2015年1月3日土曜日

中年男子が語る「ハヤシの中身」評。

皆様

アケオメ、コトヨロでございます。
実家に帰省して、はや9日目が過ぎようとしており、お休みって毎度のことながらすぐに過ぎていくのね、とやや、やけっぱちになりつつあるハヤシです。

今年46歳になるし、体力もないし、バーゲンで買うものも特にもうないという気分だし、本日は、引きこもっております(とはいえ、夕べから仕事の資料を読んだり書き物をしたりしていて、それほどのんべんだらりな寝正月というわけでもないんですが)。

いわゆる「田舎」に帰る人間の中には、その間、積極的に地元の旧友たちと親交を深めたいタイプの人がそれ相応にいるようです。なんか、同期会とかクラス会とか積極的に招集かけたり、参加したりする人たちのことです。

ハヤシは、全くそのタイプではありません。

いわゆる帰属意識みたいなものが、ぶっ壊れている人間なのだと思います。個別に会いたい人はそれなりにいるのですが、ひととき同じ場所にいたというだけの人々(集団)に対して、なんらのオマージュも感じられない。
そして、ルイトモとでもいうんでしょうか。私と仲良くしてくださっている皆さんの多くは、同様のタイプが極めて多いのです(同窓会なんてめんどくて行かないわ~、みたいな)。
そんなわけで、帰省の際には、会っておきたい人のみに連絡をして、その方々と個別に飲んだりランチしたり、お茶したりする、地味な交友となるのです。

会う人間も基本限られているわけですが、今回は、休みが長かったこともあり、珍しく、普段ほとんど会わない人間とも連絡を取って、ちょっと会ったりしてしまいました。
で、そのお会いした人々から、「ハヤシ評」として、ちょっとどうとらえればいいのかわからないお話を聞くに及んでしまったわけです。

そのひとりが、中学の同級生。
地元で地方法務員をしている、典型的な中年オヤジです。
確か30代で結婚して、子なし。なんかもう糖尿病らしいのですが、とりあえず、一人酒も飲み会も何でもこい、で飲んでばっかりいる、という。
私が通っていた中学は、受験制の進学校で、当時ひと学年3クラスしかない小さな中学でした。この男は、その中学の同期のまあ「橋渡し」的な役割を、ずーっとずーっと担ってきたヤツで、定期的に飲み会の招集をかけています。

以前にも書いた気がしますが、ハヤシは中学時代いじめられていたトラウマから、中学時代の同期会や同窓会には、出ることができません。そして、こいつが主催する飲み会には、頻繁に私が絶対に会いたくない人間が出席する。しかも、中学時代の同級生がかたまって同席するシチュエーションは(以前一度試したみたが)、かなり私にトラウマを思い出させるので、こいつに誘われても「飲み会全拒否」を貫いているわけです。

が、こいつは、そおいう私に対しても気遣いの心を忘れず、折に触れてメールをよこして動向を尋ねてきます。で、まあ、それはそれなりに嬉しくなくもないわけで、義理も感じてるし、独立した際に一応連絡したところ、年末に飲もうかという話になりました。で、5年ぶりくらいに札幌市内の居酒屋で会って飲んだ、というわけです(とはいえ、胃腸の具合が全開というわけにもいかず、私は1杯白ワインを飲んだだけでしたが)。

この飲みの席で、この男から「お前の中身は8歳の少年だ」と言われました。
「高校生のころから頭の中身があまり進化していない」ことは自覚しており、今でも図々しく「永遠の17歳」と看板を出している私ですが、さすがに「8歳」は聞き捨てならん。
そこで、理由を問うてみたところ、
「自分の気持ちに素直で、直感で動くから」という返事が…

ちなみに、↑の分析は、極めて正しいと認めざるを得ません。

例えば、普通に考えて「この話は受けておいたら、儲かる、利益になる」とわかっても、その話を持ってきた人間が、自分の目から見て、アンビリーバブルなセンスの持ち主だったり、いけすかない人物だった場合には、「乗らないほうが無難」という判断をして、お断りをするタイプ。先日も、仕事でそういうことがありました(それで儲からなくても気にもしません)。

もう時間も遅いし、明日結構早くから仕事があるし、寝ないといけないとわかりつつ、どうしても酒が飲みたかったら、帰り道に見つけた適当な飲み屋に飛び込んで一杯ひっかけて帰ってしまうということも、昔からあり(そして、これもつい最近あり。飲んだ結果、翌日相当寝不足だったのに気分爽快だったので、判断自体は間違いでなかった…はず)。

つまり、ヤツにとってみれば、虫捕りがしたいと思ったら、宿題があろうが習い事があろうが、虫捕りを最優先させて、日がな一日野山を駆け回っている少年の姿に私がダブる、のだそうです。
なるほど…と思いつつ「自分に素直で直感で動くから」という理由のみで、自分の精神年齢が8歳まで引き下がってしまう理由については承服しかねた状態で、翌日、別な人物に会いました。

このお方、以前にも登場したおじ様です。市内の銀行にお勤めの50代前半、不動産鑑定士有資格者。三度のメシより鑑定が好きという変人です。前の職場の知り合いで、弁護士になってからも帰省のたびに会っています。
仕事をする上での心構えとか、生きていく上での気構えとか、自分が惑ったときに話をすると頭が整理される、まあ、貴重なお人です。

夕方、コーヒーをすすりつつ、前日にヤツから「中身が8歳の少年」と言われた、という話をしました。理由も含めて。
おじ様、一瞬遠い目をして少し考えて、
「8歳じゃないな。17歳だな」
と一言。

おじ様から見ると、ハヤシは、とある能力が突出していて、それゆえに「8歳」ではない。
かつ、その能力が突出しているがために、他の能力が育っておらず、それゆえに「17歳」に留まっているということのようです。
そして、その能力というのが、「先の展開を把握する能力」(注:スピリチュアルな能力ではありません)。
経緯や現状における情報について、例えば、普通の人なら7,8もらって、先の見通しが立てられるところ、「あんたの場合は、3,4もらえば完璧に見通しが立ってしまう」。つまり、人が1週間先に判るものが10分後に判ってしまう、ということのようです。

確かに、子供のころから「ハヤシさんは先走る」と学校の先生に言われることが多々あったのですが、本人は全くその意味が分かりませんでした。
学校の授業にせよ、世の中の将来の展開にせよ、事件の見通しにせよ、「この状況なら先はこうしかなりえない」ということがわかりきっているのに、どうしてほかの人はわからないんだろう?と思うことも、しばしばでした。
特に、うちの業界では、私は、出身大学は下のレベル。超人的に頭がいいはずの人がたくさんいるのに…

でもって、例えば、ひとつのことに集中すると他に気が回らないとか、どんくさいために物事の処理にもたもたするなどなどの欠点が、この「先の展開を読める」ことによって、概ねカバーされてしまうため、改善されず、個々の能力がかなりアンバランスな状態にとどまっている。
このアンバランスさが解消されている状態が、オジサマが考えるところの「大人」な人物のようです。

確かに8歳と言われると、なんというか人格的にも能力的にも一定程度のレベルにすら達していない印象を受けてしまいます。
「能力」に関する説明と「17歳」というワードが出てきたことにより、ハヤシ、ホッと一安心。

しかし、大事なことを確認し忘れていたことに気づき、オジサマに聞きました。
「で、少年なんすか?」
「だな。」

まあ、どのみち、中身は女じゃないそうなんですが、その部分について、なぜか「納得いかない!!」と思えない自分は、問題ないんだろうか…と、新たに考え込んでしまうハヤシ、なのでありました。

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