つは、儲からない仕事の2大巨頭と言っても過言ではありません。

さらに私は自分の経済状態をあまり考えない生活をしていました。

高い服を買い、分不相応な保険に入り、無駄金を使ってばかりいました。

そんなこんなが重なって、経済的に危機的な状況となったのです。

人によっては、「弁護士の仕事なんて浮き沈みがあるから、預金が数十万あるならまだ大丈夫」という人もいたでしょう。

しかし、私はそう思うことができず、この状態がこのまま続くと破産してしまう!!!と考えてしまったのです。

札幌に帰りたくなりました。

しかし、懲戒請求の結果が出ていない段階では、所属会を変えることはできず、身動きが取れない。

私はどうしていいか分からず、親に泣きつきました。

そして、とりあえず事務所を畳んで、給料がもらえる事務所に移籍することを決めました。

当座の運営費用として親が100万円を貸してくれました。が、私はこれに手をつけるのは最後の最後だと思って、預金口座から引き出すことはしないでいました。

転職活動の傍、自分の「支出」を見直しました。

2枚のクレジットカードを使っていたのが浪費の原因となっていると思い、使うカードを1枚だけにしました。

医療保険を見直し、月の保険料が安いものに乗り換えました。

保険会社の営業の口車に乗って契約してしまったオーストラリアドル建の生命保険を解約しました。解約返戻金が数百万返ってきて、気持ちが少し軽くなりました。

そして久しぶりに大きな仕事が入ってきて、着手金が数百万入金されました。

これでなんとか危機を脱しました。

並行して、知り合いが何人も在籍していたお給料をもらえる法律事務所に移籍が決まりました。

私は怒涛の数ヶ月を過ごして、なんとか落ち着きを取り戻しました。


私はそれまでお金のことを何も考えずに生きていました。

どうにかなるだろうと思っていたのです。

しかし、それは間違いだということを身をもって知りました。


自分の事務所を畳んで、給料がもらえる事務所に入り、私の生活はとても安定しました。

弁護士としてはそれほど高い給料ではありませんでした。

しかし、暮らしていくには十分だったし、少しずつ貯金もできました。

身の丈にあった生活をしつつ、時には買い物も楽しんで、悪くない生活ができました。

私は、「お給料をもらえるならそれが一番」と思うようになりました。

今もその気持ちは変わっていません。


この時の出来事が私に大きな影響を与えたのかもしれません。


これに加えて、コロナ禍で、ラッシュを避けるために出勤時間を遅くして退勤時間を早くする、必要がなければ出勤しないという生活が身についてしまい、「マイペースでゆるっと生活できる心地よさ」を知ったというのもあるでしょう。

たくさん事件を抱えて、夜も必要に応じて飛んでいかねばならない、離婚や刑事事件からは、自然と気持ちが離れてしまった気がします。


2016年の出来事を思い出したことは、昨日のうちにLINEで、カウンセラーの先生に伝えておきました。次は9月なので、その時までにまた忘れていると困るので・・・


この一連の出来事は自分はあまり意識していなかったけど、もしかすると自分にとって、忘れたい出来事だったのかも。

なので、昨日先生に言われた言葉をきっかけに思い出すまで、全然出てこなかったのかもしれません。


あの時すんげえ焦ってたなあと、あの時の自分の心情を結構リアルに思い出せてるんですけど、今思えば、そんなに焦る必要もなかったし、だけど自分の選択は正しかったしとも思っています。

こういうところで見え張って、なんか横領したり法テラスに水増し請求したりして捕まる弁護士がいますからねえ・・・


それに札幌に帰ってきて思うんですけど、札幌ってまだ、昔ながらの「街弁」の事務所が8割くらいで、みんなめちゃくちゃ大変そうなんですよね。

札幌含め北海道って、個人でそんなにおいしい



お客さんがいるわけではないので、単価が低い事件をみんな一生懸命やっている感じです。

私の友達で1人だけ、顧問業務中心で仕事をやってきて、今半引退状態という羨ましい人がいますが、それ以外は、夫婦で必死に働いてますよね・・・

そういうのを見ちゃっているので、尚更独立のハードルは高かったりします・・・


次回のカウンセリングで、先生はどういう反応をしてくるかな?

ちょっとウキウキすると同時に緊張したりもするのでした。


それでは今日はこの辺で。

明日は本日の開票結果を踏まえた参議院議員選挙総括をしたいと思います。

本日時点での予想としては(期待も込めて)

・参政党はそこそこ伸びる(オエッ)

・れいわと共産党も少し議席を伸ばす

・自公は過半数に届かない

という感じです。


さて、どうなりますやら。


0 件のコメント:

コメントを投稿