2015年11月29日日曜日

それでもハヤシは羽生くんをいいと思わない。

まず、このブログで約束通り皆様に謝罪します。
今年の羽生ちゃんのフリーは、高得点は出ないと私はほざきました。
たいへんもうしわけありませんでした。

seimeiで、羽生ちゃんはとんでもないスコアをたたき出しました。
笑っちゃうようなハイスコア。

前日のショートプログラムは、なんと偶然にも生中継で観られました。
4回転ルッツというトンデモ大技を難なく決めた金博洋くんが95点というこちらもかなりいい得点。
羽生ちゃんの演技を見たとき、これは100点超えるなと思いました。
が、106まで出るとは思わなんだ。

更にフリー。清明。
生で観られませんでした→仕事でした…
家に焦って帰ってきて女子シングルの中継を見ていたら、最後にフルで羽生ちゃんのフリーが流れました。
つまり、点数を知った上で見たのですが…

いや別に200点越えはいいと思う。
ハイスコアが出るジャンプはことごとく決まっていたから。
いつも終盤になるとヨレヨレになって回転軸がぶれたり回転数が微妙になるスピンも、どれも綺麗だった。

が、あそこまでのハイスコアはないでしょう。
あそこまでの演技構成点はないでしょう…
いや、きっと計算づくで、「こうすれば演技構成点でハイスコアになる」という演技をやったから、あそこまでの演技構成点になったんでしょう。

そう。彼の演技はすべて計算づくなんですよ。
その計算通りに全てできればハイスコアになるんですよ。
まあ、全てできちゃうあたりはすごいんだろうけどね。

でもやっぱり、ハヤシは彼の演技は嫌いだ。評価しない。
だって、内面から沸き立つものが全く感じられないんだもの。
高得点が出る技や小技を決めた順にやってるだけ。

高橋大輔のような見る者の涙を誘う演技を彼はできるか?
コストナーのような見た後でため息が出るような演技を一度でもしたことがあるか?

フィギュアスケートは決められたルールの中で競い合うスポーツです。だから、点を取るための対策を積み上げていくのは当たり前だし、仕方ない。
しかし、フィギュアスケートのファンというのは、本来そこを見たいんじゃないのです。

フィギュアというのは、その人間の人間性がすべて出るスポーツと言われています。
そこを見たいのです。
その人の苦悩。バックボーン。にじみ出る愚直さ。貪欲さ。いやらしさ。激しさ。

羽生くんの演技からは、人間性が何も見えてこない。
ある意味小賢しさは見えているのかもしれないけど、要は、滑りに薄っぺらさしか感じられないのです。

昨年の大激突後の強行出場以来、どうもネットではそのナルシストぶりを非難するアンチが増えているようです。
そのアンチの言葉に乗っかるつもりはさらさらないんだけど、確かに内面を外に出そうという意識はほぼなく、俺ってすごい、めちゃ努力してんねんという自分を盛り上げるというか自分礼賛な極めて内向きな世界である意味滑っているようにも思えるのです。

なんかねえ、まだ、日本を拠点にしてレロレロになりながらロミオとジュリエットやってた頃の方が、少年らしいまっすぐさが演技にあったんだよね。
セクシー部長のテーマでガンガンハイスコア出すようになってから、出せば出すほど、奥深さは反比例するように失われていき、今や薄皮一枚状態。
見ていて楽しくもなんともない。

ちょっとあっちの世界に行っちゃってたけど、町田樹のようにどっぷりと曲の世界を見せることもできないし、ジェイ子のようにリンクの上にいられる幸せを体現することもできない。

その昔、4回転バカと言われていたアメリカのエルビスストイコという選手がいましたが、芸術性のかけらもない萩原流行似の無骨なおっさんだった彼でさえ、男たるもの4回転を飛ばなあかんのだ、俺には4回転しかないのだ、という悲壮なまでの決意をにじませていたもんなあ(そして、オリンピックでは怪我のために4回転が一度も飛べないという苦悩を体現してくれた)。

スポーツってどれもそうだけど、心技体がないと世界で戦っていけないものですよね。
フィギュアスケートというのは、なかでも心が占めるウエイトが本来高いスポーツです。
つまり、何が言いたいかというと、高得点ねらいのナルシストなペラペラ演技は、いい加減早いうちに卒業しましょう、ということ。
どんな思いを込めてるのか。
どんな世界観を持っているのか。
そんなものが垣間見える演技をしてくれたら、ハヤシももしかすると羽生ファンになれるのかもしれません。

奇しくも、解説を務めた織田信成は、羽生ちゃんについてすごいすごい言っていたけど、実はその演技に涙を流したのは、村上大介くんの方だったという。

ね、そんなもんなんですよ、フィギュアスケートって。


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