2014年3月2日日曜日

今更ながら、コストナー。

高梨沙羅ちゃんがワールドカップ優勝して、5戦残して総合優勝を決めたそうで。
オリンピックチャンピオンが欠場したとはいえ、ぶっちぎりの飛距離だったとか。

こんな強い子でも、オリンピック優勝できないんだよねえ。
怖いねえ、オリンピック。

さて、オリンピックが終わって1週間ほど経とうとしています。
いつものオリンピックであれば、気持ちはとうに日常に戻っています。
夢からとっくに覚めている。

しかし、今回のソチオリンピックは、なんか違います。
あまロスならぬソチロス現象が起きているという話もありますが、ハヤシ、まさにそのとおり。
オリンピックの余韻を引きずりまくっています。

それは、レジェンド葛西のせいではありません。
平野君のせいでも渡部暁斗のせいでも、まったくない。

そう、それは、フィギュアスケートのせいなのです。
しかし、フィギュアスケートの中でも、羽生君のせいではありません。

6割は、浅田真央ちゃんのせい。
3割は、高橋大輔のせい。
残りの1割は、コストナーと、デニスと、アボット、町田君あたりのせいでしょう。
もしかすると、ジェイ子(注:ジェイソンブラウン)のせいも多少あるかもしれません。

そこにきて、ついさっきまで、NHKBS1でやってた「スポーツ酒場語り亭」で、フィギュアについて、またそれにふさわしいゲストが語りまくってくれちゃったので、寝かかった子が完璧にぱっちりおめめを覚ます状態になってしまいました。

ハヤシが熱心にフィギュアを見始めたのは、カルガリーオリンピックの頃からです。
が、かつて、ここまで、フィギュアがその選手の価値観や生き様を露わにしてしまう恐ろしいスポーツであることを明らかにした大会はありませんでした。
フィギュアのすばらしさ、恐ろしさが如実に表れた大会はありませんでした。

キムヨナとソトニコワ、もとい韓国とロシアの場外乱闘というあまりうれしくないオマケも付いてしまったけど、でも、やっぱり、フィギュアスケートは、目を離せないスポーツであると、改めて思うのです。

今回書きたいなと思ったのは、コストナーのことです。

ライブで見たときは、真央ちゃんのフリーですっかり頭をやられていて、コストナーの演技を襟を正して観る余裕があまりありませんでした。
ノーミスで良かったね、ジャンプのレベルを落としたので、技術点が伸びないね、というくらい。

先日夜、改めて女子シングルの録画を観ました。
コストナーの演技、背筋が震えました。

コストナーは、選曲や振り付けがかなり個性的な選手でした。
今回のフリーの「ボレロ」は、確か昨シーズンのプログラム。
今シーズン、グランプリシリーズでは、「ユーモレスク」を踊っていました。ユーモレスクを選曲する選手も、観た記憶がハヤシにはありません。

「ボレロ」、昨シーズン観たときは、「衣装がセクシー」くらいにしか思わなかったのですが、オリンピックの「ボレロ」には、コストナーの執念というか、凄みを感じました。

地元開催でメダルの期待を背負わされ、見事にプレッシャーに負けたトリノオリンピック。
今度こそと思って挑んだバンクーバーでも、ミスを連発して自滅。
27歳の彼女にとって、今回がもう誰が見ても明らかに、最後のオリンピックでした。

その舞台で、自分がやりたかったことを絶対にやりきるんだ。今の今までできなかったことを完璧にやり通すのだ。
そういう覚悟が、彼女の4分間の演技の中に詰め込まれていました。

彼女にとって、それは、その曲の世界観を存分に発揮することだったのだと思います。
だからこそ、技術レベルを下げるという選択をいとわなかったのでしょう。
トリプルアクセル、8トリプルなど、技術を極めたいという真央ちゃんとは、対照的です。

でも、コストナーのそういう決意もまた、フィギュアスケートという世界では十分にありだし、結果として、人々に与えた感動、自分がその瞬間感じたエクスタシーは、技術を追求した真央ちゃんのフリーと、変わりないものだったんじゃないか、そういう気がします。

ハヤシは、外国人選手の「表現力」とやらがイマイチ理解できず、競技としては、女子フィギュアというのは結局、男目線の「女らしさ」を表現できた選手が勝ちなんだろう、だから、見た目で劣る(ごめん!!)みどりちゃんは金メダルをとれず、三回転ほとんど飛べないビットが2度もオリンピックチャンピオンになり、お色気むんむんのキムヨナに真央ちゃんは負けてしまったのだろうと思っていました。

外国人女子選手の「表現力」とやらに感動したのは、過去一度だけでした。
リレハンメルで金メダルをとったウクライナのオクサナ・バイウルのショート、「白鳥の湖」がそれです。
演技全てを覚えているわけではないのですが、もう、本当にバレエを見ているような圧倒的な美しさでした。
背筋に悪寒が走るほどの表現力を感じたのは、このとき一度だけ(でも、ショートは2位だったんですよねえ。今更ながら、ナンシー・ケリガンって何が良かったのか本当にわからん)。

演技の質とか、目指した表現とかは、全く異なる二人ですが、二人がやったことに共通して言えるのは、「女性らしさ」とか「色気」とか、そういう男目線で語られる良さとは、全く別なものを目指し、究極を追い求めたということだったと思うのです。

そして、成し遂げた演技が、いずれもハヤシにとって「背筋ぞわぞわ」だったと。

なんか最近「表現力がある」という形容詞が、やたら簡単にフィギュア選手につけられる気がするのですが、ここまでのド迫力がある演技ができて初めてつけることが許されるべきではないかと、思うのであります。

日本人って、たぶん、他の人がやらない、他の国にはまねできない「技術」というものを追求することが好きな職人気質のDNAを本質的に備えているように思うのです。
だから、みどりちゃんや真央ちゃんのような選手が愛されるのだと思うのです。

ですが、高橋大輔という選手を輩出したのも、また日本なわけで。
女子選手の中にも、この「背筋ぞわぞわ」を見た人に感じさせられる子が、出てきてほしいなあと切に願うのであります。

案外、今井遙ちゃんなんか、このタイプに化けられるんじゃないかという気もするんだけど、どうなんだろう。

さて、ブログを振り返ってみると、なんと話題がフィギュアスケート6連発になっていて、なんかもう、フィギュアバカというかオタク全開な状況になってしまっています。

次の投稿こそ、そろそろ、オリンピックとフィギュアを離れよう・・・





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