2018年2月19日月曜日

オリンピックに憑りつかれた人とそうでない人

珍しく夜仕事しているハヤシです。

小一時間ほど後に来客があるのですが、仕事がひと段落し、まったりしているのも何なので、短いものを一本、投稿することにします。

羽生ちゃんは「五輪の2連覇に対して使命感を持っていた」などと言い、それを成し遂げたことを「幸せだ」と話していました。

一方、ハヤシの師匠(勝手に)、宇野大先生は、「五輪は目標にしていない」「何も特別な思いはない」「2位になれたことがうれしい」と語り、「五輪」というものに対する思いは羽生ちゃんとは実に対照的で、皆無と言ってもいいくらいです。

私たち一般ピーポの中には、五輪種目のスポーツ選手で、かつ五輪レベルの力がある人々は、ある種、五輪に対して特別な思いを持っていて当たり前、と思っている人が多いように思います。

だからこそ、宇野大先生のお言葉は、非常に稀有に映ったりするわけです。

思えば、スポーツ選手の中には、オリンピックに憑りつかれた人とそうでない人がいるように思います。

憑りつかれ代表はなんといっても今や国会議員の橋本聖子、スピードスケートでは短距離で入賞レベルの力はあったものの他はどってことないのに、短いのから長いのまで、確か2,3回オリンピックに出ました。

加えて冬だけでは飽き足らず、夏のオリンピックも確か自転車種目で1回出ているはず。

もう国会議員になる前は、オリンピックが生きがいとしか言いようがない人生だったわけです。

他にも「田村でも金、谷でも金」とか言っちゃった谷亮子。自分で自分の2連覇の記録を「前人未踏」とか言っちゃうくらい、オリンピックに大きな価値を置いていました。

そして最近では吉田沙保里。

霊長類最強と呼ばれていた彼女もまた、オリンピック2連覇では飽き足らず、3連覇を狙い、決勝で見事に敗れるという劇的な最期(って失礼か)を遂げるに至ります。

その後の号泣っぷりは、やはり彼女にとって、オリンピックが非常に重要な場所であったことを示しています。

さらに、レジェンド葛西。
いくら金メダルが欲しいからって8回も粘るか。
45歳という年齢に達してもまだオリンピックの金にこだわる憑りつかれ人と言っていいでしょう。

確かにね、あたしゃーオリンピック大好きです。

スポーツ観戦好きにとっては、いろんなスポーツてんこ盛りで短期間に凝縮して楽しめる4年に   1度の祭典は、わくわく感が半端ない(今回はそうでもなかったけど。でも気が付いてみれば、やはり見れるときは色々見ているわけで)。

しかし、やはり、やっている側ではないので、オリンピックに憑りつかれちゃった人の感覚というのは皆目見当がつかないのです。

オリンピックで一発金取るより、ワールドカップで勝ち続けることの方が選手としてすごいんじゃないの、とか思ったりもするわけで。

なんというか、見ていると、オリンピックという宗教があるかのような、そんな空恐ろしささえ、憑りつかれ人を見ると感じます。

宇野大先生が、オリンピック教の信者さんでないことは様々な発言から明らかですが、他には、昨日500で金メダルとった小平さんなんかも案外信者じゃないような気がするのよね。
次のモチベーションは、世界記録と言っているし、自分を磨いたその先にメダルがあるという考えのようですし。

それから、レスリングで言えば、吉田沙保里と対照的に伊調馨も信者でないと言えるんではないかと。

3連覇をした時もあっさりでしたし、吉田沙保里が東京オリンピックに出たいと考えている横で、指導者になりたいなどと言っていて、自分の次の行く末を見ている感じ。

なんというか、あくまでハヤシ自身の好みの問題なんだけれど、金メダル金メダルとがっついて金メダルを取る人よりも、自分の技術や精神を鍛えてその結果金メダルに結び付くタイプの人の方が好きなんだよなあ。

だって、好きってことは極めたいという事なわけで。
後者のようなタイプの人の方がスポーツマンとして純粋である気がするのです。

金メダルだけで食っていけるわけじゃないでしょ。

昔、モハメドアリは、金メダルをとったのに、何も黒人差別が変わらないことに怒って、川にメダルを捨てたという話もありますし。

金メダルなんて、何もしてくれないわけですよ。

オリンピックは好きだけど、憑りつかれ人を見ると、その後の人生大丈夫なんかと少し心配になる。

逆に宇野大先生なんかを見ると、この人は、オリンピックなんぞから離れても、自分らしく生きていけるんだろうなと安心します。

オリンピックの憑りつかれ人生の再就職先が参議院議員くらいしかないって寂しすぎますよね。

オリンピックは、自分を磨いたその先の結果論であるのがちょうどいいのではないかと思うのです。


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