2013年1月26日土曜日

実は名古屋が好きでした。

私は、札幌の出身。
司法試験に受かって、司法研修所に入り、就職が決まるまで、北海道を離れたことがありませんでした。
弁護士になる少し前から1年と3か月を東京で過ごし、その後、名古屋で仕事を始めました。
3年3か月名古屋で暮らしました。

名古屋は私にとって、衝撃の街でした。
家探しのために最初に名古屋を訪れたのが、2008年の7月。
名古屋は通り過ぎたことがあるだけで、降り立ったのは本当にこの時が初めてでした。

この日の最高気温は、37度。
生粋の道産子にとって、この蒸し暑さは殺人的でした。「生きていけるんか、自分」と、かなり不安になりました。
しかし、もっと衝撃的だったのは…東京はおろか、札幌でもすでに絶滅していたルーズソックス女子高生が3名×2グループ生息しているのを発見してしまったのです。

これは始まりにすぎませんでした…

女子のファッションは、おそらくガラパゴス的に独自の進化を遂げています。
髪のロング率が圧倒的に高いのはもちろんのこと、巻き毛率も群を抜いて高い。
聞けば、女子大生やOLはバッグの中に必ずコテを入れて歩いているというじゃありませんか。
花柄スカート率、ピンクのボトム率、ハイヒール率も群を抜いて高い!!
しかも、ピンクのスカートにピンクのエナメルっぽいハイヒールなのに、夏でも黒タイツはいているという…

衝撃的なのはファッションだけではありません。

夜の10時を過ぎると、たとえ街の中でもご飯を食べられるところがありません。
お茶できる場所もまずありません。

虫歯を直しに歯医者に行こうと調べると、ほとんどの歯医者が審美歯科。
口角炎ができたので皮膚科に行こうと調べると、ほとんどの皮膚科には美容皮膚科がついている。
そして、ぎっくり腰になったので整体に行こうとすると、整体屋にはもれなくエステがついている始末。
ついでに言うと、コーヒーを頼むと、かならず「豆」がついてくる。
お願いだ、普通に歯、直してくれ!!
むしろ、普通にもんでくれ!!
そう思ったものでした。

ひつまぶしにきしめん、天むす、味噌煮込みうどん、あんかけスパゲッティ。
いわゆる名古屋飯はうまい。
しかし、それ以外にうまい外食屋が見当たらない。
名物以外がまずい。
ラーメン屋がほとんどない(あるらしいが、全国的に見ても名古屋ラーメンというのは聞いたためしがない)。
お土産にちょうどいいお菓子がない。
仕方ないので、赤福をわが町の名物のように、どこでも山積みにして売っている。

繁華街の車道はやたら広く、片側5車線とか6車線のところがあったり。
車は、赤信号すれすれをとんでもないスピードで通り抜け、右折車は、歩道に人がいても構わず入ってきます。
裁判所の近くなんて交通量が結構多いのに、信号なし。
さすがトヨタのおひざ元。あからさまに人の命より車優先。

何から何まで勝手が違う、私にとっては外国みたいなもんで、本当に慣れるまで時間がかかりました。
そして、札幌に帰省した後名古屋に戻るときは、「味噌色の町に戻ります」などと捨て台詞を吐いていたりしたのでした。

でも、名古屋に二度と戻りたくないかというと、そんなことはないのです。
名古屋は私の第二の故郷、と思っています。
たった一人で知らない街に行って一から仕事を始めた思い入れもありますが、それは置いておくとしても、「もう一度名古屋で暮らさない?」と言われたら、たぶん私はOKと言うと思うのです、状況さえ許せば。
あか抜けなくて、「け~っ」とか思っていたけれど、不思議な安心を感じるのです。

名古屋の人は、名古屋が大好きです。
土曜日日曜日は民法各局、結構なタレントを呼んで「名古屋まんせ~」の情報番組が目白押しになります。
名古屋大の学生の大半は地元出身者です。旧帝大では驚異的な数字のはず。

名古屋人が名古屋をこよなく愛する理由は、そういう独特の安心感、なのかもしれません。
いや、その前に、織田信長だの徳川家(これは三河のほうですが)を輩出してきた誇り、みたいなものもあるかもしれませんが。

味噌色の町に安心を感じる理由は私にもわかりません。
そういう得体の知れなさが、実は名古屋の最大の魅力…だったりして。









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