2013年2月7日木曜日

憧れの女子?

名古屋出張に来ています。
明日は、中部地方の依頼者二名と打ち合わせ。
土日は研修の講師の仕事です。
夜に名古屋に入って、久々に「矢場とん」の味噌カツ食べました。
矢場とんの味噌カツ、味は濃いんだけど、なんだかさっぱりしているんですよね。
するする入っちゃう感じ。
私は、すりごまたっぷり、七味、マスタードを少々、がお気に入りです。

さて…今回のお題ですが。
私、実は、憧れの女性っていうのが、ほとんどいない人生を割と最近まで送ってきたのです。
唯一のあこがれだったのは、実は、向田邦子。
ほんとに四十路丸出し。

向田邦子との出会いは、中学生の時で、模試の国語の問題で、「父の詫び状」に掲載されている「昔カレー」の一説が抜粋されていたのです。
それを読んで、頭をでかい岩で殴られたような衝撃を受けました。
言葉にできない微妙な感覚がすべて言葉で表現されている…
問題解くのも忘れちゃうくらいの衝撃でした。
そのとき、彼女はすでに故人。
その後、彼女のエッセイ、小説を買いあさり読み漁りました。
特に「父の詫び状」は何回も何回も何回も読んで、最初に買った文庫本は、もうボロボロ。
東京の自宅にあるのは新しく買ったものです。
品物のいいもの、気に入ったものしか持たない(ただのブランド好きではない)、食いしん坊で料理好き。
そういう凛とした面影を少し遠くに見ながら、生きてきたはずなのに、似ているのは食いしん坊と40代で独身というだけで、日本語力もこのありさま。

向田さん以外には、いわゆる「憧れ」の対象を持たずに来ました。
ほら、若いころによく女性が持ちがちな、美しい女優さんとかわいいアイドルとかに憧れる、そういう感情がなかったのです。

ところが、最近になって、女性として、こういう人は素敵だなあと思う人がちょっと出てきまして。

ひとりは、坂東玉三郎。
いや~、若いころから、きれいな人だなあ(女性的な美しさという意味ですが)と思っていたんだけど、60歳超えて、さらに磨きがかかりましたよねえ。
最近歌舞伎界は非常に大きな悲しみを2度味わったわけですが、そのときにブラウン管の前にお姿を現した玉三郎様は…女装していないのに、女の色香がプンプン漂い、なのにいやらしさが全くなく、立ち居振る舞いが実に洗練されていて、「100分の1でいいから、この色気があったなら!!」と本気で思ったのでした。
今まで歌舞伎には全く興味なかったけど、玉三郎様の女形は、ぜひ一度観たいと思いました。

そして、もうひとりは、マツコ・デラックスです。
この人がいいなと思うのは、話術というか、おもてなしの精神、気遣いの精神、かな。
かなりずばずば言っているようで、他人を傷つけない言い方を心得ているんですよね。
それに、ものの見方が、常にツボを得ていて、角度も差し込む深さもすごい絶妙。
自分とは違う考え方でも、反発する気がてんで起きません。
見た目はデラックスですが、その繊細な精神は、恥じらいや気遣いが消えていく「おばさん化」が実に醜いということを教えてくれるように思うのです。

まあ、憧れているのは、いずれもDNA的には男性なのですが、この人たちにある女性的な部分に、私はひどく心惹かれているわけですな。

むりやり、この二人の共通点を探すと、女性というものに対して「第三者的」ということなんでしょう。
玉三郎様がヘテロセクシャルなのかホモセクシャルなのかわかりませんが、少なくとも日常生活は男性として送っているわけで、そうすると、彼は女性を客観視したうえで、女性らしさを追求し、体現してきたといえます。
マツコの場合は、もっと当事者的だけど、自分のことを「おかま」と呼んで、性的にも男性を維持しているところから見ると、やはり先天的な女性というものから少し距離を取って自分を置いているように思うのです。そのうえで、テレビの世界では、女性的ふるまいをしている。発言もおそらくそこを意識していることでしょう。

さらに、年を取ってから向田邦子の小説を読むと、決して恋愛経験が多い根っからのおんなの人生を送ってきたわけではないことがよくわかります。

つまり、私が憧れる「女性」的なものって、純粋に女的なものではなくて、何がしかバイアスがかかった大道ではないものなんではないかと思うのです。

そして、大道女の人生を歩めないこの私が、四十路にして独身なのもまた、必然ともいうべき事態なんだろうなあと思いつつ、今日はペンを置くのでした(ペンで書いちゃいないんだけどね)。

追伸
ここ数日、「仕事着に何を求めるか」の閲覧数が、爆発的に伸びていて、おかしいなと思って知人に聞いたら、「ゴ3ネタ」という法曹ごみ箱的サイトで抜粋されていたことがわかりました。
いやいや、びっくりした。


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